戯れ言たれる侏儒
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新世代型のステント

戯れ言たれる侏儒 / 2008.12.15 00:53 / 推薦数 : 0

薬剤溶出ステントで生じる問題を回避できる新タイプのステント

新世代型のステントによって、従来の薬剤溶出ステント(DES)にみられた遅発性の問題を回避できる可能性のあることが2つの研究で示され、米ニューオーリーンズで開催された米国心臓協会(AHA)年次集会で発表された。

ステントは、狭窄した動脈を再開通させる血管形成術に利用される器具。最初にベアメタルステント(第一世代)が導入されたが、再狭窄を生じることが多かった。
次に、血管の再狭窄を予防する徐放性の薬剤でコーティング(被覆)された薬剤溶出ステント(第二世代)が登場したが、遅発性ステント血栓症などの問題がみられた。
今回の新しいステントは第三世代で、「内皮前駆細胞(EPC)捕捉ステント」と呼ばれるもの。
動脈壁内側の内皮前駆細胞がステントを覆うことを促す抗体でコーティングされており、治癒の速度を上げ、動脈を長期間開通させておくことができるという。

第1の研究は、ドイツ、Mulle病院(ミュンヘン)の研究グループによるもので、患者1,640人(平均約63歳)のEPC捕捉ステントでの治療データを示したもの。
患者の4分の1が糖尿病で、3分の2が高血圧、4分の1が現在喫煙をしており、3分の1以上が過去に心臓発作を起こしていた。
被験者のほぼ74%がステント留置前にスタチン系薬剤を投与された。

コレステロール低下薬であるスタチンは、血液中の内皮前駆細胞数を増加させる働きがある。
ステント留置1年後の時点で、被験者のうちステント血栓症がみられたのはわずか1%で、同じ動脈の血管再生術を要した患者は5.4%、カテーテル治療を受けたのは5.1%であった。
心臓発作、予期せぬバイパス手術、死亡などの心イベントが発生したのは9%超、心臓原因死は2%超で、このうち1.8%が心臓発作であった。

第2の研究はオランダ、アムステルダム大学アカデミックメディカルセンターによるもので、患者236人(平均65歳)を対象にEPCステントによる治療を実施した。
3人(1.3%)がステント血栓症を発症し、10.2%が同じ血管の血管再生術を再度必要とした。
約14%に重篤な心イベントが発生し(心臓発作は全体の2.5%)、3%が死亡、このうち0.8%が心臓原因死であった。
この数字は薬剤溶出ステントと同等またはそれより優良なものであるという。

米レノックスヒルLenox Hill病院(ニューヨーク)のKirk Garratt博士は「標的病変部血行再生術(TLR)の施行率が糖尿病患者でも約5%というのは、少なくとも薬剤溶出ステントと同程度の低さ」と述べ、新ステントの利益に大きな期待を示すとともに、その安全性についても高く評価している。
(HealthDay News 2008年11月11日)
http://www.drakahige.com/NEWS/DAILY/2008/2008112503.shtml
<関連ブログ>
内皮前駆細胞(EPC補足ステント)
http://blog.m3.com/reed/20081212/_EPC_
<番外編>
私の医学生時代ははるか昔という頃になってしまいました。
その時の同級生に「うちの親父は、大学時代に加藤周一氏と同級生だった」というのがいました。
私も彼もその時点で加藤周一氏を知っていたことになります。

最近では時々新聞で、エッセイを書いてみえましたが、つい最近訃報が入ってきました。
巨星墜つ、といったところです。

偶々、昨夜10時からNHKで加藤周一特集を放送していました。
いわば、彼の「白鳥の歌」を聞くことができました。

亡くなって時が経てば、誰でも過去の人となってしまいます。
少しく記憶にとどめるためにもニュースを拾ってみました。

加藤周一さん死去:国際的な知識人 「九条の会」一貫した主張
5日、89歳で死去した評論家の加藤周一さんは、「雑種文化論」など幅広い評論で知られた。ヨーロッパの大学で初の日本人の主任教授となるなど、国際的知識人として活躍。時事問題でも積極的に発言した。

1951年からフランスに留学。
帰国後、カナダ・ブリティッシュコロンビア大教授などを経て、69年、ベルリン自由大東アジア研究所日本科主任教授に就任。
日本文学などを講義した。76年に上智大教授となって以降も、スイス・ジュネーブ大、英ケンブリッジ大の客員教授を務めた。

論壇での「雑種文化論」も、最初の海外経験でヨーロッパ文化の統一性に打たれたことから生まれた。
日本文化を元来の日本的なものと西洋化されたものの絡み合いと再定義した。
後年、幅広い知見を生かして、平凡社「大百科事典」編集長も林達夫から引き継いだ。
朝日新聞の連載エッセー「夕陽妄語」は、84年から24年間続いた。

被爆直後の広島を、医学調査団の一員として訪れた経験もあり、時事的発言では、軍国主義復活の危険性と民主主義の徹底を訴えた。
60年代はベトナム戦争に反対。80年代は原水爆禁止世界大会に出席したり、防衛費GNP1%枠突破を批判。90年代の政界再編を戦前の「『翼賛議会』に限りなく近づく」と問題視した。

晩年も、教育基本法改正に反対したり、「九条の会」で「武力によらない平和外交の方がはるかに現実的で経済的」などと主張。戦後民主主義を代表する知識人として、最後まで一貫した主張を展開した。

◇哲学者の鶴見俊輔さんの話
加藤さんは10歳代前半から既に日本の軍国主義に疑いを持っていた。
その思いは今日まで持続し、戦争を起こす人間の存在そのものを原理的に考え、言論活動を通じて戦争のもたらす悲惨さを訴えた。

彼の知的背景には思想、哲学、文学、美術など人類が築き上げてきた芸術への深い理解と愛があったと思う。
加藤さんのような人を真の意味での知識人と呼びたいし世界でもまれな存在だった。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081206dde041040072000c.html
毎日新聞 東京夕刊 2008.12.6
版権 毎日新聞社


加藤周一さん死去=文化から政治まで幅広く評論
文化芸術から時事問題に至るまで幅広い分野を論じ、戦後を代表する知識人として知られた評論家の加藤周一さんが5日午後2時、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。
89歳だった。
喪主は妻で評論家の矢島翠(やじま・みどり)さん。
 
東大医学部卒。在学中は血液学を専攻する一方で、文学にも傾倒。
戦時中に福永武彦、中村真一郎らと詩の運動グループを立ち上げ、戦後発表した「1946・文学的考察」と「マチネ・ポエティク詩集」(いずれも共著)で注目された。
 
その後、医学留学で訪れたフランスでも文化研究を続け、その体験を基に帰国後、日本人を多様な視点でとらえた「日本文化の雑種性」を発表。
58年から評論、執筆活動に専念した。
 
扱うテーマは、日本の古典、ヨーロッパ文化、歴史など多岐にわたり、「文学と現実」「抵抗の文学」「雑種文化」「現代ヨーロッパの精神」、自伝「羊の歌」、小説「ある晴れた日に」など数々の著作を発表。80年には「日本文学史序説」で大佛次郎賞を受賞した。
98年には初の書き下ろし戯曲「消えた版木 富永仲基異聞」を発表して話題を呼んだ。
 
熱心な護憲活動や平和運動でも知られ、2004年には作家の大江健三郎さんらとともに「九条の会」の呼びかけ人に。核や日米安保などに関する発言も積極的に行った。
 
米エール大や独ベルリン自由大など海外の大学で教壇に立ったほか、上智大教授、立命館大客員教授なども務めた。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200812/2008120600193
(2008/12/06-10:59


「知識人」とはどういう人なのか。若者に尋ねられた加藤周一さんは、サルトルによる定義を紹介している。
核兵器の実験室で働いているだけの人は知的技術者にすぎない。
仕事の社会への影響、歴史的な意味を問い始めることで知識人になる、と。約五年前のことである
▼翌年に作家の大江健三郎さんらと憲法九条を守るための『九条の会』を設立した。
「戦後日本を代表する」「世界に通用する」といわれた知識人として、最後まで問おうとしたのは戦争のことだった
▼原点は先の大戦で友人が戦死したことにある。自伝的回想録『羊の歌』には<あれほど生きることを願っていた男が殺された>と記し<我にかえると、悲しみではなくて、抑え難い怒りを感じた>と続けている
▼生きていればどんな人を愛したのか、どんな仕事をやり遂げたのか、どんな音楽を聴いたのか…。
この思いはやがて、友人が戦後の日本に何を願ったのか、という自問に行き着いた
▼戦争を許してはならない。これが答えだった。
<羊のようにおとなしい沈黙をまもろうと考えたとき>に友人を思いだし、発言を続けたという
▼六十七年前の今日、太平洋戦争が始まった。
当時、医学生だった加藤さんも八十九歳となり、この世を去った。
それでも知識人として、膨大な著作を残している。
今なすべきことは何かの答えが詰まっていよう。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2008120802000071.html?ref=rank
出典 中日新聞・朝刊 「中日春秋」2008.12.8
版権 中日新聞社


加藤周一氏を悼む
亡くなった加藤周一氏は、視野の広さ、理想の高さ、論理の明快さにおいて抜きんでた評論家だった。なにか事件がおこったとき、加藤氏だったらどう考えるのだろうと思うことがある。わたしにとって、そういう本当に貴重な存在だった。

12月5日、加藤周一氏が亡くなった。享年89歳。若いころ数年間フランスで学び、カナダをはじめ多くの外国の大学で教えた。林達夫なきあと、平凡社世界大百科事典の編集長を務めた。戦後日本の思想界において希有の存在だった。

なにか事件がおこったとき、あの人だったらどう考えるのだろうかと思うことがある。わたしにとって加藤周一氏はそういう存在だった。視野の広さ、理想の高さ、論理の明快さにおいて抜きんでた評論家だった。

視野の広さ。どんなことを論じるときにも、非常に高いところに視点があって、あっと驚くような議論が展開された。たとえば『日本文学史序説』はわたしにとって本当に示唆に富む本だったが、それは中里介山の『大菩薩峠』を高く評価したように、文学の概念を広くとって書かれた文学史だった。というより人間が文章によって記録したいと熱望したことはすべて文学のカテゴリーに取り入れるべきだという判断があって、思想や宗教や歴史や技術や日記やといったものまでが文学史の対象として検討されていた。それをみてわたしは目から鱗が落ちるような思いがしたものだった。

理想の高さ。しかも加藤周一氏はいつも、日本人という限界を設けず、世界全体を見渡していた。人類史的な観点というか、新井白石を論じるときにパスカルが引き合いに出されるといった自由自在な思索の飛躍にわたしは胸おどる思いがしたものだった。

 2004年に加藤氏は「9条の会」に呼びかけ人として参加した。太平洋戦争に多くの者が従軍して死んだ世代だから、もちろん戦争に対するいきどおりもひととおりではなかったのだろうが、それよりなにより憲法9条を20世紀の人類が生み出した非常に重要なドキュメントとしてとらえていたからだとわたしは思う。

こういうところをとりあげると、昨今では現実ばなれした理想主義とみる向きも少なくないのではないかと思う。実際、わたしとて、軍事力の保持を憲法に明記する必要を否定するものではない。自衛隊が違憲であるかのような印象を与えるのは一国の基本法のあり方として望ましいとはいえないと思う。しかしだからといって、「9条の会」なんて現実離れした夢想だと批判する気にはとてもなれない。一国のできごととしてでなく人類社会全体のできごととしてみると、20世紀中ごろに東洋の小国が平和主義の最高法規を持ったということは、やはりおおいに誇るべきことだと思うからだ。

論理の明快さ。加藤周一氏は医者でもあり、自然科学的なというか、実証的なというか、あいまいなところのない現実主義的な思考をした人だった。医学を学んだり、土木建築の技術を発達させたり、外国と貿易したり、利害損得を計算したり、論理的な主張に耳を傾けたり、そういういとなみの重要性をきちんと踏まえた人だった。

こんな言い方をするとわかりにくいかもしれない。これとは反対の思考様式を例にあげてみよう。

明治維新以後の日本の歴史は西洋に対する敗北の歴史だったという考え方がある。太平洋戦争のはじまるころに提起された「近代の超克」論にもそういう考え方の影がさしているが、要するに、近代の日本は西洋化してしまい、そのことによって本来日本人が持っていた固有の特性を失ってしまったという見方である。日本浪漫派の保田與重郎などが、そういう議論を展開した者の代表格である。

保田の思想を「滅びの美学」などとしてもちあげる人がいるが、わたしには保田のような感覚がどうしても理解できない。明治以後、医学や建築技術や法制度やなどなどを学ぶために渡欧し、帰国後近代化をすすめる中心的な担い手となった無数の人びとの血のにじむような努力を「敗北の歴史」などといって、十把一絡げにしてひと言で退ける感覚がわたしにはきわめて夢想的な、というよりいびつに歪んだものにしか思えないからだ。

いまあげたのは極端な例だが、日本浪漫派ほどではなくても、実証的な思考が得意でない人は少なくないし、さしたる根拠もなく実証的な思考に反発する人も少なくない。そして、こと政治となると、そういう傾向はとくに顕著になる。そういう傾向が頂点に達するのが国際政治についてである。ある哲学者が「人間の政治についての判断力は非常に未熟なものだ」と言っているが、外交問題ではどの国でも、まるで子どものケンカのような言い草が飛び交っている。

そういうことを考えても、加藤周一氏は本当に貴重な存在だった。
http://www.news.janjan.jp/column/0812/0812093154/1.php
広岡守穂2008/12/10

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読書術の真髄は50年経っても変わらない
http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/12/10/reading/

 

 

 

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