ゆうあいクリニック理事長日記
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Doctors Blog

< 慶應義塾大学薬学部 | メイン | 名人伝 <本当のプロフェッショナルとは>... >

中島敦の有名な短編小説に「山月記」があります。
喘息発作のため33歳で夭折した作家です。高校の教科書の定番ですからご存じの方も多いかもしれません。

李徴は優秀な役人であったが、その地位に満足せず詩人として名をなしたいと努力するも挫折、行方しれずとなった。かつての友人が偶然山奥で虎に変身した李徴と出会う、というストーリーです。

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隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、かく略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。

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20年以上前に初めて読んだ小説ですが、忘れられないのは以下のくだりです。
虎と人間を行き来する李徴のせつない心中です。

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ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己の残虐な行のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き喰うて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。

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私が医師になったきっかけの一つが、(今でいう)認知症を患い亡くなった祖母の思い出です。

私は当時小学生でしたが、徐々に病状が進行してゆく祖母を見るにつけ、彼女の一番の苦しみは「自分が自分でなくなってゆくこと」なのではないかと思うようになりました。

「ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。」まさにそういうことです。

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私は以前、認知症を中心とした患者さんの訪問診療の仕事をしていたことがあります。

以前は立派に仕事をされ、家族や社会のために一生懸命尽くされた方々です。

今はずいぶん少なくなったように感じますが、老人介護というと、つい「○○さん××しましょうね~~」式の、まるで子供扱いをするような接し方をする方が多く、心を痛めます。

患者さんの切ない気持ちに共感し、心からの尊敬を持って診療にあたりたい、いつもそう考えていました。

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