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「失われた週末」という映画や
ゾラの小説を映画化した「居酒屋」という映画では
その「震顫せん妄」がよく描かれている
しかし、あまりよくえがかれたので、アル中は
ああいうものだと考えられるようになってしまった
この誤解の意味するところについては
いくら書いても充分とはいえないだろう(66p)
「自分はまだアル中ではない」と思っている「アル中」は
少なくないという話である・・・
失われた週末:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/lost-weekend.html
これがとうとうこの世で最後の一杯なのか、と思うと
ついガラスの中の液体をながめてしまう
別に感傷的になったわけではない
「性悪(しょうわる)女」の顔を、別れる前にもう一度拝んでおこう
といったところだ(8p)
主人公が市民病院に入院するところから小説が始まる・・・病院前の公園での自販機のワンカップが最後の一杯?
中島らも氏のかかりつけは桃山市民病院であったらしいが、統廃合でなくなった・・・桃山という地名は(伏見の桃山と紛らわしいので)桃谷と変更されたが、病院名にだけは残っていた
なだいなだ著1981・・・副題は「社会的人間としての病気」・・・前掲書巻末(269p)の参考文献の一つになっている
日本のアル中は、日本の社会的特性を強く反映している
日本の社会は戦後、大きく変革したとはいっても
未だに家族中心の傾向は強く残っている・・・そのため
アル中の問題は、そのまま、家族問題になる(18p)
(著者は芥川賞候補に6回なっており、島田雅彦と並ぶ
最多落選記録保持者である)
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun42NI.htm
中島らも著1991
(トビラより)
なぜそんなに飲むのだ
忘れるためさ
なにを忘れたいのだ
忘れたよ、そんなことは
(古代エジプトの小話)
中島らもは2004年7月亡くなる・・・
2004年5月の著者:http://www.linelabo.com/0405ramo.htm
湯抱(ゆがかえ)は、お湯の豊富な静かな温泉場であった
旅館は三軒
茂吉はその内の青山旅館に泊まっていたとのことで
たずねてみたら(平成7年)その部屋がそのままに残されていた
私はその旅館と川をはさんですぐ向い側にある
日之出旅館に宿をとった(前掲書213p)
時代は、昭和四年ウォール街株式大暴落に始まる世界恐慌のあとであった
金融恐慌の傷がまだ癒えぬ日本に、この世界恐慌は襲いかかった
不況はカルテルによる統制を強め、トラストの結成を促し、大資本の産業支配が進行した
その結果、中小企業の倒産は激増し
失業者が町にあふれた(前掲書80~81p)
昭和7年1月28日・・・上海事件
同年3月1日・・・満州国建国
同年5月15日・・・五・一五事件
昭和8年1月30日・・・ヒトラー独首相に就任
同年3月27日・・・国際連盟脱退
同年11月・・・ダンスホール事件・・・「柿本人麿」研究にのめりこむ
茂吉自身「いろいろの年であつたが」と書いているように
昭和8年は悲痛事が相ついで起こった(100p)
昭和9年:http://homepage1.nifty.com/B-semi/library/koiku/04saito&nagai.htm
茂吉は「手帳の記」という随筆を昭和5年に書いた
それは「柿本人麿」の中に収められたが、時代からここに述べておく
(略)そこで茂吉は次のように考える
(略)そのように行動したので、更に次のような行動をとる
(5)高津小学校へ行き、小学生で手帳を拾った者がいたら届けて貰うように頼む(略)
(6)橋のたもとの茶屋で食事し・・・(前掲書64~72p)
橋のたもとの茶屋、というのが何とも気になりますな・・・
手帳の記:http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/37/menu04.html
心中といふ甘たるき語を
発音するさへいまいましくなりてわれ老いんとす(石泉)
「美男美女毎日のごとく心中す」という詞書(ことばがき)の冒頭の歌である(前掲書62~63p)
昭和7年5月9日、「天国に結ぶ恋」「二人の恋は清かった」
などと歌ともなり映画にもなった坂田山心中が起こった
この純愛心中に触発されて、あちこちで心中が頻発し
新聞が「心中は止めよ」とのキャンペーンを行ったほどであった
天国に結ぶ恋:http://www.geocities.jp/showahistory/history01/07f.html
北杜夫著1996・・・「たかはら」~「小園」時代(前掲書の続き)
昭和4年になると病院経営も余裕がでてきたとのこと
高原に光のごとく鶯(うぐひす)の
むらがり鳴くはたのしかりけり(たかはら)
長男茂太(11歳年長)の15歳になったのを機に茂吉が
出羽三山を訪れたのは、昭和5年7月のことだった
8月(略)飛鳥、吉野から郡山町を旅し、帰路
近江蓮華寺に臥床中の佐原和尚を見舞った
松風のおと聞くときはいにしへの
聖(ひじり)のごとくわれは寂しむ(たかはら)(33p)
宇野浩二の場合と異なり、芥川は
自分で眠剤を与えていた相手であるから
その悲しみは激しかったと思う
芥川には下島勲というホーム・ドクターがおり
また茂吉は内科医師神保孝太郎をも紹介しているものの
主に薬を出したのは自分であった(前掲書223p)
昭和2年4月27日・・・茂吉青山脳病院院長に
同年5月1日・・・北杜夫誕生・・・茂吉46歳
同年7月24日・・・芥川龍之介服薬自殺・・・享年35
やうやくに老いづくわれや八月の
蒸しくる部屋に生きのこり居り(ともしび)
(翌昭和3年11月17日養父斉藤紀一没)