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先日、私の県で、精神障害者バレーボール大会県大会が開催されました。国民体育大会の後に開催される障害者スポーツ大会、実は、知的障害と身体障害しか正式種目は無いのですが、平成20年の大分大会からは精神障害者バレーボール大会も正式種目に入り(今までは、オープン競技)、これで3障害すべての正式種目が行われることになります。
この大会に出場するには、まず県大会で優勝し地区ブロック大会に出場し、その大会で優勝して初めて全国大会に出場することができます。
ちなみに、私の所と他の精神科医療機関との連合チームは、これまでの最高位は準優勝、今年こそは「優勝」と、日々夕方から集まって地域の体育館で練習を積んで参りましたが・・・
・・・・・残念ながら、一緒に地区ブロック大会に行こうと思っていた(?)スタッフの応援もありましたが、準優勝。まぁ、来年こそは初優勝をめざしましょう!
県代表のチームの皆さん、全国大会出場をめざして、ブロック大会で大活躍してきてくださいね。
ある年齢を越えた頃から、それなりの肩書きもついてくると、それなりの協議会とか検討会の委員になったりします。とはいえ、なったものの、あまり出席もしないまま終わってしまった会議も無いわけではありませんが、そう言った会議は、基本的には仕方なしに引き受けただけで、私自身もあまり出る気も無かったんでしょう。
ところで、検討会などに出ると、中には、
「皆さん、知恵を絞りあって、良い考えを出しましょう」
何て発言をする人もいるのですが(特に、他人頼りの主催者みたいな人が)、はっきり言って、20分も話をして考えが浮かんで来なければ、いくら知恵を絞っても出てきません。
知恵の言うのは、その人の知識と経験の積み重ねの中から出てくるものですから、知識や経験の積み重ねが無ければ、いくら絞っても中身が出てこない、出てきても全くずれた意見しか出てこないのは当たり前の話です。
「知恵は、時間をかけても、絞って出て来るわけがないので、皆で知識や経験を積むにはどうしたら良いのかを考えましょう。」・・・何て思わず発言するのですが、周囲の人の反応は、同意半分、嫌な雰囲気半分でしょうか。
ある年齢を超えたり、それなりの肩書きがつくと、
○○協議会 とか、 △△連絡会 等といったものに出ることになります。(基本的に、座っているだけで、事務局の話をだらだらと聞かされるだけの会議には出ません。・・・っと言うか、単に、じっと黙って大人しく座っているのが苦手なだけかも)
こういう会に行くと、時に、「有識者」って肩書きの人に出会います。
もちろん、「有識者」の意見を聞くことも大事だし、私のように保健医療の視点でばかりしか物事を見る能力の無い人間にとっては、とても参考になることがあります。
ところで、「有識者」って、何? 「知識が豊富で見識のある人」かな?
ところが、肩書きだけで人を集めたり、全く違う分野の人を呼んできたり、そこから出てくる意見を聞くと、おいおいと思うことも無いわけではありません。その人が、きちっとそのときの話題を事前に勉強してくれていたりすれば、それは、「有識者」と呼びましょう。
でも、当日、いきなり、素人じみた質問をしたり、事前に本でも読んでくれば分かるような質問をしたり、あまりに社会常識を離れたような話になると、「おいおい、事務局は、何をしたいんや」と思うことがあります。
ましてや、その課題に素人のその人の意見に真剣に聞き入られると、ちょっとと言う感じで、事務局の人は、そんな人よりも、現場で頑張っている医療関係者や教育関係者(校長や教育委員会じゃないよ)や地域の保健師さん・福祉の人に聞いた方が、数倍まともな意見が聞けるのに・・。。ましてや、当事者にも意見を聞いてみたら・・とブツブツと心の中で思ってしまいます。(気が弱いので人には言えない) ←← でも、周囲の人に聞こえることもあるらしい。
7月のボーナス時期が近づいてくると、毎年、職員の査定が行われるようになりました。要は、その人の半年間の成果(能力とはちょっと違って)を上司が査定して、ボーナスの内容に何らかの上下をつけましょうと言うもので、すでに、多くの機関で取り入れられていると思います。
表向きは、適正な成果評価に加えて、職員のやる気の向上を促す・・となっていますが、実際の所は、人件費の抑制、ましてや後者は怪しいものです。やる気の向上だけを考えれば、成果に対してプラスの報酬が与えられれば良いだけの話です。それ以上に、評価をする側、される側、ともにストレスなものです。
早急にこういった成果主義が多くの場面で取り入れられることによって、必ずしも良い結果が生まれて来ているとは限りません。当初はそうかも知れないが、徐々には経験を踏まえ安定してくるとも言われますが、現実には、多くの部署や職場での休職や退職が増えてきていることも否めません。これらの原因が、必ずしも成果主義に基づくものでは無いにしろ、成果主義の導入により、(私の知る限り)これらが改善してきていると言うことはありません。(成果主義を利用して、退職を余儀なくさせていけば、数値上、休職・退職は減るかも知れませんが)
ましてや、良く言われるように、専門職の仕事を、成果として評価するのは難しいのもです。この評価尺度を事務職の人が作るには無理があり、かといって、専門職に、評価尺度を作れと言われても職種間の違いもあれば、それ以上に、どの時間を割いてそれをするのと言うのが正直なところです。
成果主義導入後の、成果はどのように測るのか、成果主義の成果を見てみたいものです。
10年あまりくらい前からでしょうか。カミングアウトと言う言葉をよく耳にするようになりました。最近では、ちょっとした秘密を、皆に話をすることまで、カミングアウトと言う言葉が軽く使われるような傾向にもあります。
一方で、病気や障害をもち、社会的偏見に苦しんで来た人たち自身が、自らの病名を明かし、社会的活動を行うと言うようなことが、マスコミなどでも多く報じられています。
こういったテレビの影響もあるのか、時に、アスペルガー症候群などの発達障害を持つ本人や家族に、学校の方が、同級生やその家族に向けてのカミングアウトを勧めたり、マスコミの人が自死家族や犯罪被害者のインタビューをしたいがために、何となくそれを促すようなことが私のまわりでも見られます。
しかし、カミングアウトというのはあくまでも、本人の意志によるものであり、周囲から求められるもとのではありません。また、カミングアウトをされることは非常に勇気ある行為、尊敬できる行為ではありますが、逆に、カミングアウトしない人が、決して勇気がない・・と言うものではありません。
また、カミングアウトと言っても、決してマスコミ相手に自らの病気や疾患をぶちまけるのではなく、自分の周囲の、本当に自分に協力し、理解してくれる人だけに打ち明けると言う感じで、聞かれてあえて否定はしないが、あえて必要も無く自分から言わない、と言う感じでしょうか。
学校側が、発達障害の人に、カミングアウトを求めるのは、多くの場合は、学校側として、他のPTAの理解を得るのが難しいという場合であり、マスコミが、カミングアウトを求めるのも、単に、その会社、と言うよりはその担当記者が、自分のために記事にしたい(もちろん、世の中の理解を得るためにと言いますが、一度記事にしたら、それで目的達成と言うのが経験上大半です)というところでしょうか。
カミングアウトするか、しないか、本人や家族がいろいろな情報を得ながらも、あくまでも周囲が本人たちに求めるものでは無いと思います。
最近、子どもを良く診るようになりました。もともと、児童精神科医でもないし、決して、子どもを診たいと言う気持は、精神科に入局したときも、それ程ありませんでした。
今の職場に来るまでは、いろいろな病院を転々としてきたので、「子ども以外なら、何でも診ます」(←あくまでも、診ると言っても、能力は別個、必要に応じて他の先生とももちろん連携)と言っていたのですが、10年ちょっと経つと、大人に混じって、何故だか子どもも一杯です。今のところでは、何故だか?思春期を診る先生になっているらしいですが、大学時代の医者仲間からすれば、「信じれん」とい言われます。まぁ、やっている私が信じられませんから。
ところで、精神科は、公私をきちっと区別しましょう・・と良く言われます。他の科でももちろんあるのでしょうけれども、患者さんと会うのはもちろん病院の中だけ、あまり外で関係を持つ人は、他の医師に主治医になってもらって・・とも言われました。また、精神科の特殊性もあって、外で会っても向こうから挨拶をしてこない限り、こちらからはしない、人によっては、どうして精神科医を知っているのと言われると困るという人も多々おられました。
でも、田舎に行くとそうは行きません。場合によっては医師は自分だけと言うこともあります。自分の子どもの通う学校の生徒は他の先生に・・なんて、思っていても、そんな余裕も無くなっています。
もう、最近は、そのようなこと、一切気にしない(気にしていてはできない)ようになりました。学校不適応の子どもを診ようとすると、いきなり「○○くんのパパだ」と言われたり、子どもの参観日や運動会に行くと、イヤと言うほど、私の診ている本人や家族と挨拶されたりします(小児科の先生ならありがちなんでしょうけれども)。時には、私の診ている子どもと、我が子が、実は私の知らない間に仲良しになって、自宅までおじゃましていたと後で耳にしたりします。
精神科医になった頃と、今では、随分と変わってきているのでしょう。当事者会などもでき出すと、病院の外で患者さん(と、言う言葉をすぐに使ってしまいますが)と普通に会って、日常話をすることも、それ程珍しく無くなってきましたしね。