福田改造内閣のネーミングが上にあげた「安心実現内閣」だそうで、恐らく医療問題も念頭に置いたものだろうと思う。
それにしても、である。何とも遅すぎるという感は否めない。長年、政府は「医師数は十分に足りている」と言っておきながら、昨今になってようやく医師の絶対数の不足を認めた。高齢化社会の到来も、かなり以前から言われていたことで、当然人間年をとれば病気になる確率も増えるし、したがって医療費もかかるようになる。ならば、医療費が右肩上がりになるのも当然なのに、「医療費抑制政策」が叫ばれ、米国の医療を引き合いに出して、やれ「医療経済」だの何だのとつい最近まではかなりうるさかった。ところが、後期高齢者医療制度は早くも躓きを見せているし、こうしてみてくると、情報を最も持っているはずの政府が、これほど政策ミスを続けるのはなぜなのか、全くもってわからない。恐らくは現場が見えておらず、官僚制度の密室性と閉鎖性に守られ、現実離れした政策が次々と決定されてきた結果のように思われる。
政府が持ち上げてきた米国医療だが、実は先進国の中で実際に一番医療費がかかっているのが米国だということもよく知られるようになった。ただ、日本や西欧諸国と比べると、公費よりも民間の保険料が多いのが米国の特徴のようで、政府の狙いもそこにあったのかもしれない。しかし、「公費」と言ってもそもそもは税金とは別に国民が払っている保険料であり、米国式の医療を進めれば、国民の側からすると負担が増えるのは目に見えている。
8月は広島・長崎への原爆投下や、終戦の日などがあり、第二次大戦にまつわる事柄をどうしても思い出してしまう。以前にも書いたかもしれないが、敵にやられて退散するのを「転進」と言ってみたり、既に敗色濃厚の戦局であるにもかかわらず「日本はまだ戦争に負けていない」と強弁する陸軍大臣がいたりと、あの戦争から60年以上が経過したものの、この国の政府というのは全然変わっていないのかと思うと、本当に愕然とさせられる。武士道に代表され、日本人の美徳ともされていた「潔さ」というものは、戦後ではなく、戦争中に既に失われていたと思われる。
「医療崩壊」という言葉が使われ始めて1,2年たつように思われるが、日本の医療における「ポツダム宣言受諾」はそう遠くないような気がする。
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