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時間とは主体と他者との関係そのものである(レヴィナス「時間と他者」)
「時間」という概念を持ってこないと「昨日の私」と「今日の私」を架橋できない
そう考えたら、なんとなくレヴィナスの言いたいことがわかってきたような気がするのです
この同一性の不整合を架橋することを「主体性」と名づけると
「主体」も「他者」も「時間」も、すべては同時的に発生することになります(内田)
ぼくは「唯脳論」で、その意識のズレを視覚と聴覚のズレだと書いたのです
視覚というのは、時間を表現するものを捉えられません
写真を考えたら、そこに時間はない 逆に
聴覚は、時間はとらえられても空間はとらえられない
その視覚と聴覚を統一するのが意識の働きだろうと考えたわけです
視覚と聴覚のズレを埋めるために時空という概念を発生させざるをえないのです(養老)
視覚と聴覚のズレの問題こそ、まさにユダヤ教思想の核心なんですよ(内田)(69~70p)