さいのこどくだ
Profile

関連リンク

ブログ内検索

カレンダー

<< 2010/03 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

新着コメント

新着トラックバック

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

自我の病理と臨床神話学

さいのこどくだ / 2010.03.15 10:02 / 推薦数 : 0

 老松克博1998

 

 (パニック障害の「パニック」はギリシャ神話の牧神の「パン」に由来する)

 

 この点を手がかりとして

 

 パニック障害の中で自我が経験することを考えてみたいと思う

 

 パンはたとえば、それと知らずに近くを通り過ぎた者によって午睡を妨げられると

 

 その相手を突然の混乱に陥れて意趣返しをする(104p)

 

 著者:http://www.transview.co.jp/tyosya/oimatu.htm

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

つつぬけ体験

さいのこどくだ / 2010.03.15 09:38 / 推薦数 : 0

 私についての私の考えが真理であるのは・・・

 

 (私の考えを立ち聞きしている「他者」を前提として

 

 未来において、私が考えを発話し、他者がそれを聞き終ったとき)

 

 ここで我々はつつぬけ体験まであと一歩のところに来ている

 

 (略)「前未来」の形で、私は私についての真理を私の中に組み込み

 

 自己意識を成立させているのである

 

 自己意識は言語の中で自己を先取りする構造である

 

 (略)前未来的構造は、いったん成立してしまえば

 

 あたかもすでに共時的な構造であるかのように振る舞い

 

 あの自我の分裂を支える

 

 自己の外に出た自己が、内側の自己を、罪ある

 

 苦しむべきもののように扱うのである(125p)

 

 他者を自己意識の中に導入しながら、知らぬふりを装い続け、自己意識の自然さを信じ生きていく=「キルケゴールの絶望」・・・それが出来なければ病むかヒキコもるしかないわけだ

 

 著者:http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/36/talk_index.html

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

分裂病性機械と言語

さいのこどくだ / 2010.03.15 07:50 / 推薦数 : 0

 「私は無くて、機械に動かされているのが私」という分裂病者の言明を

 

 「私は私」というフィヒテ的命題と比較してみると

 

 空虚な同語反復的命題である後者を、前者が実に的確に充実させているのが見てとれるであろう

 

 「私」はもともと無くて、言語という「機械」によって造られた物が「私」なのである

 

 「私」はもとの「私」の側からは消えた代わりに「機械」の向こう側の空間において実現したと見なせるのである

 

 (もとの「私」と造られた「私」との間には交換法則は成立しない)

 

 ヘーゲル以来の「見る」ことによる融和の思想は、この両者の間に擬似生命を導入することによって(略)相互性を回復させようとした

 

 (しか自己差異の構造@キルケゴールは本来「生命」とは重ならない)

 

 もとの「私」の部位に現れた他者が、機械=言語によって造られた自己を迫害することをやめないのである(124~125p)

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)