自分が中学生の頃、学校が荒れ初め、「校内暴力」などが問題になり始めた。最初の頃は「学校が悪い」「教師が悪い」と、それまでは尊敬の対象だった教師がバッシングされ始めた。丁度、武田鉄矢主演のドラマがもてはやされた頃だ。その後、教師はマスコミや社会から散々バッシングされ、それは今に至るも続いていると思うが、それでも最近になってようやく「家庭」「親」の問題がクローズアップされるようになってきたように思う。
しかし、あまりにも気づくのが遅すぎた。最近では生徒やその親の歓心を買おうとする教師が増えてしまい、「勉強を教える」という根本を忘れたような人が多いように思う。それを反映してか、以前なら考えられなかったような教師の犯罪も多発しているように感じる。逆に、「百マス計算」で知られる陰山氏などのように、教育の基本を忘れていなかった人たちが、支持を集めるようになったと思う。
翻って、医師のほうはどうかというと、20-30年前に学校でおきていたことが、今医師に降りかかってきているような気がする。深夜に何のためらいもなく受診する患者たち、「医療ミス」に対する理不尽な判決・・・。いずれ真実は明らかになってくると思うが、学校の場合と同じようにそれに20年も30年もかかってしまうようだと、もはや建て直しがきかなくなってしまうのではないかと最近は危惧するようになった。
学校と病院、教師と医師というのは、本当に似た関係にあると思う。マスコミによる無分別なバッシングに加え、何でも米国式礼賛の風潮、それにおもねる一部の関係者・・・、数え上げればきりがない。ただ、こちら側にも問題がないわけではない。学校の場合、日教組との関係で共産主義思想に染まってしまって「何でも平等」がよいと考える教師が多く、それが結局自壊につながってしまった面もあるように思うが、医師に関してはどうだろうか?医療は現在のところ国民皆保険で一種の「平等」な状態が保たれているが、これをこのままの形で続けていくと、医師も教師と同じ運命が待っているのではないか?それでも学校の場合は、公立とは別に私立や塾・予備校があって、それが代替機能を果たしたと言えるが、病院の代替機能を果たす機関は何になるのだろう?
現在、医療費抑制が叫ばれているが、先進国中日本の医療費は最低レベルで、教育に関してもお金を出していないとよく言われる。防衛費も世界有数とはいえ、GDP比にすれば他の先進国に比べてそんなにお金をかけているとは思えない。とすると、世界第二位の経済大国と言われる我が国の予算は、一体何に使われているのだろうか。
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今や視聴率の女王とまで言われている細木数子がウリにしている六星占術。皆さん、特に医師などはこういった占いに対してどういうスタンスをとっているのだろう?
「医者のくせに・・・」と軽蔑されそうだが、実は私はこの六星占術をかなり信じているほうだ。ただ、今の形にして売り出したのは確かに細木だと思うのだが、呼称は違っても、12年の運命周期を基に占う本が、過去に違う著者によって出されている。私が、この占いをある程度信じるようになったのは、勿論過去の自分の人生とよく符合する部分があるからだ。
特に、大殺界と呼ばれる運気の落ちる3年間は、過去の辛い時期とよく一致していたし、良いほうの3年間もこれまたよく一致していた。ただ、最初のうちの12年周期は良く当たっていたのだが、何回りかするうちに、良いほうの3年間は段々短縮もしくは消滅してしまい、大殺界のほうだけは依然として的中し続けているという、何ともやりきれない人生になってきている。
やはり夢と言うか希望と言うのは、若い時期には大きいが、年とともに段々ちっぽけというかみみっちいものになってしまい、現実の厳しさだけが逆にのしかかってきている、そんな気がする。
話は変わるが、例の太陽系の惑星の問題は、冥王星を除くことで決着が図られそうだ。なぜこんな話を持ち出すかと言うと、六星占術は「水星人」「金星人」・・・と言う風に六つの惑星の名前で人を12通り(各星にプラスとマイナスがあるため)に分類しているからだ。したがって、「天王星人」までしかなく、「海王星人」「冥王星人」と言う呼称は最初から存在せず、今回の騒動に巻き込まれずに済んだと言うわけ。やはり細木は強運というか先見の明があるというか・・・。
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言われていたとおり、ついに首相が8月15日に靖国神社に参拝した。
案の定、マスコミは朝から大騒ぎ、中韓はこぞって非難声明を発表、とまあシナリオ通りの展開になった。それにしても、一体いつまでこの問題をやり続けるのだろう。参拝反対派は「参らなければいい」とか、「A級合祀を止めれば・・・」と簡単に言うが、それで収まる中韓ではなかろう。むしろこれまで相手国の顔色ばかりを見て外交をしてきたために、自国の問題にここまで付け込まれてしまった、というのが妥当な見方ではないだろうか。
その理由を考えてみるにつけ、やはり直近の戦争で日本が敗戦国になってしまった、ということに最後は突き当たってしまう。無論、戦争を望むわけではないが、今後もし世界規模、あるいは東アジア全体を巻き込むような戦争が起きたとしたら、日本は何が何でも勝たなくてはいけない。少なくとも戦勝国の中に入らなくてはならないと痛感する。「勝てば官軍」とはよく言ったもので、いくら第二次大戦前の日本の追い詰められた状況を説明しても、敗れて講和を受諾した戦後の状況が続く限り、日本の主張が今後とも(中韓を含む)世界に受け入れられることはないだろう。
それにしても、「識者」と呼ばれる立派な肩書きの面々が、これほど反日的な論評を繰り返しているのはどうしたことだろう。せいぜい自分の親か祖父母の世代の話だと言うのに、まるで他人事のように当時の日本を悪者扱いにして平然としている。自分がどこから生まれて来たのか、まともに考えたことがないのだろうか?自分は国家と言う枠組みにはとらわれない世界市民だ、とでも言いたいのだろうか。しかし、自分の母国がしっかりと存在していればこそ、他の国々の人々もまともに付き合ってくれるのではないだろうか。イスラエルが、世界の非難を浴びながらも自国を守ろうとし、台湾が中国相手に簡単に併合されないよう踏ん張っているのも、「故国のない悲哀」を知り尽くしているからではないかと思う。
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現在、勤務医の不足が深刻に叫ばれるようになっている。看護師不足は以前よりあったが、それ以外の医療関係者のうちで、近年「不採算部門」として最も削減されてきたのは事務員だと思う。
思い出してみると、自分が研修医の頃は各病棟に一人ずつ事務の人がいたし、外来も1診に一人は事務の人がついていた。看護師は既に不足していて、2,3診を掛け持ちしていたように記憶している。もっとも、病院の規模により事情は様々だろうが、その後、時間が経つにつれ、まず病棟から事務員がいなくなり、外来は委託になり・・・とどんどん事務員がいなくなったように思う。
その結果、事務仕事はどうなったかと言うと、電算化により、結果的にその殆どは医師がやらされることになってしまったと思う。ある本で読んだのだが、企業で時給の高い人間に、それよりも低い内容の仕事をさせるのが、最も効率が悪いのだと言う。例えば、部長がコピーをとったりお茶汲みをするなどして、マネジメントなど部長としての本来の仕事をする時間が少なくなってしまう場合、そうした雑用時間は時給に見合った仕事をしていないことになるわけである。
現在、病院の医療現場で似たようなことが起きているのではないか。確かに、地方などでは絶対数そのものが足らないところまで追い詰められているわけだが、そもそも雑用が増えて、本来の医療行為に時間が避けなくなったことに嫌気がさして病院を辞めていった人も多いのではないだろうか。医師の数を急に増やすのは不可能だが、事務員の数なら、現在は殆どが外注だろうから、予算さえ確保すれば大幅増員も可能ではないだろうか。
特に、ある年代より上のDrになると、コンピュータの操作が極端に苦手だったり、非常に遅い人も多い。しかし、医療そのものの経験や知識は豊富だから、事務員をもっと増やして医師の雑用を減らせば、状況はかなり改善するのではないかと思う。
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もうすぐ8月15日がやってくる。マスコミは例によって首相の靖国参拝を問題にしようと躍起だが、その8月15日の呼称については少し疑問に思うことがある。
それは、その日を「終戦記念日」とするマスコミが多いことだ。NHKは「終戦の日」としているように思う。確かに、戦争は良くないので、それが終わった日を記念日というのは自然とも言えるし、その日は日本国民が軍の圧政から開放された日でもあるわけで、「記念」に値する日かもしれない。しかし同時に、その日は今日に至るまで続く米国の日本支配の始まった日でもあり、我が国にとっては「終戦=敗戦」だったので、単純に「終戦記念日」と呼ぶのは少し違和感を覚える。
やはり、終戦の日を終戦記念日と呼ぶのは、そこに何某かの意図を感じずにはいられない。マスコミがこぞってそういう表現を使うことと、首相の靖国参拝を問題視することは、同根ではないかと思えて仕方がない。
中韓は確かに首相の靖国参拝を批判している。それは事実だろう。しかし、両国とも国内の問題も別個にあるわけで、靖国ばかりをこれほど執拗に問題にしているのは、日本のマスコミのほうではないかと思えて仕方がない。もっと他に取り上げるべきテーマはいくらでもあるのではないか。これほど日本と言う国を憎み、中韓あるいは欧米シンパで、それでいながら日本国内で仕事をしているマスコミの人間の頭の中はどうなっているのかと思う。自己矛盾に気づかないめでたい人間の集団なのだろうか。
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今日、高校野球が開幕する。普段あまり興味があるわけではないが、甲子園での開催を続けることには少し疑問を感じている。
東京ドームができてから、福岡、大阪・・・と各地にドーム球場が建設されている。主にプロ野球球団のホームグラウンドなわけだが、一つだけ「微妙」な立場にあるのが大阪ドームだ。かつては近鉄の本拠地だったが、例の球団合併で、現在はオリックスの本拠地に一応はなっている。しかし、もともとグリーンスタジアム神戸が本拠地だったため、オリックスは本拠地2つと言う変則パターンになっている。
そこで、春はともかく、夏だけでも高校野球を大阪ドームで開催できないものかと思う。高校野球関係者にとって、「甲子園」が特別な存在であることはよく解っているつもりだが、それでもあの夏の炎天下で高校生に試合をさせるのは、酷というものだろう。昔と違い、クラブ活動中に熱中症になって、最悪の場合死亡するケースも報告されるようになった。夏だけでも大阪ドームでやれば、阪神も「死のロード」に出ずに済むので、高校野球、プロ野球双方にとってメリットは大きいと思うのだがどうだろうか。
しかし、あの阪神大震災のときでさえ、春の大会が他の施設で行われることはなったことを考えると、他施設での開催など、関係者にとっては考えられないことなのかもしれない。それならせめて西武ドームのように、屋根を後付けすることはできないのだろうか。
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昨日のボクシング。亀田は判定でベネズエラの選手を下してチャンピオンになった。
試合直後から、抗議の電話が報道各局に殺到。各種批判記事もオンパレードなので、今更ここに書くのも変だと思うが、やはり一言言わずにはいられない気分だ。
亀田三兄弟に熱狂的なファンも大勢いるようだが、試合後の歌に代表される派手なパフォーマンスを見るにつけ、私自身は彼らに対しあまり良い印象を持っていない。一緒にしてはいけないのかもしれないが、取り組み後の一悶着でちょっとした騒動になったこの前の大相撲は、「礼に始まり礼に終わる」が一つのキーワードだった。ボクシングの場合は、試合前からの激しい舌戦が恒例なので、対戦相手をボロクソにけなしても良いのかもしれないが、少なくとも自分が勝った試合後、敗れた相手の目の前で歌を歌うなどのパフォーマンスは、私にはどうしても受け入れがたいものだった。敗者への思いやりが、そこには微塵も感じられないからだ。
こういう流れからすると、とにかく「勝ちさえすればよい」という亀田陣営にとって、KOされず判定にさえ持ち込めば、後は何とでもなる試合だったのだろう。しかし、彼はまだ19歳。今回もし敗れていれば、多くの教訓を学べていたと思う。勝って反省するのは至難の業で、負けなければ真の反省はありえないと思う。今回の「勝利」で、彼が選手として短命に終わってしまい、真のボクサーになれずに、単なる「ボクシング芸者」で終わってしまうのではないかと、危惧するのは私だけだろうか。
昔は、こうした世界戦で、日本の選手がいかによく戦っても、外国(特に欧米)の選手の勝ち、と言うことがよくあり、子供心にも随分口惜しい思いをしたものだ。今、日本は発展途上国の選手に対して同じことをしているように思えてならない。「弱いものいじめ」をしたしっぺ返しは、必ずあると思う。その時になって後悔するようなことがないようにしてもらいたいものだと思う。
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