毎年私の誕生日になると、TVで「追悼番組」が流れます。
25歳の誕生日には「あれから5年」
30歳の誕生日には「あれから10年」
40歳の誕生日には「あれから20年」
今日のTVでは「あれから23年」と流れていました。
1985年8月12日夕方、羽田発大阪行きの日航512便が御巣鷹山に墜落、520名の方が亡くなるという大惨事が起きました。
これは今でも世界の航空事故中最大のものだそうです。
私の20歳の誕生日は、520名の方々の命日になってしまいました。
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当時私は2浪中で、実家を離れ、東京の新聞販売店でいわゆる新聞奨学生として住み込みで働きながら予備校に通っていました。
そして翌朝13日は大変なことになりました。
販売店に深夜には届くはずの朝刊が、大ニュースで遅れに遅れ、昼頃になりました。
当然お客様からはまだかまだかのクレームの電話が殺到し、配達先でも「どうしてこんなに遅いんだ!!」と怒鳴られっぱなしでした。
やっとの思いで朝刊を配り終えて帰ってくると今度は夕刊の配達が待っていました。
「僕の20代はろくなものにならないかもしれないなあ・・・」と思ったものです。
今でも事故の大きさ、ショックと自分の未来への不安が交錯する強い記憶として残っています。
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さて、皆さんはどうやって自分の進む道を決めているのか、不思議になることがあります。
大学受験にしても、18歳で「○○学部□□学科」を自信を持って選べる人はそうそういないのではないかと思います。
小学校の次には中学校、中学校の次には高校、高校の次には大学と、ここまでは「学校→学校」ですからそう違和感はないわけですが、大学を出れば普通は仕事に就かなければいけません。その仕事を大きく左右するのが大学選択、学部学科選択なのですから一大事です。
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当時は国公立大学は年に1度しか受験のチャンスがありませんでした。
裕福な家庭ではありませんでしたので私立は選択肢にありませんでしたが、そもそも自分の将来像を定めることができないまま受験に臨み、2回失敗するともう「2浪」になってしまいました。
思えば中学校の頃から、日記に「将来やってみたいこと」を20個くらい並べてそれぞれにいろいろな検討を加えていた形跡があります。それでも20歳になるまで将来を決めることができませんでした。
「やりたいことが分からない」「やる気が起きない」と、フリーターやニートの位置にとどまる若い方々を非難する大人もいらっしゃいますが、当時の私はまさにそんな心境でした。
本当に苦しかったのを覚えています。(2浪だし世間の目も冷たかったのも原因の1つですが(笑))
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共通一次試験が終わり、出願の締め切り間際になってやっと、私は医師になろうと決めました。
夏の出来事で無念の死を遂げた方々の思いが私に「命」を考えることを教えてくれたのかもしれません。
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幼稚園でも小学校でも、当たり前のように「将来何になりたい?」と聞かれますが、考えてみればそれはすごく酷なことのようにも思えます。
小学生の興味はお友達だったりサッカーだったりポケモンだったりするわけで、まさか自分がスーツを着て働くことまで想像できないでしょう。
周りの大人が、自分の果たせなかった夢を子供に負わせることもあるのではないでしょうか。
今の世の中、教育の場と働く場がものすごく乖離しているように感じます。
本来、同じ日本の同じ空気の中で、勉強も、仕事も、同時におこなわれているのです。
大学を出て学校の先生しかしたことがない方が「進路指導」をしているのもどうなんでしょう?
だったら「13歳のハローワーク」を何度も読ませた方がずっとリアルに社会を感じるかもしれません。
子供は小さいうちから年に何回か学校を出て社会に学び、働く人は学校で自分の仕事の面白さ、大変さ、将来の夢を語り、先生は数年間会社に出向して真夏にスーツで汗をかく。そんな仕組みにはできないものでしょうか?
世の中がいろいろな人たちのいろいろな苦労で支えられられていることを知り、自分もその一員としてどこかで人の役に立ってみたい、そう思えるような社会だったら素敵だなと思います。
脱線続きの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
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