子どもが不登校になったとき、親御さんは、一言一句に気を使ったりする時期があります。親御さんからは、どんな風に本人に答えたら良いだろうかと尋ねられるのですが、正解はありません。
子ども曰く、「お母さん、僕に学校に行って欲しい?」と聞かれたら。
パターン1・・お母さんが、「行って欲しい」と言ったとき。
→→ 本人曰く 「ボクが、これだけ苦しんでいるのに、お母さんは行けと言うのかぁ」 と、激怒です。
パターン2・・お母さんが、「行かなくても良いよ」と言ったとき。
→→ 本人曰く 「ボクは、本心では、学校に行けないことにこれだけ苦しんでいるのに、行かなくてもいいなんて、ボクの気持ちが分かっていないんだぁ」 と、激怒です。
子どもにすれば、今、自分が学校に行けていないと言う現実に苦しんでいるのですから、現実が了解できないことに対し、言葉での慰めにはなかなか満足はできません。
まぁ、時間が経って、互いに少し落ち着いてくれば、いろいろな話ができるようになると言うことで、少し時間とおつきあいしましょう。
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コメント
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単純な私は「そうねぇ、外に行ってくれたら、ママも思いっきり外出できるしね・・・」と答えました。
どうなんでしょうね?
コメントありがとうございます。まぁ、その後も、娘さんとお母さんが普段通りに話ができていれば、すべて良しですね。
がっこーって、なぁ~に?
って、がっこーのせんせいにきいたら「べんきょーするところだっ」って。。。
「なぜべんきょーしないといけないの?」ってきいたら「しゃかいにでていくのにひつよーだからです」なんて、いってたよ。
あら。きょうは、わたし小学生?
そ。あの頃に戻ったの。
社会に出てる人って、みんなべんきょーしたのかな。。。でも、した人はしたんだろうな。。。なんて思ってたのね。今から考えると、あれから何年たったかしらん。
だからべんきょーしました。いっしょーけんめい。たのしかったわ。中学生になってもっと一生懸命になりました。
でもね。べんきょーすればするほど、一人になっていくのね。何故だったのかしら。。。どれもこれも一緒にやるよーなべんきょうじゃないの。期末試験も。模擬試験も。だから友達作っていっしょにやりました。
でもね。友達よりどんどん上にあがっていくと友達は離れていきました。そして、また一人になっていきました。高校にはいってそのままやっていたらつまらなくなりました。がっこーやめると言い出しました。。。反抗して。誰に?きっと、がーっこーのせんせいにかな。社会にかな。。。自分にかな。親だったかしらん。分かりません。今もよく分かりません。だから今の子たちががっこー行かないのもよく分かりません。
でも、思います。むかしのきょーいくよりもっと激しくなっているんですね。きょーそーが。小学生の頃にきいておくべきだったかなあ。「なぜみんなきょーそーしているの?」って。社会に出ても、みんなきょーそーしているね。生きていけないからだって。
きょーそーしないから生きていけるというのもあるんじゃないかなぁ~。そこんところはがっこーは教えてくれなかったね。数えること、写すこと、まねすること、暗記することは教えてくれたけど。。。ごめんなさいね。きょうは、わたし、しょうがくせいになっちゃった。
なんで学校へ行かないといけないの?
誰でも一度は考えたり、親に聞いたりしたことがある質問だと思います。
答えは、今もわかりません。
そういうものかもしれないし、別にしたくないなら、しなくていいのかもしれない。
それでも、中学までは義務教育だから、その理由は比較的わかりやすい。中学までは「最低限の教育を身につけるため」だと思う。高校以降は「自分がそれ以上の学問なり、専門知識なりを身につけるため」・・・かな。
だけど、勉強するのは競争のためじゃないと思う。
確かに、社会に競争はつきものだけど、それに参加する、しないは、子どもならともかく、大人になったら、個人の判断でどうにでもなるものだと思う。
競争に勝つことが全てだと思って、それだけにとらわれていると、後に残るのは、「諸行無常」・・ということかもしれません。
あ。ちゃん付けでごめんなさい。わたし、きょうはしょうがくせーだから。許してね。
でね。「みんな。できたかーあ」って、せんせいが言うから、みんな必死になって黒板に白いチョークで書かれた問題を解きました。なぜか解けるとうれしくて、走って前にいるせんせいのところに持って行くのね。赤い丸もらうともうご機嫌。解けない子は何してるのかな。。。なんでできないのかな。なんて余裕こいたりして。横に座ってる子に教えると叱られるので、ちらちら見るだけ。チラチラ見てると叱られるの。。。つまんない。
でね。これが反対に、わたしが解けないときはもうダメ人間みたいにしょんぼりでした。
今から考えると、どーでもいい問題なんだけれど。どーでもいいなんて思えないから一所懸命でしたね。
なんで、どーでもいいって、おもっちゃうのかな。今になって。。。
みんな「同じ答え」を出すことが大事だったんだ。同じでないとダメ。。。でもよく考えると、社会に出てから「同じ答え」ってあるのかなっておもうよ。大人たちが大声出して話してる政治なんか特に。スポーツでも勉強でも一等賞にならなくてもいいんだけど、びりけつでもいいとはぜったい教えないから。さみしいね。泳ぎ方も勉強もみんな一等賞になったひとのやり方ばかりだから。生き方もみんな同じこと言ってるように聞こえるのね。全然違う生き方ができる逃げ場所ってないのかなあ。
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