中学生のアスペルガー症候群の子どもを面接していると、なかなか、集団になじめない、コミュニケーションがとれないと言うことがあります。
ところが、親御さんと話をすると、小学校の時は、とても賑やか、天真爛漫、友だちも多かったのに、5年、6年頃から、何となく変ってきました。昔は、活発な子だったんですよ。。。。と言われることがあります。
まぁ、理由はいろいろとありますが、
小学校5年頃になると、多動傾向が治ってくると言うこともあれば、
自由奔放にして、受け入れられていたのが、だんだん、5年くらいになると小集団化して、受け入れられなくなってきたとか、
このあたりになると、イジメみたいなのがあって、ダメージを受けたとか、
いろいろな変化があったのかも知れないですね。
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小学校5年くらいの頃から、私には、ずっと抱いてきたひとつの疑問がありました。
『人間は平等なはずなのに、どうして、得する人と損する人がいるんだろう?』
・・・で、最近これと良く似た質問をする子どもが主人公のドラマがあって、思わず苦笑いしてしまいました。
・・・それで、改めて考えて、回答を出してみました。
そもそも、人間は個々違うものであって、元々平等じゃない。
クラスを見渡しても、運動ができる子がいれば、苦手な子もいる。
勉強が出来る子もいれば、出来ない子もいる。
みんな、なにもかも、同じなんてことはまず、有りえない。
だからこそ、「みんな平等に」ならないといけない。
だけどそれは、出来ない子を、出来るようにすることじゃない。
「みんな平等に」の本当の意味は
「みんな平等に、大切にされないといけない」
ということ。
そのためには「みんな平等」という気持ちを、誰に対しても持たないといけない。
そうしようとすると、それが、実はとても難しいってことに気が付きます。
どうしてなのか?
それは、残念ながら人間には「偏見」とか「差別」とか、「平等」の精神に、相反する感情を持っているからです。
だからまず、人が持ってる「偏見」「差別」をできるだけ、なくすように努力しないといけない。
そしてひとりひとりを大切に、尊重する気持ちを、みんなが持てるように、心がけないといけない。
それが、『みんなが平等に、幸せになるために』大事なこと。
差別や偏見は、社会に巣食う、一種の「病気」なのかもしれません。これに苦しみ、苦しめられている人がいる以上、みんなが平等に、幸せにはなれないのだと思います。
必ずしも「いじめ」というようなおおげさな事ではなくて、自分がおもしろいと思ったことを、クラスメイトがおもしろいと感じていないようだ、という気づきが出てくる、というような、ほんの僅かな違和感の積み重ねが行動を臆病にしてしまう気がします。
コメントありがとうございます。本当に、皆が平等に幸せになれればと・・と思うのですが。
フリージア さん
コメントありがとうございます。「僅かな違和感の積み重ねが行動を臆病にしてしまう」・・私の診ている人にも、同じ事を話してくれた人がいます。周囲の人には分からないような積み重ねが有るのかも知れないですね。
、くらい感じになってたら、いじめをやめてくれたらよかったのにと今も、思います。
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