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Jさんは1ヶ月前より咳こむようになり、最近息切れもするようになってきたため、近くの病院の外来を受診、胸のレントゲンで両肺が白くなっており、即入院となりました。肺炎と心不全と診断され、抗生剤と利尿剤で治療されました。しかし、全く改善しません。そこで、呼吸器内科に紹介されてきました。
レントゲンおよびCT上は確かにスリガラス状の影があり、心不全も疑わないといけないものでしたが、心臓超音波検査では異常ありませんでした。肺炎とすればかなりの重症肺炎になりますが、炎症反応(CRP)は軽度上昇のみでした。そこで、血清腫瘍マーカー(CEA)を測定してみたところ、高値でした。悪性のものであれば、抗生剤や利尿剤が効かなくて当然です。その目で胸部CTを見直してみると、小葉間隔壁の肥厚や気管支血管束の肥厚といった癌性リンパ管症に特徴的な所見がありそうです。
癌性リンパ管症とは、肺内のリンパ管をつたって、両肺に癌細胞が広がった状態のことを言います。
しかし、問題はその癌細胞がどこから来たかです。Jさんは呼吸不全が進み、酸素マスクで酸素を10L以上吸入しています。とてもこれ以上の検査はできません。
数日後、Jさんは呼吸不全で亡くなりました。Jさんに生前確定診断をつけてあげられなかったのは、内科医としては一種の敗北です。死亡診断書の死因欄に何を書けばいいか分からないからです。30年前であれば、Jさんの死因は肺炎や心不全と書かれていたかもしれません。
御家族の理解を求め、病理解剖を行いました。死因は胃癌でした。御家族にも自信をもって死因を伝えることができました。
更に後日、小さな雑誌の1ページですが、症例報告をすることができました。
すべての患者さん、特に病理解剖を行った患者さんは、何らかの形(学会報告など)にしなければならないと思っていますが、なかなか現実は難しいのです。
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筑紫さんの死亡記事にも驚いたが、ほぼ同時期にマイケルクライトンさんまで癌で亡くなっていて更に驚いた。
筑紫さんといえば「NEWS23」、ニュースステーションの久米宏の軽いノリと違って、筑紫さんの真面目さが好きでした。初回の「多事争論」を始めるときのNEWS23を見ていました。「他人に影響を受けず、自分自身の言葉でニュースを語る」と言っていたような気がします。その日のニュースを短い言葉でまとめて色紙に書き、原稿を読まずに喋る姿が懐かしく思います。
マイケルクライトンと言えばジュラシックパークではなくて、私にとってはERでしょう。他に医学ミステリー小説も読みました。ERの精緻さはテレビでは過去にあり得なかったものでした。医師になってからもERで医学知識を学んだものです。
このような影響力のある二人が、がんで亡くなるときどのような言葉を残したか、知りたいものです。
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読売新聞では「たばこ1箱千円以上、未成年の喫煙防止に効果的」という見出し
一方、毎日新聞では「たばこ:値上げ…やめられぬ未成年 1箱1000円になっても、3割「吸う」」という見出し
同じデータでも記者によってニュアンスが異なります。
しかし、毎日新聞でも一箱千円に値上げすれば、42%の未成年が禁煙すると報告しています。
つまり、たばこ一箱500円に値上げしたぐらいでは禁煙効果はなく、1000-1500円にしなければダメなのだ。
喫煙する年齢が低ければ、ニコチン依存症になりやすく、従って、病気になりやすく、死亡率も上がる。国民医療費も上がる。
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日本はまだタバコを吸っている人が多い。
最近は若い女性が、コンビニの前の灰皿で吸っているのを良く見かける。
Kさんは愛煙家の70歳男性でした。診察室に入ってきたKさんの胸ポケットからタバコの銘柄が覗いていました。
「タバコ吸ってるよね。いつから一日何本吸ってるの?」
「15歳から40本くらいかねえ。」と苦笑いしながら答えます。
かかりつけの医師より数年前から喘息といわれ、テオフィリン製剤だけ飲んでいたようですが、いよいよ息切れがひどくなり、紹介されてきました。
胸部レントゲンでは心臓は小さく、横隔膜は平坦になっています。典型的な肺気腫と考えられました。一秒率の低下もあり、COPDと診断しました。
もう何回言ったかわからないセリフをKさんにも言いました。
「禁煙すれば進行を抑えられますが、根本的な治療はありません。タバコで壊れてしまった肺はもう元に戻りません。」
今タバコを吸っている人たちへ、
「治療法はありません」と何回も言わなければならない医師の気持ちも分かってくださいね。
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内科医は血を見るのが苦手。血を見たくないために、内科医になった人も少なくないでしょう。
Jさんは最近、血痰がでるというので外来を受診した。戦前は喀血だけで肺結核と診断しても大方当たっていたが、現在は違う。Jさんは、胸部レントゲンとCT写真で肺がんが疑われた。確定診断のために気管支鏡を行ったところ、左の主気管支から気管にかけて大きな腫瘍があり、細胞診と病理診で小細胞がんと診断された。小細胞がんは、非小細胞がんと異なり、抗がん剤と放射線治療が良く効くが、すぐに再発し、進行も早い。
Jさんは治療が良く効いて、血痰が消失、仕事に復帰した。
しかし、数ヶ月後、自宅で大量に喀血し、救急車で来院した。胸部レントゲン上明らかに腫瘍は増大、ベッドサイドで気管支鏡を行ったところ、腫瘍全体から出血しており、止血できない。
Jさんの意識ははっきりしており、血液を咳と一緒にどんどん出している。でも、さすがに全部は出し切れず、肺に血液を吸引したため、呼吸困難を訴えるようになった。
私にできることは、鼻から細いチューブを気管に挿入し、血液を引いてあげることだが、間に合わない。
Jさんの目が苦しそうに私を見ている。気管内に溜まった血液が固まり始めたようだ。首から上は呼吸しようとするが、肺に空気は入っていかず、胸郭が動いていない。
Jさんは目を閉じる暇なく、亡くなりました。
血液は固まる性質があるので、喀血は少量でも気管内で固まって、窒息してしまうのです。
今でもJさんの苦しそうな目を思い出すことがあります。やはり、喀血は怖い病気です。
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私が研修医1年目の頃の話です。
自営業のIさんは数日前からの発熱と、少し動いただけで息苦しくなると訴えて外来を受診しました。
外来待合室から診察室に入ってきただけで肩呼吸をしており、体内酸素飽和度も70%(正常値は90-98%位)しかありません。胸部レントゲン写真を撮ってみると、両肺はスリガラスの様に真っ白であり、よく見ると両肺の下の方に網目上の影があります。特発性肺線維症の急性増悪です。
入院として高流量の酸素をマスクで投与し、抗生物質と高用量ステロイドホルモン剤の点滴投与を開始しました。
その頃の私は無知であり、「頑張れば助けられるかなあ」という認識でいましたが、呼吸器内科のカンファレンスでは「絶対助からない」と言われ、ショックを受けたのを憶えています。
数日後、呼吸不全はますます悪化し、酸素流量を最高にしても、酸素飽和度が80%程度しか上がらず、Iさんはベッド上で安静にしていても「苦しい、何とかしてくれ」と訴えるようになってきました。私は、癌性疼痛よりも先に呼吸困難に対して、モルヒネを初めて使用しました。モルヒネを開始してIさんは呼吸苦が楽になるとともに、日中でも眠るようになりました。
モルヒネを開始して2日後、Iさんの呼吸が止まり、看護師に呼ばれました。病室に行くと、既に家族が山のように集まり、部屋に入りきれない人もいます。人垣をかき分けIさんの傍にいくと、すでに呼吸停止し、頚動脈拍動も触れません。瞳孔も散大しています。死亡していると思われましたが、その時まで私は死亡確認をしたことがありませんでした。心電図モニターが部屋になかったため、Iさんの死を覚悟している家族が注視するなか、「少し失礼します」とまた人垣をかき分けて病室から退出し、ナースステーションの心電図モニターがフラットになっているのを確認しに行ってしまいました。
死亡しているかどうか確信が持てず、心電図が動いていたらまずいとその時は思ったのでしょう。私が病室を退出している間の家族同士の会話は想像に難くありません。
これが私の初めての看取り、死亡確認でした。Iさんが亡くなってから約1年後、あるお店に行ったとき、偶然Iさんの奥さんに会いました。Iさんの死後、奥さんが店を引き継いでいたようです。奥さんは、こんな私でも、「その節は大変お世話になりました」と私の顔を覚えてくれていました。
今から思えば、Iさんを看取った後から、私はようやく医者になったような気がします。
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日本財団会長のたばこ税を増税し、たばこ1箱千円にするという案(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080304/plc0803040307001-n1.htm)
に大筋賛成です。
喫煙者がよく言う言葉に「肺がんは怖いけど、まだ大丈夫」というのがあります。確かにタバコが原因で肺がんになるには40年くらい吸わないといけないと思います。
しかし、怖い病気は肺がんだけではありません。COPD(肺気腫を含む)、肺線維症、気胸、気管支喘息といった呼吸器疾患も喫煙に大きく関係します。肺がんにはまだ治療法がありますが、COPDや肺線維症は治療法がなく、対症療法のみです。心筋梗塞などの動脈硬化や喉頭がん、食道がんなど呼吸器科以外にもタバコ関連疾患が無数にあることを知ってるでしょうか。
「タバコは高級品」「タバコを吸える人は金持ち」というイメージが定着するように、タバコは店頭ショウケースの中で、宝石とともに売られるようにした方がいい。タバコ1箱2000円位でもいいくらいです。その代わりJTによるタバコの宣伝を解禁し、売り上げがそれ程低下しないようにします。そうすれば税収低下、医療費抑制にはならないでしょう。
少なくとも、「金がなくて飯は食えなくても、タバコは吸う」という人はいなくなるでしょう。
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Fさんは意識がもうろう、冷や汗をかいて失禁状態で運ばれてきました。
80歳のFさんは兵隊で覚えたタバコがやめられず、重症の肺気腫になっていました。健常な肺を、目の細かいスポンジに例えると、Fさんの肺は、スポンジのひとつの目が2-3cmに荒くなった状態です。その荒くなった目は非常にやぶれやすくなっており、肺が破れて空気が漏れた「気胸」にFさんはなっていました。
若い人がなる「自然気胸」と異なり、肺気腫や肺線維症が原因の気胸は難治性で、重症化しやすい特徴があります。Fさんは以前より慢性呼吸不全がありましたので、レントゲンでは大した気胸ではなかったのですが、重症化し、CO2ナルコーシス(炭酸ガスが体内に貯留した状態)となって、意識を消失していました。
私はFさんを入院させてから処置をする暇はないと判断し、救急外来で肋間を2cm程切開し、ペアンで肋間筋を分けてスペースをつくり、直径が約1cmの胸腔チューブをすばやく挿入しました。肺気腫の人は痩せていることが多く、Fさんの肋間にはほとんど脂肪がありませんでした。そのため肋間を広げるのはたやすく、ほんの数分でチューブを挿入できました。時間節約のため、糸でチューブを皮膚に固定するのを後回しにして、吸引装置にチューブをすぐに装着しました。すると、「ブクブクブク」という空気の音が勢いよく装置から聞こえてきました。
10分後、Fさんの様子を見に行きました。「昔、兵隊で煙草覚えたんだ。そう簡単にはやめられねえな。」といつものように悪態をついているFさんがいました。
しかし、3ヵ月後、Fさんは気胸が再発し、再入院しました。今回はほとんど呼吸が止まった状態で運ばれ、胸腔チューブを挿入、人工呼吸器にもつなげましたが、今回は救命できませんでした。
……これが呼吸器内科医が対象としている病気なのです。
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夜8時、救急隊から電話がきました。
「40歳の男性。朝から喘鳴、次第にひどくなり、現在肩呼吸をしています。SpO2は88%。そちらに搬送してもよろしいですか?」
救命救急センターでたまたま内科系当直をしていた呼吸器内科医である私は、断る理由が見当たらず、受けることにしました。
救急車からストレーチャーで降りてきた彼、Eさんは横になることもできず、ストレッチャーの上で座ったまま、ゼーゼー肩で呼吸をしています。まともにしゃべることもできません。
胸部レントゲンで異常影がないことを確認し、気管支喘息の治療を開始しました。気管支拡張剤の吸入をすることもままならず、ボスミンの皮下注射を行いました。さらに、点滴でステロイドやネオフィリンを投与しても全く効きません。
Eさんの奥さん、7歳位の娘があとからやってきました。「お父さん、大丈夫?」と言いながら私の方を見て、何とかしろと目で訴えてきます。
突然、Eさんの意識がなくなりました。CO2ナルコーシス(炭酸ガスが体内に貯留した状態)です。しがみつく奥さん、娘を振りほどきながら、気管内挿管を行いました。人工呼吸器につなぎ、気道内圧が高くなりすぎないように、また合併症を起こさないように、最善と思われる治療を行いました。
Eさんが退院後、私は家族でショピングセンターに買い物に来ていました。そこで、元気になったEさんとその家族にばったり会いました。「その節はお世話になりました」と。
喘息は、呼吸器内科医が救命できたと実感できる数少ない病気の一つです。
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今回は、私が患者を看取っても感情をもたないようになったきっかけとなる話です。
研修医2年目のとき、80歳の喘息患者Dさんの担当になりました。教科書通りの治療、ネオフィリンやステロイドを使用して数日で改善し、元気になって帰りました。
高齢者の喘息にありがちですが、数ヵ月後にDさんは喘息発作のため再入院してきました。80歳ですが認知症もなく、言われたことにはハイハイと素直に応じてくれる「かわいいおばあちゃん」でした。今回もネオフィリンやステロイドを使って、「またすぐ帰ろうね」と話していました。
しかし、入院翌日、突然「呼吸がおかしい」と看護師から呼ばれました。病室に行ってみるとすでに意識はなく、非常に呼吸が弱い状態(下顎呼吸)でした。高齢であり、急変時も延命蘇生処置はしないことを家族は希望していましたので、心臓マッサージや気管内挿管はできませんでした。家族には連絡しましたが、まだ到着していません。私は、Dさんの呼吸が少しずつ弱くなり、最後に心室細動(致死的不整脈)を経て、心停止になる過程をただ観察するしかありませんでした。
Dさんの家族は取り乱すような方ではありませんでしたが、死因究明のための病理解剖には同意して頂けませんでした。
その日の夜、付き合い始めたばかりの彼女(今の妻)と夕食に行く予定でしたが、会うなり不覚にも泣いてしまいました。泣いてしまった訳を訊かれましたが、その当時はよくわからず、うまく説明できませんでした。今考えると、何もできなかった自分、死因を究明できなかった自分が悔しかったのでしょう。
今は感情を忘れる技術をもっているので、同じことが起きても泣くことはないと断言できます。
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