| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | |||
| 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
| 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
| 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
| 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
アリストテレス「自然学」第二巻第二章より
われわれ自身もまた、ある意味では究極目標である
というのも、目的すなわち「それ」のためであるところの「それ」ということにも二つの意味があるからである
しかしそのことは「哲学について」の中で述べた
ところが、「哲学について」というアリストテレスの初期著作は現存していないらしい
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
アリストテレスはプラトンの弟子である
アリストテレスはプラトンの「イデア」を否定した
プラトンによってイデアの影と貶められていた個物は、アリストテレスによって本来の意味のウーシア(実体)とされたわけだ
しかしアリストテレスはエードス(形相)を重視する
「形而上学」冒頭においてアリストテレスは述べる
人間は生まれつき知ることを欲する
とくに愛好されるのは「見ること」である
見られているものはもちろんエードスであろう
プラトンはイデアとエードスをしばしば区別していない
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
カントは少々古いな・・・
古いついでにアリストテレスに遡及しよう
実体(ウーシア)・・・主語となって、述語とはならない(アリストテレス)
場所・・・述語となって、主語とはならない(西田幾多郎)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「実用的・実践的見地における人間学」(1798年)は、1804年に満79歳で亡くなったカントの最後の著作である
第二部が人間学的性格論、となっており
A・・・個人の性格
B・・・両性の性格
C・・・民族の性格
D・・・人種の性格
E・・・人類の性格
となっている
E(最後の章)より・・・
自然状態から脱却しようと敢えて試みている人類について、ルソーは口を極めて不愉快を隠さぬ叙述をおこなっているが、人間がふたたび自然状態に、すなわち森の中に戻るべきだと主張しているわけではなく、人類の使命にたえず接近するよう軌道に乗ることが人間にとって困難であるとルソーが言明したということでもない・・・われわれは人類の使命を勝手に作り上げてはならない・・・人類がいつかはもっと良い状態になるか否かについて、古今の経験は、あらゆる思想家を困惑させ、懐疑的にしたことが確かであるにしても
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
けいしじょうがく、かと思ったら、けいじじょうがく、が正しいようだ・・・検索してみてわかったわけだ
純粋理性批判(1781年)と実践理性批判(1788年)の間にカントは形而上学に関する二つの著書を著わした
人倫の形而上学の基礎(1875年)
自然科学の形而上学の原理(1876年)
判断力批判(1790年)は一言で言って「美学」の書である
真・・・自然科学(数学、論理学を含む・・・とすると言語学も含まれてくるのかな)・・・純粋理性批判
善・・・倫理学・・・実践理性批判
美・・・判断力批判
という対応であるようだ
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
精神病理学でよく言及される「超越論的間主観性」とかについて、なんのこっちゃ、とはじめ思ったが、超越論的(トランツェンデンタル)というのは、昔は「先験的」と訳されていたことを知り、わかったような気になった
経験に先立つ・・・ア・プリオリのことだな
と思ってたわけだが、実は両者は違うようだ
http://www.geocities.co.jp/HiTeens-Panda/4695/theme/ap-trans.html(2002年当時H大の学生さんのようである)・・・メール出してみようかな
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
カントといえば「物自体」であるな
ここでラカンの「現実界」を思い出すが、ラカンはヘーゲリアンじゃなかったかな・・・ヘーゲルは全く読んだことないな
まさかカントとラカンが近いとはな
しかしビオンはカントニアンだったはずで
ビオンとラカンはなんとなく似てた気がするな
やっぱりラカンとカントは近いのかな
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
難解だな・・・あと「悟性」というのがわかりにくいが・・・こういう場合以外使わない単語だから脳内におさまりがわるいのだろうな
http://www.nagaitosiya.com/b/transzendentale_dialektik.html
永井俊哉という人を知る・・・ルーマンの専門家?学者ではないみたいだな・・・メルマガ申し込んだ
学問哲学と人生哲学の橋渡しみたいな人なのかな
連山というサイトも見つかったhttp://www.teamrenzan.com/archives/writer/nagai/
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
純粋理性批判(1781年)の書評は、カントを、「外界の存在を否定するバークリー流の観念論者」だと決め付けるものばかりで、カントは非常に落胆した
バークリーは「存在とは知覚である」と唱えたわけだが、そもそも「知覚する主体である自我は知覚されていない」のであるから、バークリーにしたがえば「私は存在しない」ということになってしまう
なんとなく自己言及のパラドックスを思い出すね
固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)