| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
養老孟司著新潮新書2006年
(バカの壁、死の壁、の続編である)
しかし自分とは何でしょうか
この問題については
詳しくは「無思想の発見」(ちくま新書)に書いたので
ここではごく簡単に触れておきましょう(35p)
世界を意味で覆う場合(略)意味論的な特異点が生じる
(原文では「必ず生じる」となっているが、「生じる」と「必ず生じる」は同義・・・「必ず」は不要・・・冗長・・・いちいちこんなこと書いてる私も「冗長」だな)
スコラ神学的な神の存在証明においても
世界の内と外に同時に属する両義的な特異点として
神概念を理解していた
哲学では、内を「内在的」外を「超越的」と呼ぶのに対して
神学的な伝統に由来するこの両義的な特異点を「超越論的」と呼ぶ
構造人類学はこれを「ゼロ記号」と呼び
社会システム理論は同じものを「サイファー:暗号」と呼ぶ
基本的には同じものだ(402p)
社会システム理論は普遍理論(どこにでも適用できる理論)ではあるが
(略)普遍理論であることを自称するローカル言語、であることを自称する普遍理論(・・・以下続く)なのだ
まるで判じ物だが、具体例で説明しよう
(略)ハーバーマスらが肩入れする市民社会的な普遍思想が
たかだか「連合国」のローカリティーに過ぎないことを
徹底的に論証するルーマンの普遍理論は
にもかかわらず、というか、だからこそ
「枢軸国ローカル」な言語空間にみごとに共犯的であり
「ドイツ人」ハーバーマスはまさにそのことに苛立っている
これが有名なハーバーマス・ルーマン論争における「対立の構図」である(386p)
もちろん全員が「まったり」したら
ただちに社会システムは沈没する
「まったり」できない損な役回りであるにもかかわらず
かってのように尊敬どころか、存在すらも認知されない
「システムの設計・維持管理者」の動機を
いったいどうやって調達すればいいのか(367p)
今日的な問題は、システムにおける一定部分の「無規範性」ではなく
むしろ「過剰な規範性」にこそあるように思われる
何が良きことなのか不透明なシステムで
「良きこと」へと過剰に動機づけられた人々が
救済と称してサリンをまく
「社会のために働く」ことに強く動機づけられた優等生が
官僚になって不透明なシステムの中に墜落し
見当外れの政策を実行する(289p)
宮台真司著角川文庫2000
だから若い娘を持つ親御さんにご忠告しよう
彼女たちをたとえ無菌室に隔離できたとしても
それは「免疫のない人妻」づくりに貢献するだけで
「安心」どころか「危険」の兆候なのだ
「免疫のない人妻」は、タワワに実った果物みたいなものだからである(28p)
さんざんソープランドに通ったすえに反省して
「アジアの売春婦に反対する男たちの会」の結成に参加した
谷口(和憲)の経験から、いったい何を学んでほしくて
上野(千鶴子)はこのテクストを収録したのか、私にはぜんぜん理解できない
この無内容なテクストの教訓が
「反省することははじめからしない」ということだとすれば
あらためて(上野千鶴子に)教わるまでもなく
私はそれを幼稚園で教わった(156p)
哲学者たちはそこで「必当然的明証性」(決して疑い得ないこと)というものを
何とかして探し出して、とにかく知の身分保証をしようとしてきた
(デカルトの「コギト」やフッサールの「超越論的自我」・・・)
(略)(レヴィナスは)次のような洞見を得た
知の徹底性への疑惑から逃れる仕方はいつも同じである
それは必当然的明証性という「物語」をつくりだすことである
哲学者は(略)それが自分で創り出した「物語」でしかないことを構造的に忘却する(279p)
ラカンの知見に従うならば、人間の無力さは、極限的には
「おのれが無力である」という事実それ自体を受け入れることが出来ないというかたちをとる
そのとき、人間はおのれの無力を
自分の「外界」にあって「自分より強大なもの」の干渉の結果として説明しようとする
(略)そのようにして私の外部に神話的に作り出された
「私の十全な自己認識と自己実現を抑止する強大なもの」のことを
精神分析は「父」と呼ぶ(274p)
性というのは「機能する欠如」なのであるから
そもそもそこには語るに足るようないかなる「根拠」もない
(略)性は「欠如」に他ならないという洞察を示したフロイトに対して投げつけられた非難は
「フロイトは性に無根拠な価値付けをしている」というものであった
(そして、その批判はほんとうに当たっていたのである)
(略)「性道徳から解放された性」というのは
「ドーナツを食べたあとのドーナツの穴」のようなものである
「ドーナツの穴」に「ドーナツ」を「徹底して批判」することはできない(182~183p)