富山の公立高校で発覚した世界史の未履修問題。問題は単に地方の一公立高校の問題ではなくなり、全国的な広がりを見せている。
自分も公立高校の出身だが、高校生の頃を思い出してみると、高3の理系クラスであるにもかかわらず、受験に使わない社会がこれでもか、と言わんばかりに授業時間に組み込まれていて、自分も他の連中も、共通一次(センター試験の前身)で選択する科目以外の社会(当時は2科目選択だった)の時間と言うのは、「内職(他の受験科目の勉強を授業時間中にこっそりやること)」のかきいれ時だった。当然、授業など全く聞いていないし、テストの前日に教科書の太字の部分だけ覚えて、合格点スレスレで切り抜けたような気がする。
テレビなどを見ていると、「将来をしょって立つ高校生が世界史を学ばないとは・・・」という意見も聞かれるが、やはり受験で使わない科目と言うのは、勉強にも身が入らないものである。したがって、受験科目として必修化しない限り、世界史を高校生全員に(形式的にではなく本当の意味で)履修させることは殆ど不可能だと思う。
それに、なぜこの時期に、この問題が突如クローズアップされたのだろう?この時期は、丁度進路決定のほぼ最終段階に当たる時期で、センター試験で余程見込み違いの点数を取らなければ、そのまま出願する大学を実質的に決める時期に当たると思われ、受験生が最もナーバスになる時期でもある。こんな時に、高校卒業そのものが危ぶまれる(つまりは大学受験そのものが出来なくなる)かもしれないことを、なぜ今スクープしたのだろう?尤も、スクープした側も、これほどの大問題になるとは思っていなかったのかもしれないが・・・。
今回の騒動を見て感じるのは、やはり「行政」の不可解さである。識者も指摘しているが、大学受験のハードルが変わっていないのに、学習指導要領だけいじっても意味がないのは、最初からわかっていたことである。行政を実質的に取り仕切っている官僚は、殆どが東大をはじめとする難関大学の卒業生のはず。自分の昔の姿を思い出せば、容易に想像が付くはずである。昨今言われるゆとり教育と、それに伴う学力低下問題でもそうで、授業時間・内容を削減すれば、当然国際比較で点数が落ちるに決まっているではないか・・・。これからは、そういうもの(ペーパーテストの点数)で評価せず、「生きる力(これが具体的に何をさすのかがよく解らないが)」を伸ばしていこう、と言う趣旨で「ゆとり教育」を始めたはずなのに、「点数が下がった」と攻撃されて、早々に方針を変更している始末である。
文部科学省と厚生労働省の違いはあるが、昨今の医療現場の混乱も、元はといえば官僚の間違った施策に始まったといってよい。そういえば、あのバブル崩壊も、旧大蔵省の間違った施策から始まったのだった。医療問題のほうは根が深いが、今回の世界史未履修問題そのものは、大した問題ではないと思う。問題そのものが形式的なものに過ぎないのだから、文科省が「特例」として認めてしまえば済む話だろう。というより、そうしないとこの問題は何年も前から半ば公然と行われていたことらしいから、既に大学を卒業した人間にまで影響が出てしまい、収拾が付かなくなってしまう可能性がある。但し、カリキュラムは3年間で組まれているはずだから、現在の3年生だけでなく、2年生、できれば1年生まで特例措置をとるべきだろう。その後は、元に戻すのではなく、本当に世界史を全員に履修させたければ、センター試験で必須科目にすればよいだけの話だろう。バカみたいに形式的に「何時間履修した」などと言ってみても、肝心の高校生が本気で勉強しない限り意味がないと思う。
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奈良の妊婦死亡事件に関して、一般の方からコメントを求められたので、私なりの考えを述べさせて頂くことにする。
実際、この事件で誰に責任があるのかは、自分にもよく解らないところがある。というのも、私は内科医で、患者さんが意識不明になれば当然頭部CTをとるのが我々内科医の常識だが、産科の先生方のコメントを見ると、産科の場合は必ずしもそうとは限らないようにも見受けられるからである。
しかし案の定というか、その後マスコミが、「転院を断った病院は、実は空床があった」と騒ぎ立てて、断った病院を次々に血祭りにあげようとしている姿を見て、またもやうんざりしているところである。
内科系・外科系を問わず、一定の経験年数を経ると、医師は自分の能力というか、一度に処理できる範囲の仕事量というものがある程度わかってくる。特に、当直帯であれば他の医師の応援をそう簡単には仰げないから(応援に来る医師は昨日当直だったかもしれないし、翌日当直かもしれない。これでも医師は三人必要。本当に応援に来てもらえば、このうちの誰かは36時間勤務どころではなくなってしまう)、なおのこと、転送依頼があって、その患者さんの病状と、現在自分の目の前の患者さんにかかる手間を天秤にかけて、受け入れ可能かどうかを判断する。単純に空床があるとかないとかの問題ではないと思うし、「廊下にベッドを置いて・・・」などという「暴論」も見受けられたが、いくら医師といえども処置する「場」がなければ医療は行えない。そういうことを理解しようとしない人たちの代表選手がマスコミであることはいうまでもない。
北朝鮮問題などではやたらと「冷静に」などと呼びかけておいて、こうした国内の医療問題になると非常に感情的になる・・・。それでもNHKなどは少し論調が以前よりマシになってきたような気もするが、朝日や共同などは相変わらずのような気がする。彼らの思考回路と言うのは本当にわからない。
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福岡県筑前町の三輪中学校2年の男子生徒(13)が、11日にいじめを苦に自殺したとみられる事件。教師がいじめに関与していたことも明らかになってきており、改めて、現在の我が国の教育問題の根の深さが明らかになったと言える。
報道によると、この教師は、この生徒をいじめた理由について「いじめやすかったから」と答えたそうだが、本当にこうなるともう教師とは一体何なのか、と思ってしまう。この教師は、「受け狙い」の授業をしていたことも報じられており、つまりは「生徒の視線」に立って物事を考え、「生徒の声」を聞いて授業をしていた、と言える。次元が違うと言われそうだが、私はやはり自分の身に置き換えて考えてしまう。
これまで何度も書いたが、上記の「生徒」「教師」の部分を「患者」「医師」に置き換えると、マスコミ(あるいは一部の病院関係者)の理想とする医師像の出来上がりである。この教師は恐らく「お客様」である生徒が気に入るように行動し(今回のいじめも、一部の生徒が、自殺した生徒をいじめることを望んでいたことに沿った行動ともいえる)、上司からもそうするように常日頃から言われ、それが認められてめでたく学年主任になったのではなかろうか。とすれば、やはり問題はこの教師個人だけではなく、学校と言う組織の問題でもあり、友達のような先生像をやたらと理想化してきたマスコミの問題でもあるのではないかと思う。
考えすぎだと笑われそうだが、私は本当に医師という職業そのものの行く末が、教師と同じ結末になることを憂慮している。医師が医療そのものよりも、患者やコメディカルやマスコミの受けばかりを気にするようになれば、当然医療の質は下がらざるを得ない。今は医師不足が取りざたされているのでその可能性は低いが、ある程度数が充足してくればそのうち、枝葉のことばかりを問題にし、「医療行為が出来るだけでは良い医師とはいえない」などとほざく病院経営者が出てこないとも限らないと思う。
更に、今回の自殺の件に関して言うと、家族がかなり学校相手に怒鳴り散らしている様子が報道された。教師がいじめに加担したことは許されないことで、それに対する抗議は尤もだと思うが、本人が自殺するかもしれないと言う兆候に気づかなかった責任は学校だけにあるのだろうか?家族もまた、「気づいてやれなかった」「相談相手になってやれなかった」という自責の念があってもよさそうだと思うのだが、インタビュー等を見る限り、そうした思いは伝わってこなかった。不注意が元の事故で病院に担ぎ込まれた子供が不幸にして亡くなり、その病院を訴えるケースを思い起こさずにはいられないのは私だけだろうか。
子供の躾や教育は全て学校任せ、病気も全て病院任せで、「家庭」「親」がその役割を放棄して学校や病院を糾弾する、と言うのはどう考えても異常だと思う。家庭・学校・病院が本来果たすべき役割は何なのか、そこをもう一度社会全体で見つめなおし、コンセンサスを得るようにしないと、他人のせいばかりにしていては、この日本は究極の「無責任社会」になってしまうと思う。
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今日でピックアップブログが変わり、元の状態に戻った。ある意味、あそこに自分のブログが載せられているのは嬉しく思う反面、かなりのプレッシャーも感じていたので、今は寂しさ半分、安堵感が半分、と言ったところである。
さて、今回の話題は製薬会社のMRさんの病院訪問と薬の説明についてである。現在自分の勤務する病院は公立と言うこともあって、訪問時間と場所が決まっている。昔、民間の病院にいた頃は、医局の中まで自由に出入りしていたし、バブル華やかなりし頃は接待やら豪華な粗品を当たり前のように貰っていた。もちろん、そんなことは今は昔で、現在は主に薬のPRという本来の(?)業務のために病院にやって来る。
最近では、薬に関する大規模臨床試験が数多く実施されているせいか、それをネタにPRしてくることが多い。データを見せられると、確かになるほどと思うし、そのデータも有名雑誌に掲載されたものがリソースになっていることが多いので、信憑性はある程度担保されていると見てよいだろう。
しかし、自分が薬を使っている実感と、こうした大規模臨床試験の結果が、必ずしも一致するかと言うとそうでもないことも多い。その薬を投与して有意差があったといっても数パーセント効果があった程度、しかも何千例集めてのそれだから、ある意味当然なのかもしれない。統計学的には、Nが大きいほど信憑性が高いことは勿論なのだが、一人の医者が普段相手にしているNは数十例から精々数百例である。したがって、何千例、何万例集めて出された臨床試験の結果と、一人の医者の日常臨床の実感に差が出てくるのも知れない。もっと意地悪な言い方をすると、それだけのNを集めないと出ないような有意差程度では、とても一人ひとりの患者に対して効果を実感できないのである。逆に少ないNでそれなりの有意差が出れば、それは却って実感に近い物になる可能性はある。ただし、それでは論文にならないし、その薬に対する認可も下りないかもしれないが・・・。
似たようなことは、薬の副作用についても言える。最近では添付文書に改訂があるたびに、薬局や製薬会社、時には厚生労働省直々に安全情報が出されている。しかし、あまりの情報の多さに辟易させられてしまう。勿論、自分の専門分野で使う薬についての情報には目をとめるようにはしているが、恐らくこれらを隅から隅まで目を通している医者など一人もいないのではないか。患者さんに渡される薬の説明文書でもそうだが、ありとあらゆる副作用が並列的に書かれているため、その薬に対するあらぬ誤解や恐怖感を与えてしまうこともある。もう少し頻度別に整理できないものなのだろうか?そうすれば、医者も患者も、その薬に対する効果とリスクをそれぞれの立場から判断して、お互い安心して治療に当たれると思うのだがどうだろうか。
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自分が研修医の頃、指導医が時々研修医に向かって「君らは学生気分が抜けていないから・・・」と言っているのを聞き、当時は、それがどういうことを意味するのか解らず、内心非常に反感を抱いたことを、なぜか昨日のことのように覚えている。しかし現在、その研修医を指導する側の立場になって、その言葉の意味を噛みしめている。
学生と研修医の最大の違いは、なんと言ってもお金を「払う」か「もらう」かと言う点だろう。学生時代は自分の不勉強を棚に上げて「授業が悪い」「教官が悪い」と言っても、授業料を払う側だから、それを言う権利があるともいえる。しかし、研修医はいくら薄給とはいえ、給料をもらう側である。なのに、相変わらず上記のような台詞を吐き、更には平気で(たとえ数分でも)毎日遅刻、では社会人として失格だろう。
新臨床研修制度が始まり、各病院とも(一部の有名病院を除いては)研修医の確保には苦労している。自分の勤務する病院も例外ではない。研修プログラムがあるとかないとか、待遇云々を言う前に、自分が何をしたいのかがわからない、あるいはそれを真剣に考えていない人に対して、どんな立派なプログラムを用意してもムダなのではないか。
確かに大学受験の段階までは、授業の質や使っているテキストの出来が、学力に大きく作用すると思う。しかし、受験勉強や大学での研究と違い、一般病院でやっていることは、特殊な検査等を除けばほぼどこでも同じと言える。特に初期研修の段階での内容に関して言えば、それほど差があるとは思えない。これまで国策として、国民皆保険でどこでも一定レベルの医療が受けられるようにしてきたのだから、その医療を行う側の病院のレベルがある一定の水準に達しているのは当然と言える。もし医療レベルに関して不安があるとしたら、そもそも、何でわざわざ一般病院を研修先に選んだのか?
要するに研修がつまらないとしたら、それを病院や指導医のせいばかりにせずに、他ならぬ自分に原因がないかどうか、ということも少し考えて欲しいと思う。病院側も、初期研修が終わってから他の病院に移られたくないのか、やたらと研修医の意見に媚びているような所がある。しかし、もう学生ではない。回診時に大あくびを何度も平気でして、「こちらが眠くならないような回診をして欲しい」などと考えているとしたら、お門違いも甚だしい。また、そういう輩の言うことを唯々諾々と聞くな!と病院側にも言いたい。結局、そういう中途半端な医者を次々と送り出していけば、それこそそのうち研修医が誰も来なくなってしまうのではないか。研修医の御機嫌さえとっていれば大丈夫、などとタカをくくっていたら、大きなしっぺ返しを受けることになると思う。それは、現在の公立学校の惨状をみれば明らかだろう。
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全国規模の総会だけでなく、地方会や、周辺地区のみの研究会等、いろいろな学会・研究会に行って、以前より少し違和感を覚えていることがある。
それは、質問者が、「立派な御発表有難うございました」と言って質問を始めるのと、それに対応して、発表者が「御質問有難うございます」と前置きしてから質問に答えるケースが、最近増えてきているような気がすることだ。
前者に関しては、座長が言うのならともかく、百歩譲って質問者が言うにしても、確かに率直な感想から発せられた言葉なら、あまり気にならないのだが、その後に続く質問が明らかにその発表の揚げ足を取るような内容であったり、発表の内容とあまり関係のない「質問(というか御高説)」を長々続けられると、本当に白けてしまう。更に、そういった質問に対して、上記のような前置きの後に答えを言おうとする発表者には、「?」と言う気持ちになってしまう。
勿論、お互いクッションをおく意味で言っていることは解ってはいるのだが、どうも白々しさはぬぐえない。恐らく国際学会などで、同様の内容の英語が話されている影響なのかもしれないが、日本語にそのまま置き換えてしまうと、何とも滑稽なシチュエーションになってしまう、と感じるのは私だけだろうか?日本語は英語よりも敬語が豊富なので、いちいち心にもない前置きをしなくても、話し方で、十分に発表や質問に対して敬意を示したいのなら示せると思う。
というのも、一般演題に関して言うと、日本の学会の場合、国際学会などと比べると、発表・質疑の時間が概して短い。したがって一つのセッションのスケジュールもぎりぎりで、大抵、時間をオーバーして終わることが多い。そんな中で、上記のような解りきったバカバカしいやり取りを繰り返すのは、本当に時間の無駄のような気がしてならない。表面上の言葉の取り繕いよりも、発表(とそれに伴う質疑)のマナーの徹底(先に述べたように、発表と無関係な質問をしないなど)が先のような気がする。
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今回、ピックアップブログに取り上げて頂いて感謝しています。他の先生方と比べ、耳寄りな情報があるわけでもなく、あまりアクセス数も多くないブログなので恐縮しきりです。
このブログをはじめたのは今年5月で、最初はまた三日坊主に終わると思っていたのですが、飽きっぽい自分にしては、結構続いているほうだと思っています。
ただ、平日はどうしても仕事で疲れているし、勤務中の空き時間に書くわけにも行かず、特に最近は休日に更新するケースが多いです。
それに、いくら匿名とはいっても、あまりにも身近なことを書くと、どうしても身元がばれてしまう可能性があるので(匿名で出しているにも拘わらず、身元がバレて問題になったブログが過去にいくつかありましたよね)、どうしても書けないことは、やはり今でも自分の日記に書いている状態です。
しかし、個人の日記に書くのとは違い、こうしてブログに書くことは、他人に話したのと類似の効果が得られ、自分自身のストレス解消に繋がっている部分はあると思います。「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざ」と言いますから。
というわけで、このブログは、自分のストレス解消が第一の(というか殆ど唯一の)目的ですので、今後も役に立ちそうな情報はとても発信できそうにありません。ただ、これまで他の先生方のブログにも時々コメント等を書かせていただいていますが、私の下らないコメントに対し毎回丁重な返信を頂いており、この場を借りて感謝したいと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
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掲示板で、「女性外来が不振」と言う記事を見つけた(元の記事は下記参照)。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/20061007095100.asp
2006年10月7日(土) 東奥日報
これなども広い意味で「患者の声」に流された結果の失敗ではないかと思う。自分の個人的な推測だが、多分、担当医師たちは真剣にやっていたと思う。横着さの目立つ女性看護師とは違い、女医さんは概して真面目な人が多いからだ。余分な仕事を押し付けられ、挙句の果てに「患者が減った」とこういう形で病院側から公表され、挫折感だけが残ったのではないだろうか?
これまで同様の趣旨のことを何度か書いたが、現在の日本の医療は、市場主義、グローバルスタンダードといった世の中の風潮に流され、「お客様」「顧客」をそのまま「患者」に置き換えて安直に考えすぎるきらいがあると思う。「患者様」と言う呼び方はその最たるものだ。「お客様は神様」をそのまま横滑りして考えれば、当然「患者様の言うことは絶対」と言うことになってしまう。
しかし、ホテルなどの接客業は、接遇そのものがサービスのかなり主要な部分を占めるのに対し、医療の場合は前提が全く違う。ホテルの客はあくまで快適性や接客サービスそのものに対してお金を払っているわけだが、患者はあくまで「病気を治す」ために来ている。患者の声を無視してよいとは思わないが、最近の医療機関の姿勢をみていると、明らかに患者に対して卑屈になりすぎていると思う。これは、かつて学校側が生徒(やその親)に対して卑屈になってきた歴史と同じではないか・・・。それで、患者の満足度があがって訴訟が減ったかと言うと、全くの逆で、訴訟は増加の一途、患者は増長するばかりで、「患者様」と言う呼称を止める病院も出てきたと聞く。
学校の問題が出たついでに言わせてもらうと、最近は「生徒が先生を評価する」のも流行だそうな。確かにやる気のない教師に奮起を促したり、授業内容に関する要望はあっても良いかもしれないが、学校は「先生が生徒に勉強を教える所」であって、その基本線だけは崩さないほうが良いと思う。長年の学校バッシングの結果、最近では教師の指導力はおろか、学力そのものまで怪しい人が出てきて、これなども枝葉末節論に流され続けた結果ではないかと思う。「生徒の自主性を尊重し」続けた学校も、いまや少子化で存続の危機に立っているところも多い。勉強そっちのけで、生徒の要望だけを聞いていたような学校は、むしろ最近名前を聞かなくなってしまった。逆に、補習の充実など、勉強を教えることそのものに努力してきた学校が評価されるようになっているように感じる。医療も、事態が深刻化する前に(もう深刻化しているのかもしれないが)、「本来のあり方」を一日でも早く取り戻すことを望みたい。一時は辛いかもしれないが、結局それが最終的に患者の信頼を勝ち取る(=病院として生き残る)道ではないかと思う。
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総合病院に勤務している関係上、他の医療機関からの紹介状をもってみえる患者さんがいる。転居等で他の地域から来た人の場合、投薬継続でよい場合が多いのであまり問題にならないが、やはり周辺の医療機関からの紹介の場合、たまに首を傾げたくなるような紹介状がある。
最も困るのは、「後はよろしく」式で紹介しておきながら、自院で何を投薬していたかが記載されていないケース。最近は患者さんが投薬リストを持っていることも多いので、以前ほど紹介元に問い合わせる頻度は減っては来たものの、これは未だにかなりの頻度で見られる。というより、まともに投薬内容が記載されていることのほうが少ないのではないか。
二番目に困るには、何を診てもらいたいのか(要するに何の目的で紹介したのか)が解らないケース。以前勤務していた病院での話だが、病名(というか症候名)が十数個(しかも汚い字で)羅列されているだけで、殆ど内容のないものがあったのを覚えている。
三番目は、「入院」を前提に勝手に患者さんと話を決めてしまってから送ってくるケース。当然、入院が必要なケースはあるが、入院適応を判断するのはこちらの仕事(だから専門医に診て貰う様紹介したのでは?)。入院する用意を揃えて乗り込んできた患者さんが、実は入院適応がなく外来フォローでよい場合などは、説明に一苦労することになる。
現在開業されている先生は、かつては勤務医であったはずで、どうしてこうなってしまうのか・・・。特に、以前当院で勤務医をされていて開業された先生の中に、意外にも上記のようなケースが目立つのも、非常に不思議な気がする。
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患者の権利意識の高まり、医療そのものに対する風当たりが増す中、「患者様」と言う呼称は最早一般的となり、「医療はサービス業だ」と言って憚らない病院経営者も多い。しかし、私はこうした風潮には疑問を感じている。恐らく、医師(特に勤務医)の中には、同じ考えをお持ちの方も多いのではないかと思う。
こうした考え方は、接客業を生業とするホテル業からヒントを得たものではないかと思われる。確かに、昔のように患者を怒鳴りつけたりするのは論外だが、だからと言って「病院がホテルのようになる」ことが、医療の質を上げることに繋がるのだろうか?
昔は、病院食は冷えていて当たり前、配膳時間も職員の帰宅時間に合わせるため夕食などは16:30頃、病室も大人数で薄暗く換気も悪い・・・、と劣悪な環境だった。今はそれでは病院そのものが立ち行かない時代で、そういう点では昔に戻るべきではないと思う。アメニティと言う部分では、病院をホテルに近づけるのは悪いことではないし、治療成績の向上にも繋がる部分が大いにあると思う。
しかし、問題はやはり接遇面だろう。最近ははっきり言って横柄な態度を取る患者が多い。自分勝手で権利ばかり主張、約束は守らない、気に入らないことがあると匿名で投書したり、代議士や病院の上層部に圧力をかけさせる・・・。こういう人は、確かに以前からいたが、明らかに少数派で、病院側もそれとわかって対応していた。しかし、今は、病院のほうがすっかり弱腰になってしまい、こうした声に無原則に妥協することが良いことだと勘違いしているように思えてならない。時々、患者向けにアンケートを実施している病院があるが、はっきり言って愚の骨頂だと思う。患者側は匿名で、医療従事者への攻撃を推奨しているようなものではないだろうか。
実際、接遇面でホテルを真似ていた航空業界も、安全な運行に支障をきたしかねない乗客に対しては、断固たる姿勢で臨むようになってきた。しかも、国際的には、墜落しても補償には上限が設けられているし、事故原因の究明のために乗務員が免責されることもある。それに比べると、やはり今の日本の医療は明らかに異常な状態といわざるを得ないのではないか?
特に日本人には、「サービスを受ける側」は「サービスを提供する側」に対してなら何をしても良い、と考えている節があるような気がしてならない。医療も、広い意味では「サービス」だが、ホテルのようなサービスではなく、むしろ、たける先生(今回トラバさせて頂きました:http://blog.m3.com/Dr_Takeru/)が言われるような「行政サービス」に近いのではないかと思う。米国では、消防士は尊敬の対象らしいが、日本ではそこまでではないだろう。何でも米国式にするのがトレンドだが、形式だけ真似ても意味はないと思う。そこに「尊敬」や「感謝」の念がない限り、どんな制度を作ったり真似たりしても、殺伐とした世界が広がるだけではないだろうか。
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