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「父の不在」と「母の優位」を特徴とする日本人のパーソナリティ構造を
フロイト理論をなぞって読み解けば
「超自我の未成熟」を、したがって「倫理的劣位」を承認せざるをえなくなる
かれ(古沢平作)はそこでエディプス・コンプレックスの普遍性を否定し
かわってアジャセ・コンプレックスを提示する(前掲書119~120p)
古沢が主張したのは、超自我の確立には「父の抑圧」だけでなく「母の自己犠牲」というオプションもあることだった
「恥ずかしい父」をめぐって「失望した母」と「ふがいない息子」とのあいだに
「日本型エディプスの三角形」ができあがる
この母子同盟にとって父は心理的に不在だから
「去勢恐怖」による介入がない
(略)日本のエディプスは(略)前エディプス期のまどろみのなかに、成人した後も住み続けるのである
(・・・略・・・)日本のエレクトラは
ギリシャ悲劇のエレクトラのように父親に同一化もしない
母の抑圧者である父は夫として最悪の役割モデルであるばかりでなく
(略)母もまた「こうはなりたくない」反面教師でしかない
(略)日本のエレクトラは「不機嫌な娘」と化す(108~110p)
「上野千鶴子が文学を社会学する」2000
「ふがいない息子」だった男が「不機嫌な娘」だった女と結婚すると「近代文学」が誕生するわけだが(たとえば小島信夫)・・・最近の「不機嫌な娘」は結婚すらしなくなっている・・・
「ふがいない息子」は「恥ずかしい父」にすらなれないわけだ