ドクトル貧乏
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2008/12 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

< 前のページ
2007.11.14 02:27 |  診療  |  研究  |  医療制度 / 行政  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 2

補助人工心臓

以前、東京の骨董通り辺りを車で走っていたときのことです。信号が黄色から赤に変わり、止まろうブレーキを踏むと、パス、パス、と音がするだけど一向に止まりません。マズイ、もうこれは無理だ。左から出てくるBMW,右から出てくるタクシー、どうせぶつかるなら一般人、とハンドルを左に切ってタクシーをよけ、あとはどうにでもなれ。と、覚悟を決めていたのですが、あら不思議。私の車は何にもかすりもせず、散歩客で賑わう土曜日の交差点を無事に越えることが出来たのです。と、安堵した瞬間、前方にまたしても赤信号を待つ車が!私はとっさにギアをNに入れ、思いっきりパーキング・ブレーキを引いて何とか車を停めることが出来ました。

あとからJAFの方に聞くと、車のブレーキが「空中分解」していたそうです。ブレーキの利かない車は、たとえ時速5kmで走っていても止まる保障がないので大変恐いものです。

また、先日は乗っていた友人の車のエンジンがやられました。どうやらオイルが漏れていたらしく、気づかずに運転していたらエンジンを焦がしてしまったようです。エンジンの利かない車もまた怖いもので、ちょっとの上り坂でもどんどんと後ろへ落ちていくのです。

車でもこうなのですから、これが自分の体だったらどんなものでしょう?

前置きがいつものように長くなりましたが、今回は補助人工心臓のお話です。

皆さん御存知のように心臓は毎分60~100回、毎時間、毎日、毎年打っています。体が運動をすればもっと早く、休んでいればもっと遅く、それでもずっと打ち続けているのです。驚異的な臓器です。

そんな心臓が生まれつき弱い、心筋梗塞で傷めてしまった、病気でイカレてしまった、という場合、心臓を守る治療法はあっても、心臓を治す治療は今のところ殆どありません。それなら心臓の代わりを、ということで発達したのが人工心臓です。

ただ、完全な人工心臓はまだ技術的に無理なので、とりあえず、残った心臓を補助する形でいこう、と開発されたのが補助人工心臓(Ventricular Assist Device=VAD)です。心臓の補助輪として小型の人工心臓を体内に埋め込むのです。ただ、毎秒打ち続けるためには当然電源が必要です。VADも、以前は冷蔵庫のような電源と管を介して接続されていたのが、最近では、ショルダーバックくらいの大きさまで縮小され、患者さんもVADを入れたまま歩いたりと、日常生活を営めるようになりました。

また、もともとは心臓の手術後に、心臓がまた強く打ち始めるまでの数日間、心臓移植を待つ間の数ヶ月間、といった臨時のものだったようですが、最近ではVADを治療として受け、50%の人が一年以上生きていられるそうです。

(from Columbia University)

私が心臓移植チームと働いていた頃、このVADを入れた患者さんで、ジェイムス・ジェイミソン(仮名)、通称JJというのがいました。ややこぶくれした赤ら顔の親父さんで、割と小型のVADを入れていたため、普通に日常生活もこなしていました。

ただ、マズイことにJJはお酒をまた始めたようで、飲んで体調を壊しては入院してきます。

回診に行くと、JJはいつも私のボスに起こられます。「JJさん、本当にどうしたんですか、ダメでしょう、こう毎回飲んでばかりでは」「へい、全く仰る通りで」「これでは移植も出来ませんよ」「へい。」

彼は、以前、バーで女の子に心臓の音を聞かせて恐がらせていたのも目撃されたそうです。確かに、人工心臓の音は、生身の心臓の「ドックン、ドックン」ではなく、 「シュイーン、シュイーン」という音なので、一般の人からすると不気味なのかもしれません。目を輝かせて飛びつくのは医学生くらいでしょうか。

ただ、JJを見ていると、何となく同情はしてしまいます。自分の命をショルダーバックに背負って生きているのです。それはお酒も飲みたくなるでしょう。

どうやって決めたのか不明ですが、一般には5万ドル(約550万円)かけることでもう一年健康に生きれることが出来るなら、そのコスト・パフォーマンスは高いとされるそうです。最近ではVADがいくらするのか知りませんが、今後更に進歩すれば国民、皆VADを入れることになるのでしょうか。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.05 16:43 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 3

仮病

新聞の集金が来た時の居留守、地下鉄の座席に座って寝た振り、新入生歓迎コンパでの酔った振りに、部活の朝練での捻挫した振り。人生、皆いろいろな場面で演技をしているものです。

ところが、こういった演技を病的に行なう患者さんも世の中にはいるのです。英語では factitious disorder や Munchausen syndrome と言いますが、要は病的な仮病で、あえて病気を装うなんて非常に哀れな精神病です。

例えば、以前、自分でインスリンを過剰投与して低血糖発作をわざと起こして入院してくる患者さんがいました。これらの患者さんは、別に自殺をしようというのではなく、どちらかといえば「かまって欲しい」のだそうです。

そういった病的な仮病の中に、精神病を真似る Ganser Syndrome と言いものがあります。

私達が一時受け持ったビル(仮名)は麻薬中毒者でもあり、多少分裂症気味なところもありました。胸痛のため入院したのですが、結局検査は全て正常だったため、病院から麻薬更正施設に送られるという矢先でした。「先生、ビルが全く動かなくなりました!バイタル(血圧や脈拍、呼吸など)は正常なんですが、何か変です、ちょっと見に来て下さい!」

なるほど、ベッド上のビルは天井を凝視して寝そべったまま全く動く気配がありません。押してもつねっても全く反応しないのです。もしかしたらヒステリー発作か分裂病患者さんにみられるカタトニーか何かかな?けど、さっきまでピンピンしていたのに、何か変だな。精神病については殆ど知らない私は早速精神科のレジデントに電話して相談してみます。

「ふーむ、ドクトル、患者さんの腕を持ち上げ、彼の顔に落としてみると良い。もし彼が本当に発作を起こしているなら腕は彼の顔に落ちるが、もし発作じゃないなら、彼は反射的に腕を顔に当たらないようによけるはずだ」なるほど、それは妙案。

早速、私は医学生と共にビルの元へ戻り、ビルの腕を持ち上げ、顔の上に落とします。するとどうでしょう?彼はよけず、腕は天井を凝視したままの顔へ落下するのです。これは確かに分りやすい。私は医学生にも「こうやるんだ」とばかりに試させます。うーん、やはりよけない。そのうち、レジデントもやってきて、私が精神科レジデントとの会話の一部始終を話すと、「どれどれ、俺にもやらせてみろ」とビルの腕を持ち上げ、顔に落とすのです。別に大した距離を落下するわけではないので怪我もしません。

早速、私は精神科のレジデントにもう一度電話をして結果を報告すると、興味があったのか、彼は割りと直ぐやってきてビルを診てくれました。が。彼がビルの部屋に入って直ぐのことでした。「ふざけるな!いいかげんにしろ!」というビルの怒りの叫びが廊下まで轟いたのは。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.10.29 05:29 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  旅行 / 宿  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 1

職業話

医者なら誰でも、「もし他人に職業を聞かれたらどう応えようか?」と迷ったことがあると思います。別に隠すことはないのでしょうが、医者だと分ると急にいろいろと健康相談をされることもあれば、誰かが倒れたときに手当てをせざるを得ない状況になってしまうこともあるでしょう。

法的には街で倒れた人を助ける義務は皆無なのですが、倫理的には何とかしないと、と思ってしまうのが医者です。アメリカでは州によって多少異なりますが、助ける義務はないが、助けて失敗してしまうと急に法的責任を取らされることがあります。多くの州では、グッド・サマタリアン法によって善意で救急患者さんを援助した場合、例え過誤を起こしても法律によって守られています。ただ、そのような法律がない州および明らかな過誤ならやはり法的責任、といった州では、「出来れば関わりたくない」という医者がいても当然といえば当然だとは思います。

さて、前置きがいつものように長くなりましたが、以前、旅行でワシントンンDCを訪れていた際のタクシー内での出来事です。

空港で拾ったタクシーの運転手さんは、中近東、確かパキスタンからの移民で、50代の男でした。何故か海賊のように片目を黒いパッチで隠しており、ちょっと嫌な予感がしたので、「あれ、目はどうしたんですか?」と聞いてみると、「いや、ちょっとウィルス感染でお客さんに移すと悪いので、あっ、でももう治りかけですよ」と不安なことを言います。何か嫌だなあ。まあ20分くらいだから良いか、そう思って乗っていました。

ところが、案の定、彼は道をふらふらと走るため、非常に危険です。高速の合流でもかなり危なっかしく、四方八方から盛んにクラクションを鳴らされています。

「本当に大丈夫ですか?」「いや、大丈夫、それよりお客さん、何処から来たんだい?」「セントルイスからです」「ほう、そんなところで何をしているんだい?」「いや、医者をやっています。」私が、変な感染症移したら承知しないぞ、という顔をしていると、彼は「医者?先生なのかい?」「ええ、一応」・ ・ ・

「そうか、なら正直に言おう、実はこの目は先日、糖尿病で出血して見えなくなっちゃったんだ」(何?それは話が全然違うじゃないか!)「手術したんだけど、もう殆ど見えないんだよ」(運転してていいのか?)「病院にったら血圧も高いといわれるし、けど薬はあまり飲みたくないんだよね」(飲まないとダメでしょう)「先生、私の血圧、最近上が170、下が100なんですけど、どうでしょう?」と延々と健康相談が始まります。

因みに、御存知の方も多いでしょうが、糖尿病は長く罹患していると、血管がやられてしまいます。特に細かい微小血管がやられることが多く、腎臓の血管がやられると糖尿病性腎症、脳の細かい血管がやられると糖尿病性脳症、そして目玉の裏にある網膜がやられると糖尿病性網膜症と呼ばれます。

網膜は人体で唯一毛細血管が観察できる場所なので、眼底検査とよばれるもので網膜の血管を診察された方も少なくないと思います。血糖値が高いと次第に血管が脆弱になり、そのうち破れて出血してしまうことがあるのです。その結果盲目になってしまうこともあり、非常に恐いのです。

 

 

私の乗ったタクシーの運転手さんはこの網膜症で片目がやられ、もう片方の目も危ないと言われたそうです。それが戸の程度危ないのか、彼はちゃんと血糖を管理しているのか、そういった不安を感じながらの20分。いや、正直に言うと、それよりも、事故に遭わずにホテルに着くのかという不安の方が比較にならない程大きかったのです。

何とか目的地についたものの、彼がコレステロールの話に熱中してくらたお陰でホテルを過ぎてしまったときにはどうしようかと思いました。

その後、チップの計算に非常に苦悶したのを覚えています。

 

固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.10.23 12:43 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 2

Mr. Marble Lost His Marbles

人間、誰でも病気を起こすと人格が多少変わると言います。人間の弱さを悟るからなのでしょうか。例えば、鬼教授として有名だった某先生は、心筋梗塞を起こしてからは非常に丸くなり、研修医を怒鳴ったりすることがめっきり減ったようです。

ただ、大怪我をして全く人格が変わってしまうということはあまり見たことがありません。マーブル君(仮名)はそんな例外的な患者さんの1人でした。

彼はまだ20代前半の黒人青年でしたが、歩行中、トラックにはねられ、骨盤から手足、頭などあらゆる箇所を骨折し、一命を取り留めたのが奇跡的なくらいでした。当然、脳挫傷なども起こしており、傷めた脳は腫れて正常な脳を圧迫して致命的になることもあるため、除圧のために頭蓋骨を外したりもしていました。あらゆる手術を尽くし、入院後1ヶ月以上経ってから彼は外科病棟から内科病棟に転棟してきたのです。

今でこそマーブル君などと軽々しく呼んでいますが、実は彼は手に負えない不良少年で、麻薬を売ったり、窃盗を起こしたりなど、問題ばかり起こしていたそうです。

ところが、事故の後、彼の人格は180度変わってしまったのです。

例えば。毎朝、彼の病室に入ると、頚や骨盤を鉄棒で固定されていながらも、彼は朗らかな表情で、「やあ、先生、待ってたよ、今日はなんだい?」と話しかけてくるのです。あらゆる金属の道具で固定された彼の骨盤を一目見てみようと、シーツをどけていいか聞くと、「うん、別にいいよ、けど、痛いから気をつけて欲しいんだな、うん」「じゃあ、ちょっと動かしますよ」「あっ、そうすると痛いんだな」「ごめんなさい、もう少し下の方を見たいんですが」「別にいいけど、痛いのはイヤなんだな。」その後、暫く診察している間、彼は痛そうですが、我慢しています。「マーブル君、終わりましたよ、どうもありがとう」「うん、ちょっと痛かったんだな」「御免なさい、痛め止めでも出しましょうか?」「いや、大丈夫、だけど喉が渇いたぞ」「ジュースでももってきましょうか?」「うん、けど、プルーン・ジュースはいやだな」と、まるで会話に毒気がないのです。

まるで小学生と話しているみたいで、愛嬌があるため、看護婦さんも皆彼を可愛がっていました。今まで彼の悪態に辟易していた両親も、そうなると非常に可愛いらしく、非常に熱心に看病に当たるのです。

僕らの間では、"Mr. Marble's lost his marbles" (精彩を欠いたマーブルさん)と冗談を言われていましたが、事故によって、家族の絆がより深まったような面すらありました。非常な不幸でしたが、それでも不幸中の幸いとでもいえるのでしょう。あれだけの骨折と、人工物を体内に埋め込んでいながら、彼は未だに感染症や床ずれといったことでの再入院をしていません。

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

以前、アメリカの大学病院では、貧しい患者さん半分、裕福な患者さん半分であると書いたことがあります。医療保険を持たないためかかりつけ医を持たない貧しい人は、病気が重症化してから初めて大学病院のような大きな病院の救急外来にやってくるのですが、そのまま入院、ということが少なくありません。一方、裕福な患者さんは、当然医療保険を持っているので、「全米トップの医療を」ということで大学病院に入院してくるのです。

こういった裕福な患者さんは、大抵、その地方でも名医といわれるような医者をかかりつけ医に持っています。アメリカの開業医は、大学から離れても、大学病院に自分のかかりつけの患者さんを入院させることが出来る権限を持っています。ただ、そういった権限を授与されるためには、クリデンシャリングという、クオリティー・コントロールのためにスクリーニングのようなものをパスする必要はあります。

また、そういった医者の中でも、病院に沢山ビジネスを持ってくる医者とそうでない医者がいます。病院は常に満床なのですが、前者のような医者は、その政治力を生かして自分の患者さんを優先的に入院させることが出来ることも少なくありません。こういった目に見えない部分も含めると、アメリカの医療は相当不平等であると言えるかもしれません。

さて、そういったビジネスを沢山持ってくる、政治力のある開業医の1人にカーランド先生がいます。彼は、セントルイスの名士という名士を皆診ており、そいうった名士が「カーランド先生にはお世話になったから」と病院に多額の寄付金を下さることも少なくありません。当然、病院内でのカーランド先生は、まるで天井の臭いを嗅ぐかのように鼻高々に歩いており、研修医では気軽に寄り付けないような大物オーラを漂わせています。

ただ、この大物先生の遺憾なところは、筆跡が全く読めない点です。カールランド先生のカルテは、まるで米国憲法のような美しい筆跡で書かれているのです。ぱっとみると、素晴らしい文献のような印象を受けますが、1分を争う病棟勤務で、ああいったカルテを書かれると、何がなんだか全く読めず、「じじい、何きどってやがるんだ!」と陰口を叩かれてしまいます。

このカーランド先生のもう一つの困った問題は、何でもかんでもオーダーすることです。患者さんが胸痛を訴えようものなら、ストレス・テスト、心カテ、それでも何も見つからないようなら次はCT、MRI、まだダメなら内視鏡、と、とことん検査を出すのです。これでは患者さんは何時までたっても退院できず、カーランド・バケーションと呼ばれています。ただ、実際の業務をこなさなくてはならない研修医はたまったものではありません。

一方、病院にビジネスをあまり持ってこない、あまり政治力のない開業医の先生にプリッツキー先生というのがいました。彼は感染症を専門にしていたこともあり、かかりつけ患者さんにはHIV患者さんが多かったのです。しかも、彼の患者さんには麻薬の針などで感染したような曰くつきの患者さんばかりです。詳しいことは知りませんが、彼は人はいいのに、あまり政治力もないため、患者さんは常に救急外来で数時間待たされた挙句の入院となってしまいます。当然、入院してきた時点では、大抵の患者さんは既に非常に不機嫌になっています。研修医につばをはいた患者さん、失踪した患者さん、看護婦に暴力を振るう患者さんなど、手に負えないケースばかりです。

別にプリッツキー先生の所為でもないのでしょうが、当然、研修医からは煙たがられるようになってしまいます。以前、プリッツキー先生の受け持ち患者さんが失踪したとき、ヤカンのようなハゲ頭にちょび髭のプリッツキー先生は(映画アンタッチャブルに出てくる公認会計士にそっくり)、「私だって怒ることはあるんですよ」としみじみとぼやいていました。

そんなプリッツキー先生は、嫌気がさしたのか、今ではプラクティスを郊外へ移し、のびのびとやっているそうです。大学病院へ患者さんを送ってくることもなくなったそうです。先日、街をあるいていたら、たまたま彼のはげ頭を見かけました。犬を散歩させていましたが、心持その後姿が以前よりも元気そうに見えたのには何だかホッとしました。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.10.15 03:12 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 1

神頼み

イラクでの内戦からイスラエル対パレスチナの攻防など、中近東では宗教を巡って激しい戦闘が連日のように繰り広げられています。特に宗教心のない典型的な日本人である私は、日本人に生まれたからには神道に従っているつもりですが、それは一種文化のようなもので、実家は曹洞宗という禅仏教であるし、中学はキリスト教の学校に通っていました。「何で宗教にあそこまで命を懸けることが出来るのだろう?」と何時も不思議に思ってしまいます。

そんな私でも、病院で働いていると、宗教をもっと知りたい、と思うことがたまにあります。「苦しい時の神頼み」とはよく言ったもので、病院にいる患者さんから、「先生、何か心の休まることを言って下さい」と頼まれることは少なくありません。そういったとき、牧師さんなどはいろいろ言えることがあるのでしょうが、私は何時も何と言って良いのか分らず辟易してしまうのです。

そんな患者さんの一人にロベルトさん(仮名)という人がいました。彼は、胸痛で来院し、心筋梗塞疑いということで入院しました。その後、カテ検査で心臓を栄養する冠動脈が広範に詰まっていることが判明し、内科的には対処できなかったため、バイパス手術をすることになったのです。

ロベルトさんは、ある会社のCEOであるそうで、まだ50代なのに巨大な家を病院の直ぐ近くに持っていました。「誰がこんな家に住んでいるんだろう?」と前を通る人が誰でも思うような立派な家で、ガレージにはフェラーリやベントレーが並んでいるのを見かけることもあります。

そんな彼も、実は病気には弱いらしく、「心筋梗塞疑い」と言われただけでも相当ショックを受けていました。それが手術となると相当緊張しているのかもしれない、そう思って、前の晩、私達も調度当直で病院内に残っていたため、ロベルトさんを訪ねに行きました。

案の定、電気の消えた暗い部屋で彼はまだ怯えるように起きていました。「ロベルトさん、大丈夫ですか?」と話しかけ、麻酔の話や手術の話をし、少しでも安心するように勤めました。麻酔科医だったころの経験では、術前の患者さんがよく気にするのは、(1)手術中、起きちゃったりしないのか、(2)痛くないのか、そして(3)術後ちゃんと目が覚めるのか、といったことが多いようです。なので、麻酔はよく効くし、途中で起きることはなく、終わったらICUに移動されますが、ちゃんと目が覚めますよ、と丁寧にお話します。「手術の上手な先生だから大丈夫ですよ、明日は早いのでもう寝ましょうか」そう言って部屋を出ようとすると、ロベルトさんは、「先生は日本からきたんですよね」と唐突に聞いて来ました。うっ、来た。「日本人の人は何時も平静を保っているようだけど、仏教ではこういうとき、どんなことを考えるんですか?先生、何か心の落ち着くような言葉はありませんか?」

うーん、私は迷いました。私も仏教の教えは正直言ってあまり知らないのですが、唯一脳裏をよぎったのは、「人生なるようにしかならない」ということと、輪廻のことでしょうか。けど、まさか怯えるロベルトさんに、「死んでもまたウサギにでも生まれ変わりますよ」なんて言えません。

一瞬迷った挙句、私は「仏教ではなるようにしかならないと言いますが、ロベルトさんのように皆に愛される立派な人物は必ずいい方向に行きますよ。今回、軽い胸痛で病院に来て、本格的な発作が起こる前に手術が出来るんですから成功する可能性大ですよ」と茶を濁して私は彼を後にしました。廊下を歩きながら、「上手く行かず、カラスにでも生まれ変わられて頭突っつかれたらどうしよう?」と私はちょっと不安になるのでした。

幸い、彼の手術は全て予定通り上手く行き、今では彼も仕事に復帰してバリバリ働いているそうです。

固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)

2007.10.14 06:13 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 1

魂のバッグ換気

前回は、崖から転がり落ちる患者さんを止めきれなかったお話でしたが、毎回失敗話ばかりではありません。私達でもそういったグレイ・ゾーンにいる患者さんをガッチリ捕まえて、ホワイト・ゾーンに連れ戻してあげたことは何度かあります。あまりしょっちゅうある訳ではありませんが、死際にいた患者さんがよくなって歩いて退院するときの満足度、そしてそれを喜ぶ家族をみるときの嬉しさといったらありません。そのために医者をやっているのです。

そんな患者さんの1人にジェームス(仮名)がいます。彼との出会いは、私が循環器重症病棟(CCU)で当直しているときでした。「オートバイのレース中、突然心肺停止で倒れた38歳のレーサーをこれからヘリコプターで搬送します」と救急隊から連絡があったのは日曜日の夕方6時ごろでした。そろそろ夕食でも食べようか、と思っていた矢先のことでした。

ヘリコプターで搬送となると、どんなミズーリ州の田舎からだって20分くらいで着いてしまいます。というと、まるで残念がっているように聞こえるかもしれません。確かに実際は患者さんが速やかに運ばれてくるので良い医療なのですが、待機しているほうは、いきなり瀕死の重症患者さんが現場からダイレクトに運ばれてくるので相当緊張します。

ジェームスも連絡があってから20分程でやってきました。フットボール選手のような救急隊員達と、ピコピコなる機械に囲まれて嵐のように病棟に入ってきたのです。

病室に入ったジェームスに、看護士さんがいろいろなモニターを装着しているのを見ていると、血圧が60と出てアラームが鳴り出します。「先生、血圧が触れません」「よし、輸液全開、点滴は何が入ってます?」「末梢に1本だけです、もう1本至急入れます」「中心静脈ライン(CV)も入れますか?」ここは日本の麻酔科で点滴を多数こなした経験が生きてきます。「よし、ドクトル、CVを入れましょう、とりあえず指揮は私がとるからCVに専念してちょうだい」2年上のレジデント、ラナ(仮名)は迅速にチームの仕事を割り振ります。

体内でアドレナリンが全開で出ている所為でしょうか、こういった緊急時の方が私は点滴が上手く行く場合が多いのです。ジェームスの右頚に上手く点滴が入り、同時にラナは「ドクトル、ナイス・ジョブ、CVからドーパミンを流しましょう、胸のレントゲンも大至急呼んでちょうだい。」

皆汗をぬぐうのも忘れて一心不乱に動き回り、ようやく落ち着いたのは2時間後でした。

ジェームスはニュージャージー州から遥々オフロード・オートバイのレースのためミズーリ州の田舎まで来たのです。特にそれまで大きな病気はしたことがなかったそうですが、体重150キロ、身長190cmはあるその巨漢が、ゴールインしてバイクから降りた瞬間、崩れるように倒れたそうです。他のレーサーや観客やらが駆け寄った時には既に呼吸もなく、脈も触れなかったそうです。幸い、BLS(一次救命処置)のやり方を知っていた係員などがいたため、人工呼吸、心臓マッサージを直ぐ開始し、ヘリコプターで運ばれてきたというわけです。

こういった場合、大抵は、心筋梗塞で不整脈を起こした、または、今まで知られていなかった心臓病を持っていて、それによって不整脈を起こした場合などが多いのです。ただ、肺に血栓が飛んだ場合などもないこともありません。いずれにせよ、病院外での心肺停止は非常に予後が悪く、歩いて退院できる可能性は1-2%でしょうか。そしてその予後を決定するのは以下に早く蘇生術を開始するかに掛かっているのです。まさに1秒を争う状態です。

それにしても、ジェームスに一体何が起こったんだろう、とラナと話していると、看護士さんに「先生、ジェームスの酸素飽和度が70%まで下がりました!」と呼ばれます(正常値は100%近く)。

もしかしたら巨大な血栓が肺にとんだのかもしれない、そう話しながらジェームスの人工呼吸器を外し、手動でバッグを使って換気します。人工呼吸器も良いのですが、やはり機械では人間の手によるバッグ換気にはかないません。微妙な手加減で患者さんの呼吸状態は結構変わるものです。

それでも、実際にバッグを押してみるとジェームスさんの肺は異常に固いのです。バッグで酸素を肺に押し込むのですが、相当な力が必要です。それもそのはずです。胸のレントゲンを見ると、彼の肺は真っ白、つまり肺全体で何かが起こっているのです。それが肺炎なのか、それとも肺塞栓を合併しているのか、白熱した議論を交わしているラナと循環器フェロー(レジデントを修了し、専門研修をしている医師)を横目に、私はひたすらジェームスの肺を換気します。最初は酸素飽和度を80%まで持って行くのが精一杯でしたが、1時間以上もやっていると、何とか88%以上まで維持できるようになりました。もういいだろう、と看護師さんに譲って、自分の手をみると、血豆が出来ていました。

結局、一晩かけてジェームスの状態は安定しました。その後の検査などで、ジェームスの心臓を養う冠動脈はことごとくブロックされており、心筋梗塞による不整脈で倒れたのだ、という結論に達しました。また、そのときの誤嚥が原因で肺全体が激しい肺炎を起こしていたようです。

やがて、全てが落ち着くと、彼も目を覚ましたのです。最初に来院してから1週間近く経ってからでした。そして更に素晴らしかったのは、彼の脳は殆ど影響を受けておらず、「俺は一体どうなってたんだ?」などと家族と話しているのです。

CCUから一般病棟に戻れる患者さんですら殆どいないのに、ジェームスは家族のサポートを受けていたとはいえ、歩いて退院していったのでした。「先生、本当にありがとう。お陰で命拾いしたよ。俺はニュージャージーのレキサス・ディーラーで働いてるんだ、いい車だぞ!もし研修医を卒業してお金持ちになったらおいで、おまけしてやるぜ」そう良いながら彼は自宅に帰っていったのです。

12年もので、しかも18万マイルも走った車年齢80歳の愛車ホンダ・シビックを運転していると、たまにジェームスのことを思い出します。 

 

固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.10.12 01:48 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  医療事故  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 3

Trust But Verify

医者として働いていても、本当に自分の力で患者さんを治した、というケースは非常に限られているとしばしば感じます。

非常に大まかですが、入院患者さんの4割は余程のことをしない限りどんな医療をしても治る患者さん、4割は何をしても治らない残念な患者さん、そして残る2割がグレイ・ゾーン、つまり、生きるか死ぬかが医者の手に掛かっている患者さんである思っています。

残念ながら、何をしても死ぬような患者さんの割合は社会の老齢化が進むにつれて拡大しているような印象を受けます。どうせ死ぬなら、「侵襲度の高い先端医療で最後まであがくよりは、自宅で安らかに」という選択も大いにありかなと考えます。そういった選択が尊重されるようになると、医療費の削減にもつながるでしょう。

また、アメリカでは医療保険を持たない患者さんが4500万人(つまり国民7人に1人)もいるため、多少のことでは病院に掛かれない、または掛かりたくない患者さんが大半います。こうした患者さんは、病院に来る頃には余程重症化している場合が多いと感じます。実際、グレイ・ゾーンの割合は年々増えているような印象を受けますし、その一方で、何をしても治るというような気楽な患者さんは次第に減ってきているような気がします。

さて、このグレイ・ゾーン患者さんですが、あたかも崖を転がり落ちる患者さん、とでもいいましょうか。誰か医者が気づいて捕まえてあげれば助かりますが、たまに物凄い勢いで転がっていくため、いくら走っても追いつかず、結局崖から転落して死亡、という場合もあります。

マルコム(仮名)もそんな患者さんの1人でした。彼の主訴は「一歩前進、二歩後退」という意味深なものでした。つまり、一歩前に進むたびによろけて二歩下がってしまう、というのです。ただ、彼がICU(重症病棟)勤務初日であった私の下、朝7時頃に嵐のように担ぎ込まれてきたときには既に意識もなく、血圧や呼吸も不安定な状態でした。

結論から述べると、彼は人食いバクテリア(Fresh-Eating Bacteria)と呼ばれるグループA連鎖球菌の一種によって壊疽性筋膜炎(Necrotizing Fasciitis)を起こし、毒素が体中に廻って瀕死状態になっていたのでした。

この壊疽性筋膜炎というのは非常に恐い病気で、罹ったら7-8割の確率で死にます。原因は傷口から侵入する連鎖球菌やブドウ球菌、バクテロイデスやビブリオといったばい菌です。普通の感染なら皮膚が腫れる程度で治まるのかも知れませんが、この病気では感染は皮下組織まで広がり、筋肉を覆う筋膜を介して物凄いスピードで広がるのです。また、ばい菌が創り出す毒素が血液を介して体中にも広がり、血圧がストーンとさがったり、心臓がとまったりもするのです。抗生剤は必要ですが不十分で、内科的に有効な治療法はありません。疑いがあれば直ぐ外科を呼び、切開して感染部分を切除する以外に生きる道はありません。

マルコムはまさに崖っぷちへ猛スピードで向かっていたのです。私達も必死で追いかけました。が。

この病気の恐いのは、明らかに重症である患者さんに比して、肝心の感染創はあまり目立たない点です。今回もそうでした。マルコムは麻薬中毒者であったため、体中に注射の跡がありました。確かに腿の一部に多少皮膚の固くなった部分があったのですが、触ってもガスや水分が溜まっているような所見はありませんでした。外科医にも見てもらいましたが、彼も「さあ、あまり大した所見ではないですね。エコーでも見てみましたが、特に水分やガスが見られませんでした。膿瘍はなさそうですね。」まさかこれが人食いバクテリアによる仕業であるなんて誰も夢にも思っていなかったのでしょう。「膿瘍だったら外科が切開しないといけないが、その必要もなさそうか。」そう思って私達はマルコムを追いかける足を少し休めたのでした。

その日の夕方、ようやく彼の状態が一瞬落ち着いたかに見えたため、ICUのある6階から地下にあるCT室まで行って全身のCTをとりました。その結果を放射線科が連絡してくれましたが、彼も壊疽性筋膜炎の症例を見たことがありません。「患者さんはスキン・ポッピングしてたんですよね(麻薬を針で打つこと)」「はいそうですが、何か見えましたか?」「うーん、筋肉内にガスが多少見えるのですが、多分その所為でしょう」「膿瘍の可能性はありますか?」「いや、そういった所見ではないですね」「分りました、どうもありがとう。」いよいよ安心した私達が、つかの間の仮眠を取りにいったのは12時を廻っていたと思います。

・ ・ ・ 

ドンドンドン。「先生、ドクトル、居ますか?ドクトル、今皆でマルコムを蘇生中ですよ、早く来てください!」その叫び声で起こされて、目をこすりながらICUに向うと、マルコムが心肺停止を起こしたらしく、蘇生術が既に始まっています。私もレジデントと一緒になって動き回り、そのときは何とか心拍が再開したのですが、その夜、もう2回心肺停止を起こしたのです。

翌朝、放射線科のアテンディングがマルコムのCT像を読み直し、「もの凄い壊死性筋膜炎が筋肉まで進行している」と報告してくれたころには既にもう一度心肺停止が起こったあとでした。至急、外科を再び呼び、マルコムは手術室へ行きました。感染が著しく、外科は彼の足の殆どを削ぎ取るような手術を余技なくされましたが、翌日彼は亡くなりました。来院後3日目でした。結局、私達の診療も「一歩前進、二歩後退」だったのです。

この日、私は外科医や放射線科医など他の科にだけ頼るのは辞めよう、自分がもっとしっかりしなくては、と心に刻むのでした。

固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)

2007.10.10 01:06 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 2

病院食堂の矛盾

アメリカの病院で面白いと思うのは、あれだけ肥満患者さんが多く、糖尿病や関節炎、感染症などそれによる合併症を目にすることが多いのに、病院のカフェテリアはファスト・フード天国であることです。

例えばうちの病院では、バーガーキングがあり、デイリー・クイーンがあり、その他にもビザやフライドチキンなどでフロアは埋め尽くされています。また、ソーダの機械も沢山あり、リットル単位の巨大なカップをコーラで一杯に出来るのです。職員食堂も兼ねているため、医者や看護師も同じものを食べています。医者の不養生とはこのことでしょうか。看護士さんも患者さんに負けないくらい大きな人が多く、病院はまるでフットボール場のようです。医療も肉弾戦です。

病院の外では既にそういった食生活を改善しようという動きが見られるのに、最も敏感であるべき病院が砂糖&コレステロールのパラダイスと化しているから不思議です。

最近、よくどこどこの州では中学や高校のカフェテリアでソーダの自動販売機を禁止した、というニュースを聞きます。小児肥満が社会現象になっているためです。

こういった公衆衛生政策の影響は著しいものがあります。例えば、カリフォルニアやニューヨークで始まり全米に広がった、公共の場での禁煙政策です。アメリカでは50年前には男性の喫煙率が6割以上であったのが、最近では25%まで減りました。女性の喫煙率も40年間で35%から20%まで減少しました。喫煙やアルコール、肥満といった生活習慣病はアメリカでの死亡原因の4割を占めるのですから重要です。

因みに、日本での喫煙率は、男性が6割程度、女性が15%程度だそうです。しかも、アメリカでは知的水準と喫煙率は反比例すると言われていますが、日本では職業別にみると男性では医者、女性では看護婦がトップだと聞いたこともあります。こういったデータを世間はどう見るのでしょう?

さて、院内のカフェテリアでこういったジャンク・フードを売られると非常に困ることが多々あります。ジョー(仮名)は麻薬中毒者で、もともとは感染症で入院したのですが、嚥下障害や胃痛があるため、ついでに胃カメラをやろうということになりました。

ところが、最初は彼が「フロアから消えた」ため中止。2回目は、カメラを入れたら食べ物があり、「何も見えない」ため中止。前日夜から禁食のはずだったのに、夜中にカフェテリアに潜入して隠れ食いしたことを後日彼は告白。

3度目の正直、絶対に逃がさないぞ、と思って医学生に監視までさせて念を入れた今回。医学生がカンファいなくなったおり、ふと部屋に入ると「あっ!」彼のファミリーがカフェテリアからハンバーガーやフライを大量購入してきたらしく、皆でワシワシ食べているではありませんか!「ジョー、何してるんですか!検査が終わるまで食べちゃだめだって言ったでしょう!」「いやー、ちょっとなら良いかなと思って、だって腹が減って苦しいんだもん。」家族も、「先生、うちの坊やがあまりにひもじいみたいで可哀想になって、でも検査は大丈夫ですよね?」

結局、今回も中止し、即退院手続きを取り、(多分来ないとは思いましたが)一応、胃カメラの外来予約を取りました。こういったことが本当の医療費の無駄遣いになるのでしょう。アメリカで国民皆保険制度がなかなか樹立しない理由はこういった現状にもあるのでしょうか?

 

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.10.09 00:22 |  診療  |  海外留学  |  仕事 / 職場  |  ドクトル貧乏  | 推薦数 : 1

清潔感の違い

私の麻酔科時代のお話が続いたので、ついでにもう一つ。米国アトランタのエモリー大学の麻酔科にお邪魔していた頃のお話です。日米での清潔感の違いとでも申しましょうか。

まず手術室への入り方が違いました。日本では専用のロッカールームで手術着に着替え、靴下を履き替えてから、手術室エリアに入ります。ただ、直ぐ手術室へ入れる訳ではありません。そこで専用のサンダルに履き替え、更にエアークリナーというのでしょうか、巨大な扇風機が作動している廊下をバレリーナのようにくるくる回りながら通り、ようやく手術室に入ることが出来るのです。

因みに、サンダルを履きかえるといっても、別に特別なサンダルではなく、日本のお座敷系の飲み屋さんなどでトイレに行く際利用する、あのゴム製のいわゆるトイレ・サンダルです。飲み屋さんでは茶色いですが、これを単に水色でカモフラージュし、滅菌しただけのものです。どうってことありません。というか、教授などが水色のゴム・サンダルでぺたぺた歩く様子は一種滑稽でもあります。

アメリカの手術室も構造は概ね同じです。ロッカールームで着替えてから手術室エリアに入ります。ただ、日本のように靴下まで履きかえるということはしません。しかも自分の靴そのままで入れるのです。一応、靴の上から被せる、これまた水色のカバーがあるので、それを利用します。ただ、このカバー、実は汚い土足から患者さんを守るためではなく、どちらかと言えば自分の靴を患者さんの返り血などから守るためにあるようです。

さて、麻酔科医がしばしば行なう手技の一つに中心静脈穿刺というのがあります。これは点滴の化け物のようなもので、首や鎖骨下などの太い静脈にダイレクトに針を刺してカテーテルを挿入するのです。その目的は様々ですが、体内の深部を走る太い静脈に針を刺すのです。当然、感染を起こすと恐いので、清潔には気を使います。医者はマスクをし、滅菌手袋をし、ガウンを着て針を刺すのですが、少しでも道具が他を触れようものなら「今針が触ったぞ!汚いだろう!」という叱咤と共に上の先生の蹴りが飛んでくるのです。

ところがアメリカでの中心静脈穿刺を見ていたらそんな緊張感は全くありません。ついさっきまで食堂のバーガーキングでフライを食べていた手に手袋をつけ、おもむろに手技を始めます。一瞬、患者さんの体内に入る長いワイヤーがスナップして研修医の前腕部に当ります。「あっ!」と誰もが思った瞬間でした。一瞬手技も止まります。あの前腕はさっきバーがキングでケチャップをこぼしたところでは?上の先生のウェスタン・ラリアートが飛ぶのか?と思って心配そうに見ていると、何と、上の先生も研修医も何事もなかったかのようにそのまま、せっせとワイヤーを患者さんの血管内に滑らせます。いいのか?

その後、カンファレンスで「静脈穿刺に合併する感染症について」というタイムリーな報告があったのですが、エモリー大学では感染症の合併率が全米と比較しても相当低いようでした。ハンバーガーやフライをワシワシと食べた手で入れたカテーテルでもアメリカ人の患者さんはびくともしないのでしょうか。流石です。

 

固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)