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< 病院食堂の矛盾 | メイン | 魂のバッグ換気 >
2007.10.12 01:48 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  医療事故  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 3

Trust But Verify

医者として働いていても、本当に自分の力で患者さんを治した、というケースは非常に限られているとしばしば感じます。

非常に大まかですが、入院患者さんの4割は余程のことをしない限りどんな医療をしても治る患者さん、4割は何をしても治らない残念な患者さん、そして残る2割がグレイ・ゾーン、つまり、生きるか死ぬかが医者の手に掛かっている患者さんである思っています。

残念ながら、何をしても死ぬような患者さんの割合は社会の老齢化が進むにつれて拡大しているような印象を受けます。どうせ死ぬなら、「侵襲度の高い先端医療で最後まであがくよりは、自宅で安らかに」という選択も大いにありかなと考えます。そういった選択が尊重されるようになると、医療費の削減にもつながるでしょう。

また、アメリカでは医療保険を持たない患者さんが4500万人(つまり国民7人に1人)もいるため、多少のことでは病院に掛かれない、または掛かりたくない患者さんが大半います。こうした患者さんは、病院に来る頃には余程重症化している場合が多いと感じます。実際、グレイ・ゾーンの割合は年々増えているような印象を受けますし、その一方で、何をしても治るというような気楽な患者さんは次第に減ってきているような気がします。

さて、このグレイ・ゾーン患者さんですが、あたかも崖を転がり落ちる患者さん、とでもいいましょうか。誰か医者が気づいて捕まえてあげれば助かりますが、たまに物凄い勢いで転がっていくため、いくら走っても追いつかず、結局崖から転落して死亡、という場合もあります。

マルコム(仮名)もそんな患者さんの1人でした。彼の主訴は「一歩前進、二歩後退」という意味深なものでした。つまり、一歩前に進むたびによろけて二歩下がってしまう、というのです。ただ、彼がICU(重症病棟)勤務初日であった私の下、朝7時頃に嵐のように担ぎ込まれてきたときには既に意識もなく、血圧や呼吸も不安定な状態でした。

結論から述べると、彼は人食いバクテリア(Fresh-Eating Bacteria)と呼ばれるグループA連鎖球菌の一種によって壊疽性筋膜炎(Necrotizing Fasciitis)を起こし、毒素が体中に廻って瀕死状態になっていたのでした。

この壊疽性筋膜炎というのは非常に恐い病気で、罹ったら7-8割の確率で死にます。原因は傷口から侵入する連鎖球菌やブドウ球菌、バクテロイデスやビブリオといったばい菌です。普通の感染なら皮膚が腫れる程度で治まるのかも知れませんが、この病気では感染は皮下組織まで広がり、筋肉を覆う筋膜を介して物凄いスピードで広がるのです。また、ばい菌が創り出す毒素が血液を介して体中にも広がり、血圧がストーンとさがったり、心臓がとまったりもするのです。抗生剤は必要ですが不十分で、内科的に有効な治療法はありません。疑いがあれば直ぐ外科を呼び、切開して感染部分を切除する以外に生きる道はありません。

マルコムはまさに崖っぷちへ猛スピードで向かっていたのです。私達も必死で追いかけました。が。

この病気の恐いのは、明らかに重症である患者さんに比して、肝心の感染創はあまり目立たない点です。今回もそうでした。マルコムは麻薬中毒者であったため、体中に注射の跡がありました。確かに腿の一部に多少皮膚の固くなった部分があったのですが、触ってもガスや水分が溜まっているような所見はありませんでした。外科医にも見てもらいましたが、彼も「さあ、あまり大した所見ではないですね。エコーでも見てみましたが、特に水分やガスが見られませんでした。膿瘍はなさそうですね。」まさかこれが人食いバクテリアによる仕業であるなんて誰も夢にも思っていなかったのでしょう。「膿瘍だったら外科が切開しないといけないが、その必要もなさそうか。」そう思って私達はマルコムを追いかける足を少し休めたのでした。

その日の夕方、ようやく彼の状態が一瞬落ち着いたかに見えたため、ICUのある6階から地下にあるCT室まで行って全身のCTをとりました。その結果を放射線科が連絡してくれましたが、彼も壊疽性筋膜炎の症例を見たことがありません。「患者さんはスキン・ポッピングしてたんですよね(麻薬を針で打つこと)」「はいそうですが、何か見えましたか?」「うーん、筋肉内にガスが多少見えるのですが、多分その所為でしょう」「膿瘍の可能性はありますか?」「いや、そういった所見ではないですね」「分りました、どうもありがとう。」いよいよ安心した私達が、つかの間の仮眠を取りにいったのは12時を廻っていたと思います。

・ ・ ・ 

ドンドンドン。「先生、ドクトル、居ますか?ドクトル、今皆でマルコムを蘇生中ですよ、早く来てください!」その叫び声で起こされて、目をこすりながらICUに向うと、マルコムが心肺停止を起こしたらしく、蘇生術が既に始まっています。私もレジデントと一緒になって動き回り、そのときは何とか心拍が再開したのですが、その夜、もう2回心肺停止を起こしたのです。

翌朝、放射線科のアテンディングがマルコムのCT像を読み直し、「もの凄い壊死性筋膜炎が筋肉まで進行している」と報告してくれたころには既にもう一度心肺停止が起こったあとでした。至急、外科を再び呼び、マルコムは手術室へ行きました。感染が著しく、外科は彼の足の殆どを削ぎ取るような手術を余技なくされましたが、翌日彼は亡くなりました。来院後3日目でした。結局、私達の診療も「一歩前進、二歩後退」だったのです。

この日、私は外科医や放射線科医など他の科にだけ頼るのは辞めよう、自分がもっとしっかりしなくては、と心に刻むのでした。

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ドクトル貧乏先生こんにちわ!
 私も20年以上前に、KANSAS CITY,MO で、医学校を卒業して、今ロス近郊でFPとして開業しているものです。記事を、全部読ませていただきました。とても面白く、一般の方にも分かりやすいように、このブログを書かれていますね。是非、将来M3の許可をえて、本を出版されれば、ベストセラーまちがいなしです。
 私がインターンだったのは、1983年7月から1984年6月でその後3年のレジデンシーを終えたのですが、その時の自分の経験を思い出しながら、ゲラゲラ笑いながら、記事を読ませていただきました。この1年間は、いろいろ辛いこともあると思いますが、体に気をつけてがんばってください。陰ながら応援しています!!
written by DAICHAN / 2007.10.13 19:27
DAICHAN 先生、

暖かいお言葉ありがとうございます。

83年からインターンをなさっていたとのことですが、そんな前から既にアメリカにパイオニアな日本の先生がいらしたんですね、しかもカンザス・シティーに!

その頃のお話などをいずれ伺える機会があるといいですね。今後もどうぞ宜しくお願い致します。

written by ドクトル貧乏 / 2007.10.14 05:04

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