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参政権獲得後のフェミニズムは、家事や育児は「退屈」だという不満から発したのであリ、不払い労働だの自己実現だというのは、格好づけの粉飾でしかない
(略)子どもの生育は何よりの退屈しのぎだと言ったのと矛盾しているではないか、という人もいるかもしれないが、実際の育児は、退屈で大変で、充実感の乏しい仕事であることが多いのである
(略)だが、男の側から言うならば、仕事といってもやはり退屈なルーティン・ワークであることが多いし(略)
近代社会において、人はいつも、この目標を達成すれば楽になる、いい暮らしがやってくる、と考えてきた。
だが、最終的に人類の前に立ちはだかったのが、「退屈」という最後の、そして最強の敵だったのである(222p)
退屈な話(1889年)は私も学生時代に読んだな
かもめ(トリゴーリンという作家が主人公)読んでみよう
当時の文学者の中で、退屈を決然と拒否したのは、有島武郎である
有島はクロポトキンの影響を受けて社会主義に目覚め、社会変革を志したから、漱石や志賀直哉の苦悩がブルジョア的な贅沢であることが見えていたはずだ
(略)大正12年、関東大震災の直前に、軽井沢で人妻の新聞記者と心中してしまった。(41P)
有島が心中したのは城崎にてじゃなかったかな・・・何でそう思い込んでたのだろうな
カズイスチカとは、臨床記録を意味するラテン語である
初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。
そのうち、熊沢蕃山の書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳ったりするのも道を行うのであるという意味のことが書いてあった。
(略)自分が遠い向こうに或る物を望んで、目前の事を好い加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常のことにも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。(森鴎外「カズイスチカ」1911年)
最近SSRIという新型の抗欝剤が開発され
これが劇的に気分を爽快にさせるというので
米国では数千万人が服用しているとされており
日本でも認可されたが
今のところ日本人では副作用の大きい患者の割合が高く
三分の一くらいの人にしか効かないようである(小谷野著「退屈論」)
もっと効かないという印象だな・・・しかも最近の鬱病は難治のが増えている印象・・・適応障害化しているというか・・・高齢化してるし
状況因の解消しない欝は遷延するわけだ
なお、SSRIは上部消化管出血と自殺に細心の注意が必要
なぜそんなことになってしまうのか
皆で仲良く暮らせないのか
と人はいつも思う
人間というのは元来暴力的な存在なのか
と絶望する人もいるだろう
だが、結局こうした暴力は「退屈しのぎ」なのである
子どもの世界の「いじめ」を考えてみても
あれは一種の「遊び」である
ホイジンガやカイヨワは「遊び」のこうした陰湿な面を見なかった
小谷野敦著
宮台真司は、人生に意味はない、と言い
ニーチェに依拠しつつ
意味ではなく強度を求めろ、と言っていた
実はこの「強度」というのがよくわからなかったのだが
要するに「祭儀」とか「快楽」のことらしい
(略)遊びが大切だ、とか、快楽を肯定せよ、とかいわれると
ごく単純な疑問が沸いてくる
(略)「飽きないか」ということなのだ
(略)大勢の子どもを生んで育てるというのは
優れた「人生への退屈」を回避するシステムだったのではないか(まえがき、より)
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ニーチェが
神は死んだ
といったのは有名だが
仏は死んだ
といったらどうなるかな
仏が成仏した
釈迦がお釈迦になった
阿弥陀がお陀仏だ
顕密は人にあり(空海)・・・私は密だな
修験道においては、山岳がマンダラと捉えられいる
また、母胎になぞらえられている
(略)行者は儀礼的に死を象徴したうえで
母なる山で胎内修行をし
新しい生を受けて山から出てくるのである
(略)これは空海が考えそうなアイデアである
山を下りてきた空海が、人々の前に姿をあらわした場所は
和泉国槇尾山寺であった(ひろさちや「空海入門」)
私はまだ槇尾山のぼったことないな