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「論理哲学論考」より
思考し、表象する主体など存在しない(5・631)
主体は世界の一部でなく世界の限界である(5・632)
ここにおいて、独我論は厳密に遂行されれば、純粋な実在論と一致することがわかる。独我論の自我は延長なき点に縮小し、対応していた実在があとにのこる(5・64)
(この直前、彼は有名な「眼と視野の関係」のに比喩ついて記述している・・・視野には眼は入っていない・・・視野から眼の存在は推論できない)
時間についても引用しておこう
時間の経過など存在しない・・・単に(時計の進行といった)別の出来事と比較できるにすぎない(6・3611)
(主体も時間も存在しないのだから、あと世界が存在しなければ完璧だと思うが・・・)
世界は成立するものごとの全体である(1)
世界は事実の総体であって、物の総体ではない(1・1)
世界に実体がなかったとしたら、命題に意味があるかどうかは、他の命題に依存してしまうことになる(2・0211)
そのときは世界の像を描き出すことが不可能になるであろう(2・0212)
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わたしには、ハイデガーが存在と不安ということで何を考えていたか、十分に想像することができる
人間には、言語の限界へ向かって突進しようとする衝動があるのだ
(中略)かかる突進は、キルケゴールもまたこれを見ていたのであって、よく似た言い方で(逆説への突進として)言い表している
かかる突進こそ倫理なのである
私はひとが倫理についてのあらゆる無駄話に終止符を打つことこそ本当に重要だと思う
1929年12月22日(日曜日)シュリック邸での談話
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