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2009.01.21 09:00 |  診療  |  おっさん  | 推薦数 : 1

医学に限らず、基礎研究は大丈夫なのか?

新技術というのは大なり小なり、世の中を便利にするもの、とそう思われて開発されてきた。新しい発見が生活を変えるかもしれない。

毎年ノーベル賞がアメリカ人を中心に贈られているが、受賞した「発見」のほとんどが数十年前の研究だ。

日本人がとったと大騒ぎしていたが、理論物理であったこと、それが、現在の実験主流の科学と少し距離がある感じがする。

無論、化学賞や生理学賞の研究は、「思考」でとったものでなく、「実験」でとったものだから、私の指摘は正確ではないと言われるだろう。

大河内伯爵が作った理化学研究所、ビタミンなどの現在のサプリ、ウサギの耳にタールをひたすらすり込んだ癌の研究、このクラスの研究が今の日本でされているのだろうか。無論、戦争の影響はあったかもしれない。戦争が科学を発展させたかもしれない。

最近の医薬品をみていると、販売戦略ばかりに金がかけられていて、実際、これが従来の治療を上回るものなのか、疑問を感じるものがとても多い。

売る側にとってはパテントが切れるまでが勝負である。

しかし、そうやって、経済原理優先で人間の体が消費されているとしたら、本来、病気を治すための、意志や目的は隅に置かれるだろうことは容易に想像できる。

だから、基礎研究も、売れそうなもの、にかたむきがちだ。それは、失敗を重ねた新発見とはほど遠い。アメリカの現在の研究土壌はそういうことに近いのはないかと危惧する。

日本も同じだ。

企業で働く人、上にいけるのは、「たくさんものを売った人」だ。そこには、これを買った人がどうなるのだろうか、と考えるヒマはないし、そんな罪悪感は会社の命令、の前では吹き飛び、忙しさの中で置いてかれる。

世間ではそういう人が「成功者」と呼ばれる。

株主がつよくなれば、株価があがり、儲かることが使命であるから、失敗や繰り返しの多い、「新発見」より、すぐ売れる、すぐほしがる、あるいは、前のコピーなど、そういう発見がありがたがられる。

医療の場合、よく考えもせずに薬をだし、なぜなら、診察なんかしていたら、病歴をしっかりとっていたら、患者がさばけないから、症状ごとに薬を出した方が楽なのだ。しかし、こういう医療をしてもなんら法律では問われない。

医師個人が責められるべき事例もあるが、大半はそういう診療報酬体系になっていることが問題だ。

なにしろ、サラリーマンの昼飯代より安いのである。

そのうち、カップラーメン並みの診察料になるだろう。

 

 

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