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顕密は人にあり(空海)・・・私は密だな
修験道においては、山岳がマンダラと捉えられいる
また、母胎になぞらえられている
(略)行者は儀礼的に死を象徴したうえで
母なる山で胎内修行をし
新しい生を受けて山から出てくるのである
(略)これは空海が考えそうなアイデアである
山を下りてきた空海が、人々の前に姿をあらわした場所は
和泉国槇尾山寺であった(ひろさちや「空海入門」)
私はまだ槇尾山のぼったことないな
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