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そこに隠れていたものは儒教だけではなかった
さらにその背後には道教が隠れていたのである
(略)おなじくシャーマニズムから発生した道教の自然は
とくに日本人の宗教心の基層をなしている
しかも道教は、日本の天皇制や、かって本居宣長などの国学者によってこれこそが日本的なものとされた「神道」と密接に関わっている(77~78p)
輪廻転生という仏教本来の教義からすれば
墓も祖先崇拝も祭儀も必要がないはずである(67p)
(日本の仏教が「葬式仏教」になっていくのは、儒教的祖先祭祀の影響による必然性があるわけだ)
死の不安やおそれに対して儒教は
孝という概念で死後の「慰霊」を教えたのである・・・つまり
招魂再生の儀式によって、懐かしいこの世にふたたび帰ってくることができる
そのような死生観と結びついて生まれた観念こそ
「宗教的孝」であり、子の親に対する服従といった「道徳的孝」をはるかに超えている
この宗教的な孝とは、現代のことばでいえば
「生命の連続の自覚」であり、「永遠の現在の自覚」である(67p)
なんとなくスピノザを思い出しますな・・・
(儒教が)宗教らしくないために
儒教と深いかかわりを持つ事柄が
仏教的であるとか日本固有なものだとか見なされてしまう
たとえば、墓参りや祖先祭祀は 本来的には
仏教的なものでも民俗信仰によるものでもない
(略)原儒教に由来するシャーマニズム的な「招魂再生」である(66p)