さいのこどくだ
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分裂病性機械と言語

さいのこどくだ / 2010.03.15 07:50 / 推薦数 : 0

 「私は無くて、機械に動かされているのが私」という分裂病者の言明を

 

 「私は私」というフィヒテ的命題と比較してみると

 

 空虚な同語反復的命題である後者を、前者が実に的確に充実させているのが見てとれるであろう

 

 「私」はもともと無くて、言語という「機械」によって造られた物が「私」なのである

 

 「私」はもとの「私」の側からは消えた代わりに「機械」の向こう側の空間において実現したと見なせるのである

 

 (もとの「私」と造られた「私」との間には交換法則は成立しない)

 

 ヘーゲル以来の「見る」ことによる融和の思想は、この両者の間に擬似生命を導入することによって(略)相互性を回復させようとした

 

 (しか自己差異の構造@キルケゴールは本来「生命」とは重ならない)

 

 もとの「私」の部位に現れた他者が、機械=言語によって造られた自己を迫害することをやめないのである(124~125p)

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