2009.05.06 18:44 |  研究  |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  枕流  | 推薦数 : 0

世襲について

最近、自民党で議員の世襲問題が持ち上がり、ちょっとした騒動になった。尤も、その後は例の「新型インフルエンザ問題」でかき消された格好にはなっているが・・・。

政治家の世襲というのは、基本的になくならないだろう。こうした問題がどうして急に持ち上がってきたのかはよく知らないが、世襲を認めないのは社会主義国に多い傾向で、そういう意味では危険な兆候ではないかと私は見ている。

考えてみると、医師というのも世襲が多い職業ではないだろうか?私自身は、親が医師ではなかったので、やはり親が医師という人が、ある部分ではすごく羨ましかった。ただ、診療科を選んだりするときに、開業医の子弟だとどうしても親の診療科を念頭に置かざるを得ず、選択の自由がないという点では、気の毒に思うこともある。

ただ、最近感じることは、開業医の先生が自分の子供に自分の医院ないし病院の跡を継がせるのは、全く問題がない、というより至極当然のことだと思うのだが、一方医学研究者に関してはどうだろう?当然、大学やある種の研究機関に属していなければ研究を続けることはできないのだが、こちらも案外世襲が多いように感じるのは私だけだろうか?大学や研究機関に有力者の子弟がたくさん残ってしまい、それらは一種の公的な機関であるにもかかわらず、そのポストが結局世襲されていく・・・。とすれば、それは政治家の世襲以上に問題が大きいように思う。なぜなら、それによって新規参入者は妨げられることになるし、何代も続けて優秀な研究者が出るとは考えにくいからだ。

しかも、政治家の場合は単に勉強ができればよい、というほど単純な仕事ではないが、研究者の場合はやはりある程度優秀な人間になってもらわないと、公的な機関だと研究費、すなわち税金の無駄遣いになっていまうし、日本の医学が国際競争に負けることにもなる。日本の官僚制度は、いつも批判の対象になるが、官僚になるための試験はかなり難しく、そのため簡単に世襲はできない。しかし、医師になるための試験は、官僚になるためのそれよりかなりハードルは低い。医師免許さえ手にしてしまえば、研究者になるか臨床医になるかは全くチェックがかからない。そこで世襲がおきているとすれば、やはり問題だと思う。

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2006.10.15 16:19 |  研究  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 1

学会・研究会での質疑

全国規模の総会だけでなく、地方会や、周辺地区のみの研究会等、いろいろな学会・研究会に行って、以前より少し違和感を覚えていることがある。

 

それは、質問者が、「立派な御発表有難うございました」と言って質問を始めるのと、それに対応して、発表者が「御質問有難うございます」と前置きしてから質問に答えるケースが、最近増えてきているような気がすることだ。

 

前者に関しては、座長が言うのならともかく、百歩譲って質問者が言うにしても、確かに率直な感想から発せられた言葉なら、あまり気にならないのだが、その後に続く質問が明らかにその発表の揚げ足を取るような内容であったり、発表の内容とあまり関係のない「質問(というか御高説)」を長々続けられると、本当に白けてしまう。更に、そういった質問に対して、上記のような前置きの後に答えを言おうとする発表者には、「?」と言う気持ちになってしまう。

 

勿論、お互いクッションをおく意味で言っていることは解ってはいるのだが、どうも白々しさはぬぐえない。恐らく国際学会などで、同様の内容の英語が話されている影響なのかもしれないが、日本語にそのまま置き換えてしまうと、何とも滑稽なシチュエーションになってしまう、と感じるのは私だけだろうか?日本語は英語よりも敬語が豊富なので、いちいち心にもない前置きをしなくても、話し方で、十分に発表や質問に対して敬意を示したいのなら示せると思う。

 

というのも、一般演題に関して言うと、日本の学会の場合、国際学会などと比べると、発表・質疑の時間が概して短い。したがって一つのセッションのスケジュールもぎりぎりで、大抵、時間をオーバーして終わることが多い。そんな中で、上記のような解りきったバカバカしいやり取りを繰り返すのは、本当に時間の無駄のような気がしてならない。表面上の言葉の取り繕いよりも、発表(とそれに伴う質疑)のマナーの徹底(先に述べたように、発表と無関係な質問をしないなど)が先のような気がする。

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2006.06.11 15:57 |  診療  |  研究  |  枕流  | 推薦数 : 0

医療経済学とEBM

ここ1、2年くらいは以前ほど聞かなくなったが、その前の数年間、耳にたこができるくらい聞かされたのが、「医療経済学」と「EBM(Evidence Based Medicne)」という言葉だ。こうした用語は、それまでの医療界に馴染みがなかったので、学会等でもシンポジウムが開かれたり、その道の「専門家」と称する人たちの講演があったりと、ひところはかなりもてはやされ、これからの医療には不可欠のように言われていた。

 

しかし、具体的な内容を聞いてみると、現場の臨床をやっている人間にとって何かプラスになるような内容が含まれていたかというと、殆ど何もなかったというのが現在の実感だ。以前ほど騒がれなくなったのも、用語や考え方が浸透したせいもあるのかもしれないが、やはり中身が殆どなかったためにあまり取り上げられなくなったせいもあるのではないか。

 

まず、医療経済学について言うと、患者に経済的負担をかけないように、安価な薬を使用したりするような配慮は以前からしていたことだし、「薬漬け」との批判は以前からあって、本当に継続が必要な薬かどうか、減らせないかどうかは普段から心がけていたことだ。また、抗生物質などは、逆に漫然と投与すれば耐性菌出現の問題もあり、更に日本では保険審査が過剰なほど厳しい場合もある。したがって、我が国の場合、「医療経済学」と声高に言わなくとも、現行の出来高払い制の元でさえ、一定の歯止めがかかるようにはなっていたといえる。

 

また、EBMについても、確かに実際の証拠がなく漫然と信じられていたり、行われていたことをもう一度再点検して、現実にそぐわない無駄な医療行為を排除する効果はあったと思う。しかし、あることが経験上解っていても、「証明されていないから」といって、その検査や治療行為がナンセンスだと決め付けてしまうのもどうかと思う。今後行われる臨床試験等で、効果が証明されることもあるかもしれないのだから・・・。

 

何が言いたいかというと、この二つに共通するのは、それが殆ど米国の受け売りで、無批判に直輸入されているという点だ。日本で医療をやっている人間に対して、経済用語を一杯駆使して数字の分析をされても、今後それをどういう形で生かして行ったらいいのか、という具体的な提言を、医療経済学の「専門家」の講演から聞いたことは一度もなかった。少なくとも私には、彼らはただ出てきた数字をこねくり回して自己満足しているようにしか見えなかった。また、EBMについても、新たに何かが解ったというよりは、今まで経験上言われていたことを実際証明したというだけで(それはそれで貴重なことなのかもしれないが)、どちらかというと後ろ向きの学問というか、訓詁学のような印象を私自身は持っている。一流と目される雑誌が、そういうものしか取り上げなくなってきている(要するに結論は既に認知されている事柄であるために通りやすい)ような気がするのだが、考えすぎだろうか。

 

目新しい言葉や考え方に飛びつくのは、マスコミならまだしも、学会や専門家の集団が安易にやるべきことではないように思う。雑誌のImpact factorの問題もあり、どうしてもその時のtopicに関心が向かうのは、ある程度やむをえないのかもしれないが、毎年学会に参加して、2,3年周期でコロコロ主題が変わってしまうのを目にしてしまうと、根本的にマスコミと同じではないかと幻滅してしまう。

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