【不登校・どう関わる?】-29
第2章 不登校への関わり
<2> 対人恐怖
-9-①- (8月20日の続き)
不登校をしていた子どもが、再び学校に出られるようになるには、大きく二つの道があります。
大切なのは、相談室であれ教室であれ、自分の行き場所が学校の中にあることです。その行き場所は、実は場所があればよいと言うのではなく、そこに自分の相手をしてくれる友だちか「受容的な大人」がいるという「人」の問題があります。
そして、その行き場所が、自分が疲れたときに、集団から逃げることのできる避難場所の役割も果たしてくれると言うことが重要です。単に「場所を作ったから出てきなさい」と言うだけでは、子どもは行くことはできません。
さて、道の一つは、「友だちや同級生」を通して戻っていく子です。不登校になった頃から友だちと遊べている子は、この道を通って再登校していきます。この場合、子どもと学校との関係があまりうまく行っていなくても、それはそれで何とかなるものです。
(続く)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
コメント
コメント一覧
我が家の娘、大量の算数プリントがあるのに余裕の日々をすごしています。。(笑)
いつ,焦りだすのか・・・・爆
息子も夏休みということで気持ちはいくらか楽なのでしょうね。
夏休み前にカウンセラーの先生に夏休み中に心療内科とかに行って見てもらってほしい。といわれたのですがまだ行けてません。
遅寝遅起きなので食事が2回になったせいかすごく痩せてしまって、以前のように食事の量も多くないことが心配といわれたのですが、以前が太りすぎだったので余計やせたように感じるのかもしれません。
そのことと、猛烈に頭を使ってることが心配。らしいです。
もともと、いろいろ考えるの好きな子なので学校に行っていない今、政治のことやら戦争のことを考えていて私からみたらすごく難しいことを言ってるように聞こえてしまうのですが、本人にしたら日本人は不満ばかり言っていて行動にどうして移さないんだ!
とか、そっちへの不満も大きくなっていくようです。そうすると、今の学校は。見たいな話になって
やっぱり、学校に行かなくなってよかった。と、本人は結論づけています。
たまに学校へ行こうかな。と言っても、この授業はどうやって教えているんだろう、もしこんな風に教えていたら・・・と、先生を攻撃することが頭にあるようで。。。
学校に友達に会いに行くというよりは、先生を攻撃しに行くという言葉が目立ちます。
実際、もし行っても行動には移せなそうな息子ですが。。
そう思うと、再登校はまだまだなのでしょうね。
私たちにたいしては小さいころからとほとんど変わってないのでこの生活に慣れてしまうと、学校では問題の子なのかもしれないけど、親から見ると何を基準にすればいいのか分からなくなってきてしまいます。義務教育の間は不登校が問題だけれどその先は社会に出れるかどうかということですよね。
長文な上に乱文ですみません。。。
学校へ行かないでも子どもは成長していると思います。行かないから違う成長ができたと思えます。私はそんな時期を経験できて負け惜しみじゃなくよかったと思います。子どもにも親にも気づかされたことがたくさんありました。これから生きていくうえでの経験した者にしかわからない財産があると思います。生きてそこに元気でいてくれればそれでいいと思えるのも財産の一つだと思います。まだまだ過去を思い出して揺れる時もありますが自分自身が変われたと思います。
コメントありがとうございます。保健室、放談室、逃げ場所はいろいろなところにあっても良いですね。その人なりの逃げ場所があれば良いかと。
亜子 さん
コメントありがとうございます。いろいろな事に不満が行くというのは、自分自身の中にも充分に余裕を持てない所もあるのかも知れません。まだ、今はゆっくりと自分のペースで生活をして行かれた方が良いかと個人的には思いますが、・・・でも、会っていないので責任もったことは言えませんが。
まめ さん
コメントありがとうございます。人間の成長は、自分にとって安心できる大人との出会いの中からたくさん生まれて来ます。先日、ほとんど義務教育も受けずに終わってしまった(?)女の子が、久しぶりに顔を見せてくれました。数年前から今の仕事を続けているって言っていましたが、不登校を始めた10数年前、始めて出会った小学校3年の時、今の事なんて想像もつかなかったですね。学校には行きませんでしたが、親御さんとの良い関係を保っていたのが一番だったようです。
コメントを書く