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2008.08.02 22:52 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 0

安心実現内閣と医療

福田改造内閣のネーミングが上にあげた「安心実現内閣」だそうで、恐らく医療問題も念頭に置いたものだろうと思う。

それにしても、である。何とも遅すぎるという感は否めない。長年、政府は「医師数は十分に足りている」と言っておきながら、昨今になってようやく医師の絶対数の不足を認めた。高齢化社会の到来も、かなり以前から言われていたことで、当然人間年をとれば病気になる確率も増えるし、したがって医療費もかかるようになる。ならば、医療費が右肩上がりになるのも当然なのに、「医療費抑制政策」が叫ばれ、米国の医療を引き合いに出して、やれ「医療経済」だの何だのとつい最近まではかなりうるさかった。ところが、後期高齢者医療制度は早くも躓きを見せているし、こうしてみてくると、情報を最も持っているはずの政府が、これほど政策ミスを続けるのはなぜなのか、全くもってわからない。恐らくは現場が見えておらず、官僚制度の密室性と閉鎖性に守られ、現実離れした政策が次々と決定されてきた結果のように思われる。

政府が持ち上げてきた米国医療だが、実は先進国の中で実際に一番医療費がかかっているのが米国だということもよく知られるようになった。ただ、日本や西欧諸国と比べると、公費よりも民間の保険料が多いのが米国の特徴のようで、政府の狙いもそこにあったのかもしれない。しかし、「公費」と言ってもそもそもは税金とは別に国民が払っている保険料であり、米国式の医療を進めれば、国民の側からすると負担が増えるのは目に見えている。

8月は広島・長崎への原爆投下や、終戦の日などがあり、第二次大戦にまつわる事柄をどうしても思い出してしまう。以前にも書いたかもしれないが、敵にやられて退散するのを「転進」と言ってみたり、既に敗色濃厚の戦局であるにもかかわらず「日本はまだ戦争に負けていない」と強弁する陸軍大臣がいたりと、あの戦争から60年以上が経過したものの、この国の政府というのは全然変わっていないのかと思うと、本当に愕然とさせられる。武士道に代表され、日本人の美徳ともされていた「潔さ」というものは、戦後ではなく、戦争中に既に失われていたと思われる。

「医療崩壊」という言葉が使われ始めて1,2年たつように思われるが、日本の医療における「ポツダム宣言受諾」はそう遠くないような気がする。

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2008.01.06 18:04 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 2

怒鳴り声を凶器と認定

怒鳴り声を凶器と認定 パチンコ店員失神させた男逮捕

1月6日1時34分配信 産経新聞
 パチンコ店員を怒鳴なり飛ばし失神させたとして、鹿児島県警鹿屋署は5日、傷害などの疑いで無職、漆道輝之容疑者(33)を逮捕した。同署は怒鳴り声を「凶器」としてとらえ、立件に踏み切った。
 調べでは、漆道容疑者は昨年9月4日午後7時40分ごろ、市内のパチンコ店で遊戯中、パチンコ台を繰り返したたいたことを男性店員(33)に注意されて逆上。店員にパチンコ玉を投げつけた上、「外に出ろ!」「なんだこら!」と怒鳴りちらし、店員を失神させた疑い。
 店員は驚いたのかその場で意識を失って倒れたが、目立った外傷はなく、一過性の意識消失と診断されたという。あまりに強力な漆道容疑者の怒鳴り声に、署員も「相当負けが込んでイライラしていたのか」とあきれ顔だった。
年末年始の救急外来では、恒例?というか案の定、「モンスターペイシェント」あるいはその家族(モンスターファミリー)に悩まされました。我々も、家族に怒鳴られて「失神」すれば、警察は救いの手を差し伸べてくれるのでしょうか?

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2007.09.01 20:27 |  診療  |  医療事故  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 4

たらい回し?

もう色々な先生がコメントされているが、またもや奈良県で妊婦が各病院から救急の受け入れを断られて死産したという「事件」があった。

 

昨年の10月に奈良県で妊婦が死亡する事件があり、その時にもこのブログに書いたのだが、他の先生も恐らく思いは同じだろうと思う。実際に被害者となってしまわれた方々には気の毒だが、とにかく医師の数が足らず、しかもその状況はどんどん悪くなっている。そんな中で、マスコミは「たらい回しにされた」と相変わらずの病院叩き。それでも最近では、「医師不足」という記事も書いておきながら、こういうことが起きると「待ってました」とばかりに、昔の記事をコピペしたような記事が紙面に踊るという有様・・・。

 

救急システムの手直しは確かに必要だと思うが、とにかく人も場所も時間も限られている状況では、優先順位をつけて事に当たるしかない。不幸な偶然が重なって起きた不可抗力的な事柄を、「事故」や「事件」に仕立て上げようとするメンタリティは、本当に呆れるばかりだ。医者になりたくてなれなかった連中がマスコミに流れて、今その意趣返しをしているのかな?と勘ぐりたくもなってしまう。

 

マスコミが医師に「医療に対する姿勢」を問いたいというのなら、こちらもマスコミに是非問いたい。あなた方の「報道に対する姿勢」はどうなのか、と。大新聞の見出しが、いつの間にやら三流週刊誌と同じレベル、いや、それ以下に成り下がってしまったと感じているのは私だけだろうか?

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久々のブログ更新となった。この間、世の中で様々な問題が起きていたが、私用でなかなか更新できなかった。この間、アクセスしていただいた方には、申し訳なかったと反省している。今回、産科救急患者の「たらい回し」で糾弾された大淀病院が、産科医療を中止するとの記事を読んだ。

 

話は急に飛ぶが、塩野七生先生が、15巻にわたって書かれた『ローマ人の物語』シリーズの最終巻が先日発売され、早速読んだ。最終巻なので、要はローマ帝国滅亡の巻になるわけだが、そこでは国家の功労者だった将軍たちが、無能な皇帝の決定によって、次々と殺されていくという、まさに滅亡にふさわしい内容になっている。ある国家の功労者だった将軍の処刑を決定した皇帝が、その正当性について、ローマの元老院議員たちを前に演説するのだが、その演説を聞き終わった元老院議員の一人が、皇帝に向かって言ったのが冒頭のタイトルだった。「陛下のされたことは、自分の右腕で自分の左腕を切り落とすようなものです」

 

今回の大淀病院をめぐる一連の動きも、これと同じようなものではないかと思う。同院の産科医療の閉鎖で、奈良県内の同地域の産科を扱う病院はなくなってしまうという。怒りに任せて訴訟を起こし続け、原告勝訴の判決を出し続ける裁判所・・・。ローマ帝国の最期と我が国の医療の最期が重なって見えてしまうのは私だけだろうか?

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2006.10.24 20:11 |  診療  |  医療事故  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 3

救急患者受け入れ

奈良の妊婦死亡事件に関して、一般の方からコメントを求められたので、私なりの考えを述べさせて頂くことにする。

 

実際、この事件で誰に責任があるのかは、自分にもよく解らないところがある。というのも、私は内科医で、患者さんが意識不明になれば当然頭部CTをとるのが我々内科医の常識だが、産科の先生方のコメントを見ると、産科の場合は必ずしもそうとは限らないようにも見受けられるからである。

 

しかし案の定というか、その後マスコミが、「転院を断った病院は、実は空床があった」と騒ぎ立てて、断った病院を次々に血祭りにあげようとしている姿を見て、またもやうんざりしているところである。

 

内科系・外科系を問わず、一定の経験年数を経ると、医師は自分の能力というか、一度に処理できる範囲の仕事量というものがある程度わかってくる。特に、当直帯であれば他の医師の応援をそう簡単には仰げないから(応援に来る医師は昨日当直だったかもしれないし、翌日当直かもしれない。これでも医師は三人必要。本当に応援に来てもらえば、このうちの誰かは36時間勤務どころではなくなってしまう)、なおのこと、転送依頼があって、その患者さんの病状と、現在自分の目の前の患者さんにかかる手間を天秤にかけて、受け入れ可能かどうかを判断する。単純に空床があるとかないとかの問題ではないと思うし、「廊下にベッドを置いて・・・」などという「暴論」も見受けられたが、いくら医師といえども処置する「場」がなければ医療は行えない。そういうことを理解しようとしない人たちの代表選手がマスコミであることはいうまでもない。

 

北朝鮮問題などではやたらと「冷静に」などと呼びかけておいて、こうした国内の医療問題になると非常に感情的になる・・・。それでもNHKなどは少し論調が以前よりマシになってきたような気もするが、朝日や共同などは相変わらずのような気がする。彼らの思考回路と言うのは本当にわからない。

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2006.10.18 19:40 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 0

薬の説明

今日でピックアップブログが変わり、元の状態に戻った。ある意味、あそこに自分のブログが載せられているのは嬉しく思う反面、かなりのプレッシャーも感じていたので、今は寂しさ半分、安堵感が半分、と言ったところである。

 

さて、今回の話題は製薬会社のMRさんの病院訪問と薬の説明についてである。現在自分の勤務する病院は公立と言うこともあって、訪問時間と場所が決まっている。昔、民間の病院にいた頃は、医局の中まで自由に出入りしていたし、バブル華やかなりし頃は接待やら豪華な粗品を当たり前のように貰っていた。もちろん、そんなことは今は昔で、現在は主に薬のPRという本来の(?)業務のために病院にやって来る。

 

最近では、薬に関する大規模臨床試験が数多く実施されているせいか、それをネタにPRしてくることが多い。データを見せられると、確かになるほどと思うし、そのデータも有名雑誌に掲載されたものがリソースになっていることが多いので、信憑性はある程度担保されていると見てよいだろう。

 

しかし、自分が薬を使っている実感と、こうした大規模臨床試験の結果が、必ずしも一致するかと言うとそうでもないことも多い。その薬を投与して有意差があったといっても数パーセント効果があった程度、しかも何千例集めてのそれだから、ある意味当然なのかもしれない。統計学的には、Nが大きいほど信憑性が高いことは勿論なのだが、一人の医者が普段相手にしているNは数十例から精々数百例である。したがって、何千例、何万例集めて出された臨床試験の結果と、一人の医者の日常臨床の実感に差が出てくるのも知れない。もっと意地悪な言い方をすると、それだけのNを集めないと出ないような有意差程度では、とても一人ひとりの患者に対して効果を実感できないのである。逆に少ないNでそれなりの有意差が出れば、それは却って実感に近い物になる可能性はある。ただし、それでは論文にならないし、その薬に対する認可も下りないかもしれないが・・・。

 

似たようなことは、薬の副作用についても言える。最近では添付文書に改訂があるたびに、薬局や製薬会社、時には厚生労働省直々に安全情報が出されている。しかし、あまりの情報の多さに辟易させられてしまう。勿論、自分の専門分野で使う薬についての情報には目をとめるようにはしているが、恐らくこれらを隅から隅まで目を通している医者など一人もいないのではないか。患者さんに渡される薬の説明文書でもそうだが、ありとあらゆる副作用が並列的に書かれているため、その薬に対するあらぬ誤解や恐怖感を与えてしまうこともある。もう少し頻度別に整理できないものなのだろうか?そうすれば、医者も患者も、その薬に対する効果とリスクをそれぞれの立場から判断して、お互い安心して治療に当たれると思うのだがどうだろうか。

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2006.10.09 07:19 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 4

女性外来不振の記事に思う

掲示板で、「女性外来が不振」と言う記事を見つけた(元の記事は下記参照)。

 

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/20061007095100.asp
2006年10月7日(土) 東奥日報

これなども広い意味で「患者の声」に流された結果の失敗ではないかと思う。自分の個人的な推測だが、多分、担当医師たちは真剣にやっていたと思う。横着さの目立つ女性看護師とは違い、女医さんは概して真面目な人が多いからだ。余分な仕事を押し付けられ、挙句の果てに「患者が減った」とこういう形で病院側から公表され、挫折感だけが残ったのではないだろうか?

 

これまで同様の趣旨のことを何度か書いたが、現在の日本の医療は、市場主義、グローバルスタンダードといった世の中の風潮に流され、「お客様」「顧客」をそのまま「患者」に置き換えて安直に考えすぎるきらいがあると思う。「患者様」と言う呼び方はその最たるものだ。「お客様は神様」をそのまま横滑りして考えれば、当然「患者様の言うことは絶対」と言うことになってしまう。

 

しかし、ホテルなどの接客業は、接遇そのものがサービスのかなり主要な部分を占めるのに対し、医療の場合は前提が全く違う。ホテルの客はあくまで快適性や接客サービスそのものに対してお金を払っているわけだが、患者はあくまで「病気を治す」ために来ている。患者の声を無視してよいとは思わないが、最近の医療機関の姿勢をみていると、明らかに患者に対して卑屈になりすぎていると思う。これは、かつて学校側が生徒(やその親)に対して卑屈になってきた歴史と同じではないか・・・。それで、患者の満足度があがって訴訟が減ったかと言うと、全くの逆で、訴訟は増加の一途、患者は増長するばかりで、「患者様」と言う呼称を止める病院も出てきたと聞く。

 

学校の問題が出たついでに言わせてもらうと、最近は「生徒が先生を評価する」のも流行だそうな。確かにやる気のない教師に奮起を促したり、授業内容に関する要望はあっても良いかもしれないが、学校は「先生が生徒に勉強を教える所」であって、その基本線だけは崩さないほうが良いと思う。長年の学校バッシングの結果、最近では教師の指導力はおろか、学力そのものまで怪しい人が出てきて、これなども枝葉末節論に流され続けた結果ではないかと思う。「生徒の自主性を尊重し」続けた学校も、いまや少子化で存続の危機に立っているところも多い。勉強そっちのけで、生徒の要望だけを聞いていたような学校は、むしろ最近名前を聞かなくなってしまった。逆に、補習の充実など、勉強を教えることそのものに努力してきた学校が評価されるようになっているように感じる。医療も、事態が深刻化する前に(もう深刻化しているのかもしれないが)、「本来のあり方」を一日でも早く取り戻すことを望みたい。一時は辛いかもしれないが、結局それが最終的に患者の信頼を勝ち取る(=病院として生き残る)道ではないかと思う。

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2006.10.08 20:07 |  診療  |  仕事 / 職場  |  その他(医療関連)  |  枕流  | 推薦数 : 0

困った紹介状

総合病院に勤務している関係上、他の医療機関からの紹介状をもってみえる患者さんがいる。転居等で他の地域から来た人の場合、投薬継続でよい場合が多いのであまり問題にならないが、やはり周辺の医療機関からの紹介の場合、たまに首を傾げたくなるような紹介状がある。

 

最も困るのは、「後はよろしく」式で紹介しておきながら、自院で何を投薬していたかが記載されていないケース。最近は患者さんが投薬リストを持っていることも多いので、以前ほど紹介元に問い合わせる頻度は減っては来たものの、これは未だにかなりの頻度で見られる。というより、まともに投薬内容が記載されていることのほうが少ないのではないか。

 

二番目に困るには、何を診てもらいたいのか(要するに何の目的で紹介したのか)が解らないケース。以前勤務していた病院での話だが、病名(というか症候名)が十数個(しかも汚い字で)羅列されているだけで、殆ど内容のないものがあったのを覚えている。

 

三番目は、「入院」を前提に勝手に患者さんと話を決めてしまってから送ってくるケース。当然、入院が必要なケースはあるが、入院適応を判断するのはこちらの仕事(だから専門医に診て貰う様紹介したのでは?)。入院する用意を揃えて乗り込んできた患者さんが、実は入院適応がなく外来フォローでよい場合などは、説明に一苦労することになる。

 

現在開業されている先生は、かつては勤務医であったはずで、どうしてこうなってしまうのか・・・。特に、以前当院で勤務医をされていて開業された先生の中に、意外にも上記のようなケースが目立つのも、非常に不思議な気がする。

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2006.10.07 18:27 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  仕事 / 職場  |  枕流  | 推薦数 : 3

医療はサービス業か?

患者の権利意識の高まり、医療そのものに対する風当たりが増す中、「患者様」と言う呼称は最早一般的となり、「医療はサービス業だ」と言って憚らない病院経営者も多い。しかし、私はこうした風潮には疑問を感じている。恐らく、医師(特に勤務医)の中には、同じ考えをお持ちの方も多いのではないかと思う。

 

こうした考え方は、接客業を生業とするホテル業からヒントを得たものではないかと思われる。確かに、昔のように患者を怒鳴りつけたりするのは論外だが、だからと言って「病院がホテルのようになる」ことが、医療の質を上げることに繋がるのだろうか?

 

昔は、病院食は冷えていて当たり前、配膳時間も職員の帰宅時間に合わせるため夕食などは16:30頃、病室も大人数で薄暗く換気も悪い・・・、と劣悪な環境だった。今はそれでは病院そのものが立ち行かない時代で、そういう点では昔に戻るべきではないと思う。アメニティと言う部分では、病院をホテルに近づけるのは悪いことではないし、治療成績の向上にも繋がる部分が大いにあると思う。

 

しかし、問題はやはり接遇面だろう。最近ははっきり言って横柄な態度を取る患者が多い。自分勝手で権利ばかり主張、約束は守らない、気に入らないことがあると匿名で投書したり、代議士や病院の上層部に圧力をかけさせる・・・。こういう人は、確かに以前からいたが、明らかに少数派で、病院側もそれとわかって対応していた。しかし、今は、病院のほうがすっかり弱腰になってしまい、こうした声に無原則に妥協することが良いことだと勘違いしているように思えてならない。時々、患者向けにアンケートを実施している病院があるが、はっきり言って愚の骨頂だと思う。患者側は匿名で、医療従事者への攻撃を推奨しているようなものではないだろうか。

 

実際、接遇面でホテルを真似ていた航空業界も、安全な運行に支障をきたしかねない乗客に対しては、断固たる姿勢で臨むようになってきた。しかも、国際的には、墜落しても補償には上限が設けられているし、事故原因の究明のために乗務員が免責されることもある。それに比べると、やはり今の日本の医療は明らかに異常な状態といわざるを得ないのではないか?

 

特に日本人には、「サービスを受ける側」は「サービスを提供する側」に対してなら何をしても良い、と考えている節があるような気がしてならない。医療も、広い意味では「サービス」だが、ホテルのようなサービスではなく、むしろ、たける先生(今回トラバさせて頂きました:http://blog.m3.com/Dr_Takeru/)が言われるような「行政サービス」に近いのではないかと思う。米国では、消防士は尊敬の対象らしいが、日本ではそこまでではないだろう。何でも米国式にするのがトレンドだが、形式だけ真似ても意味はないと思う。そこに「尊敬」や「感謝」の念がない限り、どんな制度を作ったり真似たりしても、殺伐とした世界が広がるだけではないだろうか。

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2006.08.12 20:18 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  医療制度 / 行政  |  仕事 / 職場  |  枕流  | 推薦数 : 0

医療事務の大幅増員を

現在、勤務医の不足が深刻に叫ばれるようになっている。看護師不足は以前よりあったが、それ以外の医療関係者のうちで、近年「不採算部門」として最も削減されてきたのは事務員だと思う。

 

思い出してみると、自分が研修医の頃は各病棟に一人ずつ事務の人がいたし、外来も1診に一人は事務の人がついていた。看護師は既に不足していて、2,3診を掛け持ちしていたように記憶している。もっとも、病院の規模により事情は様々だろうが、その後、時間が経つにつれ、まず病棟から事務員がいなくなり、外来は委託になり・・・とどんどん事務員がいなくなったように思う。

 

その結果、事務仕事はどうなったかと言うと、電算化により、結果的にその殆どは医師がやらされることになってしまったと思う。ある本で読んだのだが、企業で時給の高い人間に、それよりも低い内容の仕事をさせるのが、最も効率が悪いのだと言う。例えば、部長がコピーをとったりお茶汲みをするなどして、マネジメントなど部長としての本来の仕事をする時間が少なくなってしまう場合、そうした雑用時間は時給に見合った仕事をしていないことになるわけである。

 

現在、病院の医療現場で似たようなことが起きているのではないか。確かに、地方などでは絶対数そのものが足らないところまで追い詰められているわけだが、そもそも雑用が増えて、本来の医療行為に時間が避けなくなったことに嫌気がさして病院を辞めていった人も多いのではないだろうか。医師の数を急に増やすのは不可能だが、事務員の数なら、現在は殆どが外注だろうから、予算さえ確保すれば大幅増員も可能ではないだろうか。

 

特に、ある年代より上のDrになると、コンピュータの操作が極端に苦手だったり、非常に遅い人も多い。しかし、医療そのものの経験や知識は豊富だから、事務員をもっと増やして医師の雑用を減らせば、状況はかなり改善するのではないかと思う。

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