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小児科医・中原利郎さん(当時44歳)が自殺したのは、過密勤務からうつ病になったためだとして、遺族が病院側に損害賠償を求めた訴訟の判決が東京地裁であり、裁判長は「仕事は特に過密だったとはいえず、うつ病を発症させる危険性があったとも認められない」として、請求を棄却した。・・・と言うニュースです。
小児科医自殺、損害賠償訴訟は勤務との因果関係認めず
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070329i313.htm (読売新聞)
数年前に、福祉ネットワークか何かの番組で、確か、この中原医師の自殺を取り上げたものを見たことがあります。すでに、疲労しきった同医師が、ある日、「病院を辞めることに決めた、今日、院長に話をする」と家族に話して自宅を出て行き、その日、病院から飛び降り自殺をされたのでは無かったでしょうか。何となく、その話が、とても印象的でした。
心のどこかでは、もう無理だと思いながらも、自分から止める術も無かったのでしょうか。目の前にたくさんの患者さんがいて、自分がいなければ、その患者さんを見る医師がいなければ、恐らく多くの医師は、自分を止める術は無いでしょう。あるとすれば、社会的地位や信用を失うことを覚悟の上で、逃走するか、自殺するか。。。
病棟に24時間いつでも駆けつけないといけないという気持ちでの仮眠や、宿直でいつ鳴るとも分からない電話機の横でとる仮眠を、「余裕があった」としか感じてもらえないのは、極めて残念でならないですね。
昨今では避難所の中での飲酒なんて殆ど考えられませんが、阪神大震災の頃は、避難所の中での飲酒が、逆に珍しいことではありませんでした。
(以下、私が思い出しての話ですので、一部誤りがあるかも知れませんが・・・)
外国からの支援チームが日本の避難所に来て驚いたのは、「飲酒が許されている」と言うことだったと言います。私も、いくつかの避難所を見て歩きましたが、非常に統制がとれて落ち着いた雰囲気の避難所では飲酒行為もなく、一方で、雑然としたまとまりのない避難所では、自由に飲酒が行われていました。ある避難所では、当初は、飲酒者の振る舞いに、皆が引いていたものの、徐々に排除に向かうと言う感じもありました。
そんな中で、避難所での飲酒行為を肯定するようなことがおきました。
あるマスコミは、ある高校生が避難所に酒樽を送ったことを好意的に放映し、それから同じように全国からアルコールが支援物資としてよけいに送られるようになったと聞いたことがあります。
あるテレビは、夜遅くに外で火を炊きながら酒を酌み交わす人々を頼もしげに(?)放映していました。でも、その背後で、不安な眠りについていた被災者もいたはずです。でも、マスコミは、火を炊いて酒を酌み交わす人の味方でした。
やがて、これは良くないことではないかと言うことが、徐々に広まっていき、避難所の中での飲酒を禁止する方向になっていきました。
その後、高知の水害があったときには、支援物資の中に、ウィスキーの小瓶があることに市民団体が抗議すると言うことがありました。
確かに、避難所の生活はストレスの高い物ですが、飲酒行為は、より集団でのストレスを高めていったり、多くの二次的な問題を生じることとなります。
・・・でも、高校生が酒樽を送るなんて、何を考えていたんでしょうね。
今回の話は、直接、能登半島地震とは関係ありません。
災害ストレスと言っても、いくつかのパターンがあります。災害に、事故や事件を含めて考えると、経験的に次の様な場合があります。
①地域を中心とした場合。
地震や水害など。地域をフィールドとしているので、保健所や市町村の保健師さんと連携をとりながら、当初は、全般的な健康相談の延長上でメンタル相談も入っていきます。保健医療的には、比較的介入がやりやすいパターンです。
②会社を中心とした場合。
水難事故や火災事故など。会社という組織への介入はむずかしく、会社側と被災者との利益が時間が経つに連れ必ずしも一致しないので、会社側の積極的な協力が無いと、介入がむずかしい。
③学校を中心とした場合。
校内での事故・事件、食中毒など。学校という組織への介入もむずかしいが、すでにスクールカウンセラーなどが入っており、心理職と連携をとりながら介入をしていく。校長の考えが問題となるが、近年、学校危機へのメンタルサポートとして、いくつかの県で、クライシス・レスポンス・チーム (CRT)が作られている。
・・・それぞれのフィールドによって、介入する手段や、最初に入りやすい専門職が代わってきたりします。(現実に、保健師が学校現場に最初に介入するのはむずかしいし、逆に、心理職の人が、避難所の健康相談に介入していくのはむずかしいですね。)
④その他の場合。
一定規模以上の事故、事件。事故や事件が起きるまでは、共通性の無かった人たちが、事件・事故の被害者としての新たな集団を作る。裁判などとも関与してくる。④は、経験したことがないので、よく分かりません。
この話は、数年前に、私の地元で起きた強い地震の時の経験に基づいた話です。
子どもの心のケアが話題になります。本人や家族・親しいものに、大きなケガなどが無ければ、次の様なことがあると、より一層、不安が高まってきます。
(1)被災時、一人でいた。周囲に、親しい人がいなかった。
(2)被災時、何らかの恐怖体験をした。(目の前で物が落下してきた、ケガをした)
(3)被災後、家族や親しい人が一緒にいる時間が少なかった。(例えば、公務員は、なかなか仕事に追われて家に帰れない)
主に見られる症状は、眠りが浅い、退行(ベタベタしたがる、赤ちゃん言葉を使うなど)、イライラして怒りっぽい、不安を訴える、身体の不調(頭痛、腹痛など)を訴えると言う感じでしょうか。これらは、一時的に出てくるごく当たり前の症状なので、安心できる環境の中で生活していく中で自然に軽減してきます。ベタベタしてくるときは、ベタベタさせてあげる方がうまく行きます。
私の地元で地震があったときは、マスコミや県外から何故かやってきた(?)自称・専門家の人たちが、
「今は、大丈夫でも、将来症状が出て来ます」
・・・なんて、まことしやかに話たものだから、それを聞いた親御さんたちが、
「今は大丈夫でも、将来症状が出てくるんでしょうか」
・・・と返って不安をかき立てられていました。私の仕事は、その尻ぬぐい、
「お宅の子どもには、絶対に、症状は出てこないから」
・・・と言い歩くことでした。
「スーダラ節」で売り出し、東宝映画「無責任男」シリーズで一時代を画した元クレージーキャッツのメンバーで俳優の植木等さんが27日死去した。80歳だった。葬儀は個人の遺志により近親者による密葬で行う。・・・と言うニュースです。
植木等さん死去 「無責任男」シリーズなどで人気
http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070327/ent070327002.htm (産経新聞)
国民的スターがまた一人、亡くなられ、寂しいですね。
私の大阪の実家に、私の小学校時代の貴重な(?)8mmフィルム(8mmビデオではない)が残っているのですが、その一つが、兄と歌って踊っている「スーダラ節」でした。もちろん、白黒、無声。
わが子に見せられるような、見せられないような・・・。
3月25日、能登半島地震が起きました。
私自身、阪神大震災の時、民間チームの中に加わって、何度か現地に行きました。そして、数年前は、地元で、今回の様な地震に遭遇することとなり、行く側と受ける側の体験もさせていただきました。
ただ、精神科医が、ボランティアなどとして外部から現地に入ることは、現実にはそれ程無いという気がします。
マスコミは、心のケアというと、安直に、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とくっつけて考えたがりますが、震災直後から、PTSDなどの診断はできません。また、阪神大震災の時に、多くの精神科医が現地に入ったのは、新たに生じる心のケアではなく、多くの精神科医療機関(特に、クリニックなど)も壊れてしまい、それまで精神科で治療を受けていた人たちの治療中断やストレスによる再燃を防ぐためのものでした(と、私は解釈していましたが、この視点からは、あまり報道はされませんでした)。
そういう意味では、精神科医療が壊れてしまったと言うことは、阪神大震災以降は、それ程大きな物はなく、外部からの早急な精神科医療の介入は、まずは現地の精神科医療からの要請の有無を見てからと言うことになるのかと思います。
新たに生じる心のケアは、独立した物ではなく、生活支援等と並行して行われていきます。
ところで、今回も幾つかの避難所が映っていましたが、避難所での生活は、被災者にとっては、大きなストレスです。そして、我が物顔に入ってくるマスコミにも困った物です。地元の報道機関は、今後の事もあり、それなりにきちっと対応はしますが、外部から来たスタッフは、正直言って、あまり気遣いはありません。
私の地元で地震が起きたときも、避難所でTVレポーターが、「まだ、食料も配られていません。一刻も早い、支援が必要です!」と言っていました。でも、その画面の切れた2m横で、町職員が一生懸命に食料を配っていたのですが、うまくそれは画像に入れないようにしていました。
町職員のがんばりよりも、町職員の少しでも失敗を見付けて報道したいというマスコミの視線を感じながらの支援でした。
まぁ、マスコミの話をしても仕方がないので、ちょっと、災害ストレスの話を書いてみようかなと思います。
子どもが不登校になると、大人の方は、何か、再登校のきっかけでもあればと考えたりします。
そのために、友だちを遊びに行かしたり、何かの行事に子どもを誘ったりします。でも、不登校の多くは、対人不安や場面不安を基本においた、エネルギーの枯渇です。
きっかけがあって、簡単に再登校ができるようなら、これ程簡単なことはありません。それができないから、問題となっているんですね。
きっかけがあれば、何とかなる・・と、思っている人は、心の中で、不登校というのは、所詮、本人の問題、怠けの問題、根性の問題と思っている人もいるのかも知れません。
さて、春休みにはいると、不登校の子どもを持つ親御さんの中には、4月の新学年をきっかけに学校に行ってくれればと、口には出さないまでも、心の中で期待をしている人も少なくありません。
本人の中にも、何とか頑張らねばと思っている子もいれば、新しく担任になられる先生も、何とか自分がと考えていられるかも知れません。
けれども、あくまでも、それは大人の都合に過ぎません。エネルギーが徐々に回復してくれば、多くの子どもは再登校を始めますが、必ずしも、それは、新学期とか新学年の区切りで始まるものではありません。あくまでも、本人の回復のペースに合わせて行きましょう。
新学年を理由とした無理な働きかけや頑張りはことごとく失敗します。しかしながら、例え、4月に登校できていなくても、5月頃からボチボチと登校を始め、再登校に至った子もいます。
あくまでも、本人のペースにあわせた回復を考えていきましょう。せっかく、本人が回復に向かっているの、そのペースを、社会的な区切りで無理強いはしない方が経験的には良いようです。
小学校養護教諭(当時48歳)がうつ病で自殺したのは仕事が原因として、公務災害の認定を求めた訴訟の判決が22日、静岡地裁であった。・・・と言うニュースです。
公務災害認定訴訟:仕事過重認めず、母親の訴え棄却--養護学校教諭自殺で /静岡
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/shizuoka/archive/news/2007/03/23/20070323ddlk22040331000c.html
判決によると、教諭は、転任先の小学校の養護学級で障害児2人を担任。翌年1月に暴れがちな障害児を2週間の体験入学として預かったが、その途中からうつ病を発症。同年4月から休職し、復帰間近の同年8月に自殺したとのことです。訴訟内容や裁判の結果に関しては、詳しく分からないので、コメントはしませんが。
今の障害児支援と言うのは、とても大変なのですね。以前のような、知的障害者の学級とは、全然状況が異なってきています。近年は、発達障害の子どもに対する特別支援も障害児学級だけではなく、普通学級の中でも、多くの発達障害の子どもを見ていくことになってきています。
また、被虐待児や厳しい二次障害を持った発達障害の子どもへの関わりはとてもむずかしいものです。単なる「頑張りたい」という思い入れではうまくできません。いかに、その子の状況を判断し、一つ一つのパニックや混乱した行動に対しても、専門的な見地も含めて、考えながらかかわって行くことが求められています。もちろん、仮に、パニックになった原因が分かったからと言っても、じゃあ、すぐにうまく対応できる方法があるとも限りません。
担当者だけが一人で抱え込むのではなく、学校全体でかかわっていく必要があり、学校だけで抱え込むのではなく、適時、関係機関との連携を持っていくことも重要です。
私は、学校教員のメンタルヘルスの仕事にもかかわっていますが、こういった障害児教育で疲れた教諭、本人は頑張って来たが、校内で充分な支援を得られなかった教諭、校内で充分な支援を得ながらも疲れてしまった教諭もいます。
また、こういったダメージによる「うつ病」は、純粋な、内因性のうつ病ではなく、環境要因による反応性のうつ状態であることが多く、単に、休養や投薬だけではなく環境調整も必要です。自宅での回復度と学校への復帰の可能性も必ずしも平行せず、見た目よりも長期の休養が必要になることがあります。ダメージを追った職場に安易に戻すのではなく、少し距離をはなれた所に復帰させるなどの配慮も必要になってきます。
選抜高校野球大会が開かれている阪神甲子園球場に24日午前イタチとみられる小動物が姿を見せ、試合の進行が一時止まった。・・・と言うニュースです。
甲子園にイタチ?現る 選抜の試合が一時中断
http://www.asahi.com/national/update/0324/OSK200703240042.html (朝日新聞)
イタチって、個人的には懐かしいですね。大阪に生まれ育ちましたが、小中学校の頃は、家にもよくイタチが出てきました。
飼っていたインコやヒヨコを持っていったかと思えば、天井裏で夜な夜なネズミと追いかけっこをする?
ついには、台所をゴキブリホイホイに引っかかって、イタチって毛深いのか、なかなか逃げられなくなって、家族に向かって、再三、「イタチの最後っ屁」という手段で抵抗して、それはそれは大変なことがありました。まぁ、ずーーーい分と、昔の話ですが。
いよいよ、今日から小中学校は、春休みです。
ところで、不登校の子どもにとっても、春休みは、ちょっと、のんびりできる時間です。日中に外に出ていても、誰からも文句を言われません。もっとも、そうだからこそ、外に安心して出られるという子もいれば、逆に、同級生に会う可能性が高いので余りでたくないという子もいます。
不登校の子どもを持つお母さんから、よく、
「春休みの間に何かしておいた方が良いことってありますか」
・・・と聞かれることがあるのですが、特に、何もありません。本人が、友だちと遊びたければ、自由に遊ばせてあげましょう。少しでも友だちとの距離が近い方が、学校に対する不安感も軽くなるものです。
後は、せいぜい、クラス替えのことを気にしておくくらいでしょうか。できれば一緒になりたい仲の良い子と、できれば一緒になりたくない苦手な子と一人ずつくらい担任に挙げておいて、クラス替えに配慮をしてもらいます。騒がしいことが苦手な子は、あまり賑やかでない方のクラスの方とかもお願いしておきます。
あくまでも、これは、こちら(私)が学校にお願いするのではなく、親御さん自身の方から、直接、学校の方にお願いするように言っておきます。
「○○君と一緒のクラスになったら、学校に行けるかも知れません」
・・・なんて頼み方をすると、もし、新学期になっても不登校のままだったら、「せっかく、クラス替えを配慮したのに」とイヤミを言われるのは嫌ですね。
頼むときは、
「うちの子は、学年に今親しい友だちが少なくなって、○○君と一緒のクラスでないとますます学校に行けなくなってしまいます。よろしくお願いします。」
・・・という感じで行きます。
ただし、あくまでも本人が望んで、相手側もそれで了解していると言うことが大切です。時々、親の思っている相手と、子どもの思って相手が異なっている場合もあります。
ある時、先生が、やけに気を使って頂いて、本人が仲が良いと言った4人全部を同じクラスにしてくれたのですが、返ってその4人が一つのグループになってしまって、本人が孤立してしまった・・・なんて、いろいろなことがあるようです。
ところで、最近の小学校の成績表。私の子どもの小学校は、20数項目にわたって、◎・○・△の3段階評価ですが、見てもよく分かりません。一番上の子どもの時は、もう少し熱心に見ていましたが、最近は、△の項目だけを見て笑っています。◎・○・△って、変に気を使っているだけで、現実には、○・△・×ですよね。
私の頃は、各教科、5・4・3・2・1だけで、シンプルで分かりやすかったのになぁ。