2006.06.25 14:13 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  枕流  | 推薦数 : 0

奈良の事件に思う

連日報道されていて、徐々に真相が明らかになりつつある奈良の医師宅放火・致死事件。逮捕された高1の長男は、父親に学校の成績のことを厳しく言われ、時には暴力を振るわれ、ついにその怒りが爆発した、というのが動機だと報道されている。

 

それにしても、高1の夏休み前というこの時期の試験の(しかも校内の)成績が、2年以上先の大学受験にどの程度影響するというのか。経験者であるはずの父親が、少し冷静になれなかったのだろうかと思う。自分は、地元の公立高校でのんびり過ごし(そのせいで浪人してしまったが・・・)、一流の中高一貫校と単純比較はできないのかもしれないが、高2までの試験の成績と、浪人生が混じってくる大学受験模試のそれとでは、難易度・受験者のレベルとも天と地ほど違う(サッカーにたとえるとJリーグとW杯か)。かくいう自分も、当時は目の前の試験の成績に一喜一憂したものだが、今考えてみると、こうした近視眼的なものの見方のために、随分回り道(時間の浪費)をしてしまった、という感が強い。その意味で、この父親の学歴・経歴には少し興味がある。

 

長男の勉強部屋を「ICU」と呼んでつきっきりで指導していたそうだが、これでは息が詰まってしまう。自分も、親からいろいろと「指導」された物事というのは、未だになかなか身についていない。一方、親が手出しのできなかった分野は、それなりに身についているように感じる。父親は、指導者ではなく、よきアドバイザーになれなかったものかと思う。幼少時なら、親が強権発動しても子供はつき従うかもしれないが、さすがに高校生の年齢になれば、そういうやり方で引っ張っていくことは難しい。報道によれば、放火の前には、この父親を殺そうとして未遂に終わっていたそうだから、実際自分の身も危うかったわけである。

 

この時期の進路決定が、結局その後の人生、いやその人の人生を決定してしまうことになるので、親も子もそれぞれの想いがあって当然だろう。いくら子供本人の人生だといっても、それまで育ててきた親の願いというものも当然ある。置かれた状況下で何を望み、何を望んではいけないのか、それを親子で普段から忌憚なく話し合うことが、大切であるように思える。かつて自分も、それができなかったことを(そうすることで結果が良かったかどうかは別として)未だに非常に後悔している。

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2006.06.21 20:31 |  その他(一般)  |  枕流  | 推薦数 : 0

反小泉・親小沢

イラクからの陸自撤退が決まり、ここまで自衛隊員に一人の犠牲者も出ず、本当に安堵している。派遣当初は、必ず犠牲者が出ると予想されていたので、ここまでの経過は本当に奇跡とさえ言えるかもしれない。

 

さて、今回の件についてのマスコミの反応だが、相変わらず批判的な論調が多い。米国の強い要請を受け、小泉首相には他の選択肢がなかったことはわかっているはずなのに、今回の派遣の問題点などをあげつらい、とにかく何とか「失敗」という結論に持っていこうとする論調に、少しうんざりさせられた。

 

小泉政権はこの9月で終わりを迎えるが、この間、小泉批判を繰り返してきた人たちは、どちらかというとこれまで「政治のプロ」を自認していたような人が多いような気がする。これまでの常識が小泉政権には通用せず、ことごとく予測をはずされ、憤懣やるかたないといった印象だった。一方、こうした人たちは意外に民主党の小沢代表の支持者が多いようにも感じた。

 

私は小泉政権の施策が全て正しかったなどとは思っていないし、確かに問題点もあったとは思う。しかし、小泉政権以前の政権で、良かったと思える政権も浮かんでこない。一方、民主党代表に就任後の小沢氏は、これまでよりはよくその任を全うしているとは思うが、それでも「小沢政権」ができて欲しいとは思わない。首相を辞めた後、小泉氏が自らの政権を振り返って、どのような発言をするのか、私は密かに期待している。

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2006.06.19 20:20 |  スポーツ  |  その他(一般)  |  枕流  | 推薦数 : 0

簡単には変わらない

サッカーワールドカップ2戦目。日本はクロアチアと引き分け。日本は前回のオーストラリア戦よりも出来がよく、クロアチアは逆に前回のブラジル戦よりも出来が悪く、結果的に引き分けになったような気がする。日本は良く守ったと言えるかもしれないが、相手の攻撃ミスに随分助けられたような気がする。下手をすると、4,5点取られていたかもしれないような展開だった。

 

逆に、攻撃のほうはというと、ずーっと前から言われている「決定力不足」は、如何ともし難いようである。自分がボールをもらっても、なかなかシュートを打とうとしない。いや、相手に打たせてもらえないのかもしれないが、1戦目終わった後ににわかにミドルシュートの練習をしたくらいでは、やはりどうにもならなかったようだ(実行に移していたのは中田だけだったように思う)。

 

守りのミスは失点につながり、したがって敗戦につながる恐れがあるが、攻撃のミスは得点にならないだけで失点にはならず、したがってそれだけでは負けないわけだから、失敗を恐れずにシュートできるように、普段からチームとして心がけておく必要があるのではないか。後半開始直後に柳沢のシュートミスがあったが、相手はそれ以上に何度も攻撃ミスをしており、それでも結果的にドローなのだから、攻撃のミスをあまり言い立てないような環境づくりが(マスコミ・サポーターを含めて)必要なのではないか。

 

日本の教育は減点主義とよく言われるが、こんなところにまで影を落としているような気がする。加点主義で行くところと減点主義で行くところを、うまくミックスさせていくにはどうしたらよいのか。弱点というのは、なかなか簡単には克服できないようである。

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2006.06.17 23:18 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  枕流  | 推薦数 : 0

変わらない体質

第二次世界大戦から年数が経ち、色んな資料が公開されるようになって来たせいか、当時の日本に関する記録を本で読んだりすることが多い。

 

第二次大戦前にノモンハン事件というのがあり、日本はそこでソ連相手に大損害を被ったというのは有名な史実だが、その時も、現場の兵士はかなり勇敢だったようで、敵の大将の日記には、日本軍について、「いざとなると大佐クラスまでが突進して来て、これほど勇敢な兵隊は見たことがない」と記す一方、「上層部は全く無能かバカとしか思えない」と記していたそうである。また、米国との戦争でガダルカナル島の戦闘は有名だが、その時の生き残りの人の話が伝わっていて、(日本軍が)いざ撤退する時になって、こんなに将校が多かったのか、というのが兵隊たちの実感だったそうな。つまり、戦闘中は洞窟の奥に隠れていて、撤退する時にぞろぞろ出てきたということらしい。

 

翻って現在はどうかというと、事態は全く同じ構図だと思う。日銀の福井総裁は、ゼロ金利で一般国民に犠牲を強いておきながら、自分はちゃっかりインサイダーまがいのやり方で利益を上げる・・・。ばれても辞任せず開き直る有様である。彼らは自らをエリートだと思っているのかもしれないが、こういったことはエリートではなく卑怯者のやることだ。

 

冷戦後の世界を、第一次大戦後の世界とよく似た状況だとする意見があるが、もしそうだとすると、現在の日本の状況は非常に危険な兆候が現れてきていると思う。

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2006.06.16 23:19 |  お金 / 株  |  その他(一般)  |  枕流  | 推薦数 : 0

明石大佐と福井総裁

日銀の福井総裁が、インサイダー取引疑惑で逮捕された村上ファンドに資金を提供し、ぼろ儲けしていたことが問題になっている。本人に辞任する気は今のところないようで、首相も罷免する気はないようだが、私はやはり責任をとって自ら辞任すべきだと思う。

 

以前、本で読んだことがあるのだが、日露戦争の時、明石大佐という人がいて、機密費をふんだんに(現在のお金で百億円相当)使ってロシアの後方かく乱作戦を行い、陸軍何十個師団分にも相当するといわれる活動をしたとされる。しかし、彼は、妻から自宅の屋根の修理が必要だと言われた時、大金を託されている手前、雨漏りでも我慢するよういい含めたという。

 

何も、日銀総裁だから一銭も儲けるな、とは言わないが、「李下に冠を正さず」「瓜田に靴を入れず」との諺もある。仮に、法律的に問題がなくても、疑われるような行為は慎むべきではないのか。この問題が明るみに出た後の往生際の悪さといい、これが経済大国といわれて久しい日本の金融政策のトップの姿なのかと思うと、本当にがっかりさせられてしまう。

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2006.06.14 20:11 |  スポーツ  |  その他(一般)  |  枕流  | 推薦数 : 0

少し倒れすぎ

いよいよサッカーワールドカップが始まった。世界は甘くないとは思っていたが、日本は初戦黒星。1勝1敗1分か1敗2分の得失点差(WBCの時みたいに・・・)で何とか2位通過を・・・と願っていたが、オーストラリアに敗れてどちらの可能性もほぼなくなったと見てよいだろう。ブラジル対クロアチアも少し見たが、ブラジルは勿論、クロアチアもとても日本が勝てそうな(あるいは引き分けに持ち込めそうな)相手ではなさそうだった。

 

オーストラリア戦の敗戦を受け、早くもジーコ監督の采配やGK川口のプレーなどに対して批判が出始めている。しかし、自分が気になったのは、あの試合で日本選手が相手に当たられて長時間(しかも不必要に)倒れていたことだ。確かに相手はデカイから、タックルされれば倒れても致し方ないのかもしれないが、相手のファウルをアピールしたいのか、いつまでも倒れこんでいる姿は、正直言って少しみっともなかったように思う。今大会の他の試合を見ても、長く倒れていて、相手がファウルになったりイエローカードをもらったりしていることは殆どないようだし、倒れた選手は大抵すぐに起き上がってプレーを続行しているケースが殆どのように感じた。その意味で、少し世界の流れから取り残されかけているようにも感じた。

 

また、他国には、大抵ヨーロッパの一部リーグのレギュラークラスが何人かいるようだが、よく考えると、中田なども、現在は試合に出たり出なかったりのようで、先発メンバーではなかったようだし、その意味で、選手個々を比較してみても少し劣る部分があるのかもしれない。あと2試合、悔いの残らない試合をして欲しいが、それにしても、トリノオリンピックといい今回のW杯といい、日本と世界の差がどんどん広がっていくようで、非常に口惜しい。

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2006.06.11 15:57 |  診療  |  研究  |  枕流  | 推薦数 : 0

医療経済学とEBM

ここ1、2年くらいは以前ほど聞かなくなったが、その前の数年間、耳にたこができるくらい聞かされたのが、「医療経済学」と「EBM(Evidence Based Medicne)」という言葉だ。こうした用語は、それまでの医療界に馴染みがなかったので、学会等でもシンポジウムが開かれたり、その道の「専門家」と称する人たちの講演があったりと、ひところはかなりもてはやされ、これからの医療には不可欠のように言われていた。

 

しかし、具体的な内容を聞いてみると、現場の臨床をやっている人間にとって何かプラスになるような内容が含まれていたかというと、殆ど何もなかったというのが現在の実感だ。以前ほど騒がれなくなったのも、用語や考え方が浸透したせいもあるのかもしれないが、やはり中身が殆どなかったためにあまり取り上げられなくなったせいもあるのではないか。

 

まず、医療経済学について言うと、患者に経済的負担をかけないように、安価な薬を使用したりするような配慮は以前からしていたことだし、「薬漬け」との批判は以前からあって、本当に継続が必要な薬かどうか、減らせないかどうかは普段から心がけていたことだ。また、抗生物質などは、逆に漫然と投与すれば耐性菌出現の問題もあり、更に日本では保険審査が過剰なほど厳しい場合もある。したがって、我が国の場合、「医療経済学」と声高に言わなくとも、現行の出来高払い制の元でさえ、一定の歯止めがかかるようにはなっていたといえる。

 

また、EBMについても、確かに実際の証拠がなく漫然と信じられていたり、行われていたことをもう一度再点検して、現実にそぐわない無駄な医療行為を排除する効果はあったと思う。しかし、あることが経験上解っていても、「証明されていないから」といって、その検査や治療行為がナンセンスだと決め付けてしまうのもどうかと思う。今後行われる臨床試験等で、効果が証明されることもあるかもしれないのだから・・・。

 

何が言いたいかというと、この二つに共通するのは、それが殆ど米国の受け売りで、無批判に直輸入されているという点だ。日本で医療をやっている人間に対して、経済用語を一杯駆使して数字の分析をされても、今後それをどういう形で生かして行ったらいいのか、という具体的な提言を、医療経済学の「専門家」の講演から聞いたことは一度もなかった。少なくとも私には、彼らはただ出てきた数字をこねくり回して自己満足しているようにしか見えなかった。また、EBMについても、新たに何かが解ったというよりは、今まで経験上言われていたことを実際証明したというだけで(それはそれで貴重なことなのかもしれないが)、どちらかというと後ろ向きの学問というか、訓詁学のような印象を私自身は持っている。一流と目される雑誌が、そういうものしか取り上げなくなってきている(要するに結論は既に認知されている事柄であるために通りやすい)ような気がするのだが、考えすぎだろうか。

 

目新しい言葉や考え方に飛びつくのは、マスコミならまだしも、学会や専門家の集団が安易にやるべきことではないように思う。雑誌のImpact factorの問題もあり、どうしてもその時のtopicに関心が向かうのは、ある程度やむをえないのかもしれないが、毎年学会に参加して、2,3年周期でコロコロ主題が変わってしまうのを目にしてしまうと、根本的にマスコミと同じではないかと幻滅してしまう。

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 最近の医療訴訟のニュースを見ていると、我々医療従事者からみて、どうも納得のいかない判決が出ていることが多い。人間も生物なので、いつか必ず死ぬわけだが、どうもその大前提を忘れたかのような判決が多いような気がする。当然、治療行為というのは、何がしかの介入をするわけだから、プラスの面とマイナスの面があるわけで、それらを相殺してゼロかプラスならもちろんOKなのだが、マイナスになったら全て医療ミスだ、説明不十分だ、生きる機会を奪われた、などと叫ぶのは、少々早合点が過ぎる。そうした「事件」になるほどの症例の場合、放置すれば確実に、しかも早期に死に至っていた可能性が高い。いくら結果責任といっても、例えば航空機事故でもパイロットの責任や航空会社の賠償額には上限が設けられているように、どこかで免責の線引きをしないと、医療関係者だけがこのまま「無限責任」をとらされるようだと、本当に医療そのものが萎縮してしまうのではないかと思う。

 

 そこで思い出すのは、第二次世界大戦のときのわが国のありようである。軍部・大本営の上層部は全くの無能でセクショナリズムに陥り、無理な作戦を立てては失敗の連続、しかもその責任を問われることもなく出世していく・・・。丁度、現在の官僚機構とよく似ている。当時、米国の側は、パイロット一人を養成するのにかかるコストを冷徹に計算し、パイロットを無駄死にさせないようにする防御兵器(レーダーなど)を開発。結局、戦争を勝利に(我が国にとっては敗戦に)導いた・・・。

 

 現在のような無茶苦茶な判決を出し続けて、医師をどんどん失職に追い込んでいけば、上記と同じような事態が起こってくるのではないか。それでも、そういう判決を出した裁判官、訴追した検事、原告の弁護士たちは、何ら責任を問われることはないだろう。厚生労働省も「医師が減れば人件費が減って医療費削減になる」などと考えていたら、見当違いも甚だしいのではないか。訴追されるほどの医師は、当然のことながら病院の主力でやってきている人たちであり、彼らと同じキャリアになるまでの医師を一人育てるのに、どのくらいコストがかかっているのか、そこから計算しないといけないのではないだろうか。「それは文部科学省の管轄で、ウチとは関係ない」とでも思っているのだろうか。またも歴史は繰り返すのだろうか・・・。

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