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小林多喜二を売ったのもまた三船(留吉)だったのである
(昭和8年2月20日 築地署に連行された多喜二は)
七時間後に絶命した(94~95p)
主要なスパイにはすべて毛利から直接の手が伸びていた
(略)役者がいかに名優でも、真のドラマの演出者は演出家であり
それは毛利であった(100p)
小林多喜二:http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kobayasi.htm
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共産党の見方によれば
松村は特高の指示のままに動いていた主体性のない卑劣漢ということのようだが
(実際は情報をすべて伝えていたわけではない)
(アゼフや松村のようなスパイは二重スパイ性を帯びざるを得ない?)
(出生したときの戸籍は愛媛県Q市だが)
終戦と同時に名前も本籍地も生年月日も変えてしまった
(終戦のどさくさで、引揚げ証明書を偽造)(52p)
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ロシア革命運動前期の社会革命党戦闘団のリーダーがアゼフ
(数々の暗殺テロに成功したアゼフが)
実は帝政ロシア秘密警察のスパイだったのである
(社会革命党は大衆からの信用を失う)
一時はボルシェヴィキよりはるかに強大な組織を持っていた社会革命党が
ロシア革命でヘゲモニーをとれなかった遠因はここにある(45p)
アゼフの出生地は現在ではベラルーシとなるようだ・・・
ミキティのコーチのニコライ・モロゾフと同じですな
(検索で見つけたアゼフの顔はモロゾフに似てる気がする)
ベラルーシ:http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/medi/europe/belarus.html
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フーリエ変換の計算量は
その定義にしたがって積分を直接計算すると
(略)「計算量の爆発」をおこす典型的な計算としても知られていた
(略)幸いなことに、計算量を大幅に削減できるアルゴリズムが発見され・・・
このアルゴルズムは高速フーリエ変換と呼ばれ
(略)広く利用されている(72p)
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逆の見方をすると
ある波動は
別のいくつかの波動に分解できる
ということになる
(略)最も意味のある分解は
波数の異なる平面波に分解することである(10p)
平面波:
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近代物理学では、光は
波動の性質と粒子の性質の両面を備えていると考えられているが
本書では(略)「光は波動である」として議論をすすめる(2p)
逆に古典波動理論でも、素粒子を意識しながら波動方程式を考えると面白い・・・粒子はフチがぼやけて拡がりを持つわけだ(非局所的)
量子論に相対論を取り入れるとスピンが自明になるが(ディラックの業績)、スピンは「偏光」とそっくり
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谷田貝豊彦著1992
フーリエ変換は、偏微分方程式の解法の一つとして重要であるばかりでなく
線形システム理論における応答関数、パワースペクトルなどの基礎であり
理工学で扱うあらゆる現象をシステム論的に・・・
しかし(略)単なる数学的な抽象的概念ではなく
フーリエ変換そのものが物理的意味をもつ場合が多々ある
光学における回折や分光の現象がそれである(はしがき、より)
そこではフーリエ変換そのものが光の強度分布として直接観測される
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日本的な美の感覚というか
美意識といいますか
古来より侘びとか寂びとか呼ばれてきた(略)
あれはじつは老人力だと気づいて(略)
そうやって物体に味わいをもたらす侘び力、寂び力というのは
物体の老人力なのだった とすると
老人力というのは日本文化だ(151p)
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フォン・ノイマンの規則が
「不器用な実験者の規則」であるとすれば
リューダースの規則は極小撹乱実験を記述する(286p)
世界にはたくさんのレベルがある
生き物は量子論理より大きい(288p、最終ページ)
http://taste.sakura.ne.jp/index.cgi/%BC%CD%B1%C6%B2%BE%C0%E2
(私たちは「実体の影」しか知りえないのである)
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一方で分析的と総合的とを区別し
他方でア・プリオリとポステリオリとを区別することを
同じであるとすることは、論理実証主義のドグマの一つであり
カントの先験的総合判断の拒否であった
(パトナムの見解は)クワインは
「分析的を攻撃するとしながら本当はア・プリオリを攻撃していた」というもの
(略)世界の論理は分析的であり、これまでのところ
われわれは近似的に分析的な論理で切り抜けてきたのである(256~257p)
「論理は分析的であるが世界は分析的ではない」
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