理事長業をしていると、飛び込みのアポイントの依頼がよくあります。
どんなところによい出会いがあるかわかりませんので、なるべくお会いするようにしています。
特にベンチャー系の会社の方とお話していると、だいたい10分以内には「○年後には株式公開を目指しています」とおっしゃるので、いつもがっかりします。
この方にとって、仕事って何なんだろう。
会社を興して、仕事が広がって、もっと大きい仕事をするために株式公開をして資金調達する、それが普通の考え方だと思うのですが、実力もまだないのにまず「上場」を口にする人の多さには辟易します。
「上場」はお金を生み出す玉手箱で、「上場」こそ仕事のゴール、そういう考え方が、昨今の歪んだマネーゲームの中で生まれているように思います?
自分の仕事に愛情と信念を持ちたいものです。
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現行法制度では、医療機関は株式会社では運営できませんし、株式公開ももちろんできません。
剰余金が出て税金を払った後のお金は配当もできないので、貯めておくか、自分たちのために使うしかありません。
ゆうあいクリニックの財政もまだまだアップアップしていますので、こんなことを言うと笑われ(怒られ?)ますが、早く剰余金を出して、「米百俵」の喩えのごとく、職員の皆さんの教育とスキルアップのためにたっぷり使いたいです。
上場などという邪念が湧きませんし、本当に人のためになっているという実感も日々持つことができます。医療の仕事に携われることは本当に幸せです。
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ゆうあいクリニック(医療法人ゆうあい会)では来春、診療放射線技師、臨床検査技師の4年制大学の新卒者を数名採用させていただくことになっています。
先日、第1回の採用試験をおこない、それぞれ1名、計2名の方の内定を出させていただきました。
(不採用になった方々本当にごめんなさい)
第2回の採用試験は年明けに予定しています。
試験と言っても、履歴書を見ながら、全部で2時間ほど、個別面接をするだけのものです。
学科試験も適性試験も論文もありませんが、それで充分だと思います。
そこで気になったのですが、放射線技師になる方々は、学校で「同時に複数の願書を出してはいけない、内定をもらったら断ってはいけない」という指導を皆受けている、ということです。
かつて放射線技師はかなり不足しており、医師より遙かに高い給料でスカウトされる例もあったといいます。その後学校が増えて一転、就職難となったようです。
その名残とは思いますが、受験生(学生)にあまりにも不利な指導は撤廃すべきだと思います。
一番就職したい病院が最後にあれば、そこまで試験を受けないで一発勝負にかけるか、それより前に受かったん病院に渋々就職するかどちらかしかないなんて、医療機関附設の学校でもなく、いやしくも学問の府であるべき「大学」ではあり得ないのではないのでしょうか?
ちなみに臨床検査技師になる方々にはそのような指導はないようです。
たとえば文系大学の卒業生は山ほど就職試験を受けるのが普通です。その中で、自分の能力や長所、短所を再認識して成長することも多いと思います。いろいろな会社を訪問することで、自分の適性や会社との相性も事前に見極めることができます。
採用する側にとっても、内定を出せば必ず就職してくれるなんて楽ちんなのはよろしくないと思います。
先日の「日経ビジネス」に、内定者全員の実家を全国訪ね歩いてご両親に挨拶するベンチャー企業の社長さんの事例が載っていましたが、そのくらいの緊張感と気概が必要なのではないでしょうか。
内定を出したお二人が、来年の今頃「ゆうあいクリニックに就職してよかった」と感じ、また周りも「君が就職してくれてよかった」と思えるような活躍をしてくれることを祈ります。
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訪問診療をしていた頃の話。
80代の女性、胆管がんが進行して、在宅で最期を迎えるために自宅に戻られました。
意外かもしれませんが、こういうときに大事なのは「いつでも入院できる支援病院」の存在です。
在宅医療にはメリットがたくさんあります。
・慣れた家で過ごせる
・家族がいつでも会える(面会の制限がない)
・介護保険、医療保険を含め様々な社会資源を(病院ほど制約なく)組み合わせることができる
・医療費が安くなることが多い
などです。
しかし、在宅での最期を選択したあとでも、ご本人、ご家族の心は揺れに揺れます。
「病院ならもっと生きられるのではないか」
「もっとやれることがあるのではないか」
「家族に迷惑をかけて申し訳ない」
「さすがにたまには介護を休みたい」
などなど、一度決めたこととはいえ、やり通すのは並大抵のことではありません。
この女性の場合も、病気を治療した病院の理解があり、何かというときにちょっと入院させていただき、体制を立て直して在宅に戻る、ということを何度かくり返す中で、皆さんの中に「納得」や「満足」が生まれ、「覚悟」ができてゆく、という経緯をたどりました。
人にとって、亡くなるのは最初で最後の体験です。
ご家族にとっても、人数分だけ異なった思いがあるのに違いありません。
「自宅で看ると言ったんですから最後まで頑張ってください」などと突き放すことなく、臨機応変に最適な施設や資源を使うことのできる終末期医療を誰もが受けられるようになってほしいものです。
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今日も中島敦の作品「名人伝」から。
昨日言い忘れましたが、作品の出典は、著作権の切れた作品を中心にインターネット上で進められている電子図書館プロジェクト「青空文庫」です。すばらしいプロジェクトに感謝します。
http://www.aozora.gr.jp/
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弓の名手記昌は、修行を重ねてすばらしい腕を身につけました。
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百本の矢をもって速射を試みたところ、第一矢が的に中れば、続いて飛来った第二矢は誤たず第一矢の括に中って突き刺さり、更に間髪を入れず第三矢の鏃が第二矢の括にガッシと喰い込む。矢矢相属し、発発相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の括はなお弦を銜むがごとくに見える。
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百本の矢が1本になってしまうとはすごいですね。
それでも飽き足らない記昌は、甘蠅(かんよう)老師という名人に師事するため西へ向かいました。
9年の後に故郷に戻った記昌には、もはや弓矢は不要でした。
弓矢を使わずに射る「不射之射」を身につけたのです。
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ある日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶えのある道具だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度紀昌が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」
その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたということである。
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内科医も聴診器を見て「これは何だ?はて、名が思い出せぬ」となったら一流でしょうか?(笑)
「薬とな、それは何に使うのじゃ?」というのも格好いいです。
正しい診断をし、適切な治療をするのが目的ですから、必ずしも道具は必須ではないわけです。
含蓄の深い小説ですね。
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中島敦の有名な短編小説に「山月記」があります。
喘息発作のため33歳で夭折した作家です。高校の教科書の定番ですからご存じの方も多いかもしれません。
李徴は優秀な役人であったが、その地位に満足せず詩人として名をなしたいと努力するも挫折、行方しれずとなった。かつての友人が偶然山奥で虎に変身した李徴と出会う、というストーリーです。
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隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、かく略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に駆られて来た。
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20年以上前に初めて読んだ小説ですが、忘れられないのは以下のくだりです。
虎と人間を行き来する李徴のせつない心中です。
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ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己の残虐な行のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人と認めることなく、君を裂き喰うて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。
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私が医師になったきっかけの一つが、(今でいう)認知症を患い亡くなった祖母の思い出です。
私は当時小学生でしたが、徐々に病状が進行してゆく祖母を見るにつけ、彼女の一番の苦しみは「自分が自分でなくなってゆくこと」なのではないかと思うようになりました。
「ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。」まさにそういうことです。
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私は以前、認知症を中心とした患者さんの訪問診療の仕事をしていたことがあります。
以前は立派に仕事をされ、家族や社会のために一生懸命尽くされた方々です。
今はずいぶん少なくなったように感じますが、老人介護というと、つい「○○さん××しましょうね~~」式の、まるで子供扱いをするような接し方をする方が多く、心を痛めます。
患者さんの切ない気持ちに共感し、心からの尊敬を持って診療にあたりたい、いつもそう考えていました。
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慶応義塾と共立薬科大学は合併を前提に交渉に入ったと発表しました。
交渉が成立すれば「慶應義塾大学薬学部」になると思われます
一般企業ではM&Aは当たり前になりつつありますが、いよいよ学校にもその波が押し寄せてきたのですね。
医療機関も同じだと思います。私たちも安全な医療・適切な情報発信・きちんとした経営を心がけて「きたるべき時代」に備えたいと思います。
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「ゆうあいクリニック理事長日記」は、内科医かつ医療経営に携わる者として、今まで経験したこと、日々患者さんにお話ししていること、医療について考えていることをなるべく正確に、自分の言葉でお伝えしようという試みです。
「試み」ですから、掲載も3つのサイトを使わせていただき、全く同じ文章を同じ時刻にアップロードしています。
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ココログでは、開設者は自分のブログが検索されたキーワードを調べることができます。
ブログにお越し頂いた検索キーワードで・・・
・ヒステリー球 37名
・のどがつまる 20名
・のどがつまる感じ 6名
と、ヒステリー球のお話が多かったです。
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これからも、頑張って更新を続けてゆきたいと思います。
ご感想、ご要望などはお気軽にコメントしていただけましたら嬉しいです。よろしくお願いします。

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平成18年2月施行医師国家試験「必修問題」より。
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院内感染防止策として最も重要なのはどれか。
a.手洗い
b.マスク着用
c.感染巣消毒
d.抗菌剤投与
e.汚染物廃棄
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昔々「患者を一人診察するごとに手を洗う医学部教授」として写真週刊誌で揶揄された方がいらっしゃいました。本来はそれがまさに正しい方法なんですがね・・・。
というわけで正解はa.
抗菌剤濫用による耐性菌の増加はまさに「いたちごっこ」の様相を呈していてます。
風邪の予防にも「うがいと手洗い」がもっとも有効であることをもう一度肝に銘じておきたいです。
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早くも年末、忘年会シーズンですね。
お酒はほどほどに、は大原則ですが、なかなかそうも行かないこともあるかもしれません。
私はいつも「五苓散」のお世話になっています。
(ときに茵蔯五苓散・柴苓湯など使い分けて)
日経BPのサイトにこんな記事がありました。↓
http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/kenkou/kanpou_051222.html
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会社である程度の役職につくと,上司や部下,取引先との接待など,酒を飲む機会が増えてくる。年末年始ともなれば,さらに飲む回数も多くなる。体質的に酒を受け入れられないビジネスパーソンにとっては悩みの種だろうが,酒好きな人の中には,終業時間が待ち遠しいという人も少なくないのではないだろうか。
(中略)
漢方では,二日酔いが起こる原因を,水分の代謝が悪くなって起こる「水毒」と考えて治療に当たる。
代表的な薬が「五苓散(ごれいさん)」である。喉が乾いて,尿の出が悪く,吐き気,嘔吐,腹痛などの症状があるときに用いる。古典には「脈が沈んで小便が乏しく熱があって渇きひどく水を飲みたがるときに用いる」と書いてある。水を飲むと吐く人にも使われる。気が高ぶり(上衝),嘔吐があったり,つば(唾液)が出て,激しい頭痛やめまいがある「表熱」という症状があるときにも用いられる。
二日酔いのむかつきがひどい時には,「茵陳五苓散(いんちんごれいさん)」がある。五苓散に「茵陳蒿(いんちんこう)」を加えた処方で,口が乾いて尿の量が少なく,便秘の症状はなく,脈があまり触れず弱く,総じて軽症である場合が対象となる。
(中略)
ただし,本当はこうした漢方薬を使わずに済んだ方が望ましいことは言うまでもない。季節柄,酒を飲む機会が増えるが,酒量はほどほどにとどめておきたいものだ。
(天野 宏)
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二日酔いになってから、というよりは、お酒を飲む前に一服飲んでおくと相当な確率で二日酔いを防いでくれます。
処方薬だけではなく市販薬もありますので、ぜひお試しください!
そんな体験から、漢方薬のファンが増えてくれたら嬉しいです。
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PET検査の仕事をしていると、毎日毎日たくさんのがん患者さんと出会います。
もちろんがんは今や「治る病気」ですから、皆さんのほとんどは元気に社会復帰をされるのでしょう。
しかし、だんだんに病気が進んでゆく患者さんも少なからずおられます。
「ホスピス」というと特別なところ、というイメージがいまだ一般的なのでしょうが、ある程度進んだ病気を心身ともがっちり受け止めて、「ホスピタリティー」を持って全人的なお手伝いをするという考え方は全ての医療機関に必要なのではないでしょうか。
「ホスピス」と「ホステス」は、「親切にもてなす」という意味の「ホスピチウム」というラテン語が語源です。
いろいろな背景をもち、社会的にいろいろな立場の方を、(しかも酔っぱらっていても)上手にもてなす女性の方々のすばらしいホスピタリティーを、医療機関も謙虚に学ぶ必要があるのではないでしょうか?
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