| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 |
検索から
http://www.totsuka-yacht.com/nyuuko.htm
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9871312814
こちらは批判的だが・・・
http://anarchy.blog5.fc2.com/blog-entry-143.html
医学的な真偽はともかく
私は何となく脳幹を鍛えたくなってきたな
(昔、間脳思考、という本があったな)
そんな角さんもロッキードでつまずいてしまい(略)
同郷の先輩の立正X成会の開祖XXXX師が角さんに引導をわたして懺悔の行に平和運動でもさせようと一席もうけて説教してみたがまったく効果はなかったそうな
(略)もしあのあたりで田中氏が一度自分を捨て切ることが出来ていたら、竹下登の独立に立腹した挙げ句に憤死するようなことはなかったろうに(379p)
もしものさらにもしもの話だが、私が参議院に入って、いろいろ世話になっていた佐藤派に入り、その後の分裂でも田中派に属していたとするなら、あるいは今頃自民党の総裁にもなれていたかも知れない(381p)
「あんな所にそんなに長くいて、毎日何を食っていたんだね」
「カレーや。毎日、三食カレーや」
「そんなことしてて体がもつか」
「いやあ、カレーがあんなに豊富で旨いものとは知らなんだよ」(436p)
石原センセ~は(高見順氏にも言及して)辛いものが食道癌の原因と考えておられるようだが、アルコールの方が主因じゃないかな
昔テレビの釣り番組で、ウイスキーのボトルをラッパ飲みする開高氏をよくみたものだな・・・
斉藤環センセ~による
http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8D%D6%93%A1%8A%C2/shintaro.html
こちらにはなぜかリンクできないな・・・
こちらからどうぞ
クリントン大統領が日本に比較的冷淡だったのは、アーカンソー州知事時代に日本に何度もやってきたのに、全然相手にされなかったかららしい・・・(クリントンの妻が次期大統領になったら日本に冷淡だろうな)
さかのぼって、無名時代のレーガン大統領(当時カルフォルニア知事)が日本に来たときに(レーガンが映画俳優時代にファンだったという)石原慎太郎氏は私費で接待して財界に紹介し、大平幹事長や中曽根氏にも紹介したらしい(すげえ!)
さらにさかのぼって、ニクソン大統領に言及されている・・・目からウロコが落ちたな・・・(世間の評判なんか当てにならないものなんだな)
彼からいい出してきて次の参議院選挙に私が自分のために組織していた「日本の新しい世代の会」の推薦で全国区に立候補することになった
(しかし三浦氏は選挙運動のストレスからノイローゼ?になる)
(略)スキーの縁で彼の選挙の大スポンサーを買って出てくれていた赤井電機の社長から急なお呼びがかかった
「・・・僕はね、一代でこの会社を作った猛烈社長だから肺病だろうと癌だろうと社員を叱咤して働かせてきたが、ただ一つどうにもならない病気がある、ノイローゼだよ。これだけは何いっても何しても駄目・・・」
(三浦氏はスポンサーに見放され選挙をおり、急遽細川元総理の擁立となる)
この出来の悪い殿様候補を抱えてみんなどれほど苦労したことだったか
(略)みんなの努力で当選を果たしたら彼は仲間に断りもなしにさっさと田中角栄派にいってしまい(・・・略・・・)ついには総理にまでなった
総理として大いに活躍してくれたならかっての仲間の苦労も報いられたものだが(略)
元はといえば、いっても詮ないことだが冒険スキーヤー三浦雄一郎のノイローゼが日本の政治をいささか狂わせたということにもなる(285~289p)
細川元総理は現在陶芸家をされているようだ
そして江藤淳もまた自裁してしまった
(略)葬儀の折私は友人の一人として弔辞を読んだ
その場についに顔を見せることのなかった、かっての同じ世代を代表した友人の一人大江健三郎は
江藤の死についてどこかから言葉を求められ
「彼の死は同じ脳梗塞で倒れた後リハビリに務める人達に対して失礼だ」といったそうな
聞いて呆れたというより、うそ寒いものを感じさせられる(443p)
氏がよく冗談に、五十過ぎたら俺は
三島由紀夫を魅死魔幽鬼翁に改名するんだといっていた言葉のように
その肉体の外形が何であろうと氏が自らの美学に徹し切って
幽しい鬼のような存在に成り得ていたなら
私たちはもっとさまざまな刺激や啓発を氏から受け
日本も今ほど退屈でなしにすんでいただろうに(114p)
結婚前の大江健三郎はすでに知名の作家ながらまだ成城のどこかの家に下宿していて
一人暮らしのこととて自炊も手間がかかり
家にいる時はいつもチキンラーメンなるものを
自分で作って食べているとのことだった
私としては、チキンラーメンなるファーストフッドの存在を
初めて彼から知らされたものだ(422p)
第一部の「春の雪」を途中で投げ出してしまったが
後日スポーツで怪我をして医者から一週間の安静をいい渡された折
先輩への礼儀と心得、覚悟して読みなおしたが
苦労して読み終えた時思わず涙が出たのを覚えている
(略)私が思わず流した涙はあの大作の無残なほどの退屈さのせいだった(前掲著113p)