日本にはあらゆる職業についてシステマテックな教育が存在しないのではないかという、一文をかつて書いたが、最近「裁判官はなぜ誤るのか」という岩波の本を読んでその印象がよりつよくなった。
つまり、先輩から後輩へ、というまるで、学生の頃のスポーツクラブのような教育システム、ある意味原始的な制度がいわゆる「プロ」の世界を支配しているのである。
これは医者の世界を知るものならだれでもわかっていると思う。海外で最初から教育を受けた人は違うと思うが、医者の世界はまさに徒弟制度である。最近はこれも崩れ、「師」さえ、いない状況だが。。(昔からいないよ、という議論もある。)
そこで、登場するのが、「マニュアル」である。
機能評価の登場から、このマニュアルがどんどん跋扈してきた。精神科ではあの、DSM,ICDである。大学病院の教授がよく言うのは、「この診断基準が、土俵なのだから、そのなかにまず、診断を当てはめて議論する。」ことをつよく主張する人が多い。結果、誤診の嵐である。潜在的に現在の精神科医療が抱える問題は大きいと思われるが、あまり話題にされていない。(それでも、予算を担う側の行政はクリニックの締め付けには敏感であり、十分問題意識をもっているが。。。)
さて、裁判官にも「マニュアル化」が跋扈しているようだ。法律というのは、わたしは知らんが、医学で言えば、症候学や検査データーの正常範囲など、まあ、とりあえずの基本であると想像するが、よって、扱う人間や対象とする人間によって変わり得るものであると、そして、医学の場合は健康にさせる、ということ、法律に於いては正しく裁くという、理念があって、法律の場合また、推定無罪なんつう、あやふやなら、無罪にしろ、みたいな崇高な?被害者にとっては乱暴かもしれない?理念があるわけで、つまり、どちらも人を対象とした仕事であることに変わりはない。
だから、不確定要素がつよいということだ。これは本来マニュアルというものとまったく反する対象なのだ。そもそもマニュアルも、あくまで、マニュアルですよと断っているのだし。しかし、それを扱う人間によって、都合のよいように処理される。まことにもって、人間の生活や健康がこんなもので処理されているかと思うとおそろしい。最近の医者に対する世論に便乗した判決をみれば明らかである。
裁判官を批判するのはたやすいですよ。しかし、これは制度の問題なので、やはり政治力でどーにかすべき事だと思う。陪審制度がだから、できたじゃない?といわれるかもしらんが、はっきりいって、骨抜き制度ですので。官僚支配は崩れません。前も書いたようにグローバリズムから言えば、骨抜きでよかったとも言えるが。。。わたしって、いい加減でしょうか。ようするに陪審制度によって、今ある制度の問題点を解決しているわけではないのである。
医者の世界も、厚生省のや製薬会社の情報戦略とマニュアル化でなんか、人の健康や生活をもてあそんでいる気配はないですか?これを日本人的従順性で理解してしまうのはあまりに短絡的です。
自分の家族が病気になって人に任せるとき、研修医などにものを教えるとき、どうも自分の持っている情報や考えがおかしいのではないかと、ふと振り返ることあります。もの社会に振り回されて、物質的に豊かになることばかりたたき込まれた日本社会でしたので、そろそろ、創造性をかきたてて、相手の立場や考えを思索する時間がきているんじゃないですか。忙しくて、無理。。と言われるかもしれないが、それで開業する先生もわんさかいるが、でも人間であることを忘れてはいけません。
あ、説教臭くなってしまいました。
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