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現代思想の冒険者たち12・・・丸山高司著1997
ウィトゲンシュタインは、ガダマーとはまったく別の思想伝統に属しており
まったく異なった発想に基づいて「意味」や「理解」を分析しようとした
それにもかかわらず
後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論は
ガダマーの「哲学的解釈学」ときわめて近いところに位置している
(略)(科学者が)研究するためには
まず「科学」という「言語ゲーム」を習得しなければならない
科学者共同体の規則や規範を「理解」していなければならないというわけである
この論点は、先のハーバーマスの論点とぴったり符合する(88~89p)
私は「構造主義と進化論」の中で
「コトバは時間を生み出す形式である」と考えたのだ
こんなことを考えた人は、今まであまりいなかったのではないかと思い、私はずいぶんうれしかった
私はこれを機に時間論にも興味を持ち出したのだが
その話はここではしない(前掲書148p)
我々は生存せんがために生存そのものを持っている
これ以外のあらゆる生存の意味付けは観念にすぎない
観念なるものは一切虚偽である
だが我々は生存そのものを
生存そのもののうちに忘却することが出来る
これが救済のすべてである(140p)
一般に欠如の感覚は
欠如を充たすことによって消解するのでなく
正しく僕の経験によれば
掘り下げることによって消解するのである
人間は他の者の不幸を如何にしても消解せしめることは出来ない(131p)
吉本隆明著2006光文社文庫
自由は必然性のなかにある 必然!
僕には無限に底ふかい言葉だ
僕はと或る日、その言葉をせっせと掘り下げているのを感じる
現実が仮像のやうに遠のいたのはそんな時であった(36p)
スピノザを思い出しますな・・・
悪人の思考・・・私は善人だが、みな悪いことしていい思いしてるから、私もしなければ
善人の思考・・・私は悪人だ
心に個性がないとすれば、どこにあるか
それが身体であることは、あまりにも明白であろう
(略)個性を担うのは自己である
個性が身体であるということは、自己とはすなわち身体だということに通じる
そこまで来ると、多くの人がいいすぎだと思うらしい
それでも自己は身体に決まっている(前掲書253~256p)
(この世は可能世界中最善のものだとするもの・・・オプチミスメ)
(神が)アダムに「知恵の木の実を食べるな」と禁止しておきながら
彼がそれに違反することも知っており
そのうえでいざ違反すると怒って楽園から追放したとなると
ずいぶんいじわるな神だという印象は拭えない
この疑問には次の二通りの回答が考えられる
その一、神はこういう仕方で人間を鍛える、というもの
その二、それこそ人間の限られた乏しい頭脳で推理しているのであって、神の真意はわからないのだ、というもの
ライプニッツの最善説の場合、最終的には後者に行き着きます・・・(関連:充足理由律と微小表象)(前掲書60~66p)
充足理由律http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/phisci/Newsletters/newslet_60.html
中島義道著2006河出書房新社
アリストテレスは、この「シュムベベココスによる原因」をさらに
「アウトマン」と「テュケ」とに分ける
(略)アリストテレスが「テュケ」と呼ぶ目的的偶然性こそ
・・・後に詳細に検討しますが・・・
現代においてもわれわれを支配する最も中心的な偶然概念だと言えます(59p)
(猫猫先生は送られてきたこの本を読まずにブックオフに・・・)
中島義道著1995講談社(学術文庫は2001)
第1章が「死を忘れるな!」
(ハイデガーは)人間存在を「死への存在」とみなしました
この「死への存在」というのは「いつかは必ず死ぬ」という意味ではなく
「つねにすでに死にかかわっている」という意味なのですが(略)(15p)