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安倍首相が退陣を表明した。参院選敗北から2ヶ月、内閣改造から僅か1ヶ月での辞任。しかも、国会での所信表明演説の翌日の退陣表明に、殆どの人は呆れたと思う。
マスコミは、彼の掲げた「戦後レジームからの脱却」や「憲法改正」が国民に支持されなかったことを、政権の行き詰まりの第一要因に挙げている。しかし、私は少し違うと思う。
政府の役割の基本は、国民の生命と財産を守る、と言うことに尽きると思う。自分が医療関係の人間だからそう思うだけなのかもしれないが、国民の生命、とは結局のところ医療であり、国民の財産、とは今回の場合年金問題ではなかったか。医療崩壊・年金崩壊で国民の生命も財産も守れない。しかも、各方面から最初に追求された時の初期対応にも問題があって、結局政府の基本的な役割を、首相自身が認識できていなかったことが国民にバレてしまった。それで、もはや何を言おうが(「美しい国」などその最たる文言だと思う)、国民に信用されなくなり、衆議院で2/3の議席を持ちながら、憲法改正を口にすることさえおこがましい状況に追い込まれてしまったのではないかと思う。
私自身は、現行の憲法は改正すべきだと思っているが、年金や医療などの問題をそっちのけにして、「改憲」そのものにこだわるのは、やはり順序が逆だと思う。主張は逆だが、丁度護憲派が、現在の国際情勢を無視して「護憲」そのものにこだわっているのと、ダブって見えてしまう。
現代社会では、政府の果たす役割は大きいし、多くのことが求められている。だからこそ、物事の優先順位をきちんとつけることが必要だし、何が最も重要かの判断を誤っては政治の指導者は務まらない。そして、最終的にはその下にいる一般国民に災禍がふりかかることになってしまう。
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最近、小中学生のいじめによる自殺が相次ぎ、社会問題になっている。一連の動きに関して感じたことを綴ってみたい。
まずは、「いじめ」そのものは、悲しいかな、人間の性であって、いかなる対策を講じようともなくなることはない、ということだ。問題は、いじめが原因で自殺にまで追い込まれてしまう、という点だと思う。現在、各方面からの指摘を受けて、教育委員会をはじめとする学校関係者は対策を打ち出そうと必死のようだが、この点の認識というか、何に焦点を当てて対策を立てるかを誤ると、なくなるはずのない「いじめ」がいつまでたってもなくならないために、結局は報告上いじめがないことにしていた過去に戻ってしまうことになると思う。
大人の世界にも当然「いじめ」は存在するが、大人の場合はなんと言っても逃げ道があるし、「逃げ方」も知っており、「逃げ場」もあるが、子供の場合は「学校」が全てだから、そこで「いじめ」に遭ってしまうと逃げ場がなく、深刻化するケースが多いのではないかと思う。したがって、大人であっても狭い世界の中で生きている人の場合は、職場いじめで自殺に追い込まれるケースもあるのではないかと思う。
結局、「いじめ」から確実に逃れられる方法が、目下のところ「自殺」しかない、というところが問題なのだと思う。このことは、首相が掲げる「再チャレンジ」政策とも絡んでくると思うが、いじめが原因で学校を休学したり転校して卒業が遅れても、それが将来不利になることがないようにしていく、それが子供にも親にも目に見える形でわかるようにすることが、一見遠回りなようで、案外近道なのではないかと私自身は考えている。そうすれば、自殺以外の「逃げ道」が子供にも用意されることになるのではないだろうか。
やはり、合わない人間というのはいるもので、大人が間に入って表面を取り繕って仲直りさせたりしたつもりでも、根本的な解決にはならないと思う。むしろ、表面を取り繕えば取り繕うほど、いじめ自体が陰湿化・深刻化するような気がしてならない。現在のように、いじめる側といじめられる側が固定化していないような状況では、カウンセリングが効果を上げるとも思いにくい。いじめられる側をかばえば、明日はわが身であり、子供もそのことがわかっているからこそ、なかなかいじめを告発したり出来ないのだと思う。
ただ、最近一つ気になるのが「自殺予告」だ。これは、自殺問題とは似て非なるものだと思う。自殺報道が連鎖を起こして各地で自殺が相次いでいるのは事実だと思うが、私は「自殺予告」については冷めた目で見ている。何かこの騒ぎに便乗している感じが否めないからだ。マスコミも、この点はしっかり区別して、予告のほうはあまり大きく取り上げないのが賢明だと思う。
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富山の公立高校で発覚した世界史の未履修問題。問題は単に地方の一公立高校の問題ではなくなり、全国的な広がりを見せている。
自分も公立高校の出身だが、高校生の頃を思い出してみると、高3の理系クラスであるにもかかわらず、受験に使わない社会がこれでもか、と言わんばかりに授業時間に組み込まれていて、自分も他の連中も、共通一次(センター試験の前身)で選択する科目以外の社会(当時は2科目選択だった)の時間と言うのは、「内職(他の受験科目の勉強を授業時間中にこっそりやること)」のかきいれ時だった。当然、授業など全く聞いていないし、テストの前日に教科書の太字の部分だけ覚えて、合格点スレスレで切り抜けたような気がする。
テレビなどを見ていると、「将来をしょって立つ高校生が世界史を学ばないとは・・・」という意見も聞かれるが、やはり受験で使わない科目と言うのは、勉強にも身が入らないものである。したがって、受験科目として必修化しない限り、世界史を高校生全員に(形式的にではなく本当の意味で)履修させることは殆ど不可能だと思う。
それに、なぜこの時期に、この問題が突如クローズアップされたのだろう?この時期は、丁度進路決定のほぼ最終段階に当たる時期で、センター試験で余程見込み違いの点数を取らなければ、そのまま出願する大学を実質的に決める時期に当たると思われ、受験生が最もナーバスになる時期でもある。こんな時に、高校卒業そのものが危ぶまれる(つまりは大学受験そのものが出来なくなる)かもしれないことを、なぜ今スクープしたのだろう?尤も、スクープした側も、これほどの大問題になるとは思っていなかったのかもしれないが・・・。
今回の騒動を見て感じるのは、やはり「行政」の不可解さである。識者も指摘しているが、大学受験のハードルが変わっていないのに、学習指導要領だけいじっても意味がないのは、最初からわかっていたことである。行政を実質的に取り仕切っている官僚は、殆どが東大をはじめとする難関大学の卒業生のはず。自分の昔の姿を思い出せば、容易に想像が付くはずである。昨今言われるゆとり教育と、それに伴う学力低下問題でもそうで、授業時間・内容を削減すれば、当然国際比較で点数が落ちるに決まっているではないか・・・。これからは、そういうもの(ペーパーテストの点数)で評価せず、「生きる力(これが具体的に何をさすのかがよく解らないが)」を伸ばしていこう、と言う趣旨で「ゆとり教育」を始めたはずなのに、「点数が下がった」と攻撃されて、早々に方針を変更している始末である。
文部科学省と厚生労働省の違いはあるが、昨今の医療現場の混乱も、元はといえば官僚の間違った施策に始まったといってよい。そういえば、あのバブル崩壊も、旧大蔵省の間違った施策から始まったのだった。医療問題のほうは根が深いが、今回の世界史未履修問題そのものは、大した問題ではないと思う。問題そのものが形式的なものに過ぎないのだから、文科省が「特例」として認めてしまえば済む話だろう。というより、そうしないとこの問題は何年も前から半ば公然と行われていたことらしいから、既に大学を卒業した人間にまで影響が出てしまい、収拾が付かなくなってしまう可能性がある。但し、カリキュラムは3年間で組まれているはずだから、現在の3年生だけでなく、2年生、できれば1年生まで特例措置をとるべきだろう。その後は、元に戻すのではなく、本当に世界史を全員に履修させたければ、センター試験で必須科目にすればよいだけの話だろう。バカみたいに形式的に「何時間履修した」などと言ってみても、肝心の高校生が本気で勉強しない限り意味がないと思う。
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福岡県筑前町の三輪中学校2年の男子生徒(13)が、11日にいじめを苦に自殺したとみられる事件。教師がいじめに関与していたことも明らかになってきており、改めて、現在の我が国の教育問題の根の深さが明らかになったと言える。
報道によると、この教師は、この生徒をいじめた理由について「いじめやすかったから」と答えたそうだが、本当にこうなるともう教師とは一体何なのか、と思ってしまう。この教師は、「受け狙い」の授業をしていたことも報じられており、つまりは「生徒の視線」に立って物事を考え、「生徒の声」を聞いて授業をしていた、と言える。次元が違うと言われそうだが、私はやはり自分の身に置き換えて考えてしまう。
これまで何度も書いたが、上記の「生徒」「教師」の部分を「患者」「医師」に置き換えると、マスコミ(あるいは一部の病院関係者)の理想とする医師像の出来上がりである。この教師は恐らく「お客様」である生徒が気に入るように行動し(今回のいじめも、一部の生徒が、自殺した生徒をいじめることを望んでいたことに沿った行動ともいえる)、上司からもそうするように常日頃から言われ、それが認められてめでたく学年主任になったのではなかろうか。とすれば、やはり問題はこの教師個人だけではなく、学校と言う組織の問題でもあり、友達のような先生像をやたらと理想化してきたマスコミの問題でもあるのではないかと思う。
考えすぎだと笑われそうだが、私は本当に医師という職業そのものの行く末が、教師と同じ結末になることを憂慮している。医師が医療そのものよりも、患者やコメディカルやマスコミの受けばかりを気にするようになれば、当然医療の質は下がらざるを得ない。今は医師不足が取りざたされているのでその可能性は低いが、ある程度数が充足してくればそのうち、枝葉のことばかりを問題にし、「医療行為が出来るだけでは良い医師とはいえない」などとほざく病院経営者が出てこないとも限らないと思う。
更に、今回の自殺の件に関して言うと、家族がかなり学校相手に怒鳴り散らしている様子が報道された。教師がいじめに加担したことは許されないことで、それに対する抗議は尤もだと思うが、本人が自殺するかもしれないと言う兆候に気づかなかった責任は学校だけにあるのだろうか?家族もまた、「気づいてやれなかった」「相談相手になってやれなかった」という自責の念があってもよさそうだと思うのだが、インタビュー等を見る限り、そうした思いは伝わってこなかった。不注意が元の事故で病院に担ぎ込まれた子供が不幸にして亡くなり、その病院を訴えるケースを思い起こさずにはいられないのは私だけだろうか。
子供の躾や教育は全て学校任せ、病気も全て病院任せで、「家庭」「親」がその役割を放棄して学校や病院を糾弾する、と言うのはどう考えても異常だと思う。家庭・学校・病院が本来果たすべき役割は何なのか、そこをもう一度社会全体で見つめなおし、コンセンサスを得るようにしないと、他人のせいばかりにしていては、この日本は究極の「無責任社会」になってしまうと思う。
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