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2012.02.13 20:30 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

つまらなそうにしている子ども

つまらなそうにしている子ども

 ある不登校の子どもを持つ母親から
「子どもがつまらなさそうに朝から晩までテレビやゲームを惰性でこなしている。そんなにつまらないならテレビやゲームをしなければ良い。もっと健康な遊びをして欲しい、元気に遊んで欲しい」
と言っていました。

 これは不登校の子どもの心を知らない人の発想です。その子どもはテレビやゲームがとても楽しいです。しかしテレビを見ても、ゲームをしても楽しくしていると表現できないのです。それはその子どもの心が登校刺激を受けて、学校を意識していると死ぬほど辛いからです。その辛さをテレビやゲームで埋め合わせて差し引きゼロにしようとしています。差し引きゼロにしようとしても、十分にゼロにならないとき、まだ少し辛さが残っているとき、子どもはごろごろとしていて、活力がありません。

 子どもには大人と同じ考える心と、大人では考える心で調節されている情動の心とがあります。子どもでは考える心から言葉を発しますが、大人と違って子どもの行動は子どもの本心である情動からなされます。情動の心には何かを得ようとする楽しさの機能と、何かから逃げようとする辛さの機能とがあります。そして楽しさの機能と辛さの機能はお互いに打ち消して、残った方の機能から行動をすることになります。

 不登校の子どもでは学校を意識すると辛くなります。テレビやゲームをするとその辛さを打ち消すことができますから、どうにか自分を維持できます。不登校の子どもを元気にするには学校を意識しなくて良いようにしてあげることで可能です。子どもは学校という辛さがなくなって、テレビやゲームで楽しさが残って、子どもの情動は何かを求める楽しさになります。子どもは元気に活動をし始めます。大人はそのままテレビ漬け、ゲーム漬けになって何もしなくなると考えますが、そうではありません。元気になった子どもはテレビやゲームを必ず卒業して、その子どもなりの建設的な活動を始めます。

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2012.01.25 09:18 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  趣味  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

あ、そうだ!

あ、そうだ!

 

 娘が不登校引きこもりになって五年がたちました。最近母親が常識を捨てて、娘の非常識な要求を叶えるようにしだして、娘と母親との関係がどんどん変わってきました。娘と母親との会話が増えてきました。

 ある日、母親が相談しているカウンセラーを娘が訪ねて行き、カウンセラーと話をしました。その会話の中でカウンセラーから「今のまま不登校、引きこもりをしていて良い。何もしなくて家の中でごろごろしていて良い。何かしたくなったら、何か楽しいことがあったら、親が反対してもそれをしなさい」と言われました。

 その後で娘は私に「私には何もしたいものがないし、何も楽しいものもない。」とがっかりした様子で言っていました。私はその話を相づちだけ打って聞き流しました。その娘が突然「あ、そうだ。料理をしてみたい。今日はチョコレートケーキを作りたい。」と言いだして、すぐにレシピーの本取り出して作り始めました。

 

 私としては台所を占有されて迷惑なのですが、娘が何か言い出すまでぼけーっと見ていました。
「母さん、チョコレートとバターがないから買ってきて。」
と娘が言ったので、私はすぐに買いに出かけました。

 このことを契機に、娘は私からだんだん離れていきました。それまでは私が側にいないととても不安がったのですが、昼間一人で出かけていきます。夜は私と同じ部屋で寝ていたのに、今は自分の部屋で寝ています。今の私は何か寂しさも感じてしまいます。娘の不登校がなければ、きっと過干渉の母親、管理だけの母親を続けていたと思います。娘を苦しませ続けていたと思います。

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2012.01.15 09:44 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

親のせい

親のせい

 母親が言った何気ない言葉で、子どもが荒れてしまいました。子どもは「全て親のせいだ」と言いました。それを聞いて母親は腹を立てましたが、自分を押さえて「辛いね。ごめんね。お母さんが悪かった。」と謝りました。

 もしこのとき母親が怒ったら、母と子どもの間の信頼関係を壊してしまいます。子どもはひどく荒れまくったでしょう。子どもは死ぬほど辛かったのです。辛さは潜在意識から生じますから、子どもには辛くなる理由が分かりません。そこで辛さの原因を親の責任にして少しでも楽になろうとしているのです。母親が「そうだね。ごめんね。」と言ってくれると、子どもの心がとても楽になり、子どもは母親を信頼して元気になっていきます。

 「子どもから学ぶ」と言う言葉があります。子どもと大人の常識から見るのではなくて、子どもの一挙一動を子どもの心に沿って理解しようとするものです。子どもの行動を拒否したり、怒ったりしたら、「子どもから学ぶ」ことになりません。子どものあらゆる行動をそれで良いと受け入れたなら、子どもは親を責めることが無くなります。親を信頼してその子どもなりに社会と関わろうとします。

 母親の対応が子どもの心に沿うとは、その対応で子どもが落ち着くようになることです。多くの子どもは母親の前で良い子を演じることがないからです。子どもが辛くて、その責任を「親のせい」と言っている間は、子どもが親を信頼していないという意味にもなります。

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2011.12.27 09:44 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

脳障害と発達障害

 NHKのニュースでダウン症で書家の金澤翔子さん(書かれた書がhttp://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=35683 で紹介されています)の活動が報道されたことがありました。金澤翔子さんはダウン症に併発する脳障害から知的な障害を生じて、母親との生活をよぎなくされているようですが、書道に関する天才と言われている能力から日本中を飛び回って書道の活動をしています。

 サバンと表現される人たちがいます。脳障害により日常生活に障害を持っていますから発達障害の病名を持っているけれど、ある特殊な分野で天才的な能力を発揮するようになっている人たちです。この人たちは発達障害の病名を持っていても、精神科領域での発達障害ではありません。精神科領域の発達障害とは、脳障害がないという前提条件があります。

 脳障害がない人が出す発達障害の症状と、脳障害がある人が出す発達障害の症状と、区別は大変に難しいです。その理由として精神科医は、脳障害がない人が出す発達障害の症状も、今の科学で知ることができない脳障害から生じていると考えています。それ故に多くの人が、発達障害の子どもに関係している人ですら、これらの区別をしていません。脳障害がある発達障害と言われた人への対応を脳障害がない発達障害と言われた人へ行っている場合が多いです。

 脳障害のある人への対応は、残っている能力を伸ばす対応です。脳障害がある人自身も自分の能力が伸びて周囲の人が喜ぶから、その能力を伸ばそうとする場合が多いようです。脳障害がなくて発達障害の症状を出している人に、脳障害がある人の対応を行ったなら、脳障害がなくて発達障害の症状を出している人はますます辛くなってしまいます。発達障害の症状を強めて言ってしまいます。

 脳障害がなくて発達障害の症状を出している人たちは、人によって異なりますが、人間関係に苦しんで発達障害の症状を出しています。というより子どもの時に誰にでもある幼児性から心が発達させられないでいる状態です。幼児性から心が発達させられないで、年齢が進んでも幼児性を表現している姿です。なぜ幼児性から心が発達させられなかったかという問題です。

 親や大人に子どもを苦しめたという記憶がなくても、親や大人がごく当たり前として行ってきた対応で、その子どもなりに身につけている感受性から子どもが苦しんで、子どもが自分の幼児性から心を発達させられなかったのです。このように親や大人の対応で苦しんで発達障害の症状を出している子どもには、親や大人の常識的な対応は今まで自分を辛くしてきた対応の延長線上にありますから、ますます苦しくなって発達障害の症状を強めていきます。年齢が進むに従って固定化していくことになります。

 

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2011.12.26 19:43 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

辛さと楽しさ

辛さと楽しさ

 動物と共通の人間の脳についてです。人間の生命を維持する脳には、本能であり、潜在意識の働きとして接近系と回避系があります。接近系とは私たちの言葉で楽しさ、喜びであり、回避系とは私たちの言葉で辛さ、怖さです。

 辛さとは危険から命を守る脳の反応です。脳が辛さを表現するときにはその辛さから逃げようとします。逃げられないときには外に向かって荒れたり、内に向かって病気の症状を出します。

 繰り返す辛さには相乗作用があります。初めは些細な辛さでも、繰り返す内にとても大きな辛さになります。他の人から見て何でもないようなことに強く反応してしまい、とても信じられない行動をしたり、心の病的な症状を出してしまいます。

 楽しさとは能力を高めようとする脳の反応です。成長をしようとする脳の反応です。ですから子どもの本来の姿は楽しさです。子どもはその楽しさからその子どもなりに成長をして行ってくれます。

 楽しさには慣れがあります。慣れがありますから繰り返す楽しさは楽しさでなくなり、当たり前になってしまいます。楽しさに慣れを生じると脳は新たに楽しいものを求めようとします。ですから楽しさには発展性があります。

 辛さと楽しさにはお互いに打ち消す作用があります。辛さは楽しさを軽減しますし、楽しさは辛さを解消してくれます。同一のことでいつまでも楽しさを感じたいなら、楽しさの後に適度な辛さが必要です。その辛さで楽しさが薄められたら、同一のことでまた楽しさを感じられるようになります。

 苦しんでいる子どもにその子どもなりの楽しさを与えてあげると、子どもは苦しまなくなります。ただし大人が子どもに与える楽しさは、その子どもが楽しいだろうと大人が判断しただけであり、子どもが言葉で「楽しい」と言っても、本当に楽しいのかどうかは別です。子どもが楽しいからと自分から求めるもので、子どもは辛さを薄めて心を元気にして行きます。

 子どもが出す心の病的な症状は子どもがとても辛いという意味です。いわゆる子どもの心の病の症状は薬で一時的に楽になっても、薬では治りません。子どもの心の病の特効薬は子どもが感じる喜びです。それも大人が与えた喜びでは効果がないと考えて下さい。大人の考える子どもの喜びは、子どもの喜びでないからです。子ども自身が求める喜びはとても効果的です。しかし子どもの心が辛い状態ですと、子どもの方から喜びを求められない場合が多いです。けれど母親だけは特別です。母親自体が子どもの本能からの大きな喜びですから、母親の共感とスキンシップが子どもの辛さを解消できます。いわゆる子どもの心の病は母親から受ける喜びだけが特効薬だという意味になります。

 子どもでは母親からの共感の言葉や母親との触れ合い(スキンシップ)で、本能的にとても大きな喜びを得られます。子どもは辛くなると母親の側で、母親に触れながら過ごそうとしますし、母親も母性が働いているときにはそのような子どもを許そうとします。それだけで子どもは楽しくなれますし、心が元気になることができます。子どもが暴れるなどの問題行動をしたり心の病的な症状を出しているとき、母親の共感と触れ合いから受ける子どもの喜びを使うことで解決を可能にします。

 経験からの子どもと母親の関係です。子どもが荒れたり心の病的な症状を出している原因は母親でないのですが、母親の対応が悪く(母親が知識から子どもを理解しようとして、子どもの本心に沿った対応をしていない)て子どもがそのような反応を出し続けています。その母親が対応を変えて、子どもの本心に喜びを与えようとしても、子どもはすぐに受け入れないことが多いです。子どもの本心に喜びを与える対応で子どもの心は楽になるのですが、初めのうちは母親の対応を拒否する行動をとることが多いです。それは子どもが母親の本心を確かめる(テスト、お試し)行動です。それで母親がひるまないで、子どもの心に喜びを与え続けたなら、子どもは無条件で母親を受け入れるようになります。心が楽しくなり、自分の問題を自分で解決できるようになれます。

 経験からの子どもと母親との関係です。子どもがいわゆる発達障害や心の病の症状を出しているとき、その原因は子どもによっていろいろでしょうが、子ども自身(生まれつき)や母親が原因ではありません。けれど子どもの心の状態を母親に理解ができなくて、その対応が子どもの本心に沿っていなくて辛いから、発達障害や心の病の症状を出しています。別の見方をすると母親の対応が子どもの本心に沿っていないから嫌だという子どもからのサインとも考えられます。傾向として子どもが幼ければ幼いほど発達障害だと思われてしまう症状を出し、子どもの年齢が進むと辛い心の症状を出すようになります。

 いわゆる発達障害でも心の病でも当てはまりますが、これらの症状を出し続けていると、これらの症状を出す原因に敏感に反応をするようになります。他の人では何でもない場所で、とても原因があるとは思えない場所で、子どもが症状を出してしまいます。その姿から大人も症状を出している当人も、発達障害だ、心の病だと確信してしまいます。また、これらの症状を出し続けていますと、脳内に変化を生じてしまいます。その脳内の変化からこれらの症状を出しやすくなってしまいます。症状の固定化を生じて、周囲の人は病気だと確信するようになります。それでもその脳内の変化は対応次第では回復可能なようです。ただし大変に難しくて時間がかかります。

 いわゆる発達障害や心の病で長年苦しんでいる子ども(年長の子ども)への対応を行っていて感じることがあります。子どもたちの症状は母親の対応が悪くて、子どもの辛さが改善しないという子どもの訴えなのですが、子どもは言葉でも行動でも母親を擁護しようとします。子ども自身の辛さの原因を診断されている発達障害や心の病に求めてしまいます。自分を苦しめている誰も気づいていない原因を解消しようとしなくなります。辛くなると医療にかかり、薬に解決を求めようとします。

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2011.12.13 10:19 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  趣味  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

子どもの心に寄り添って(30)

子どもの心に寄り添って(30)

 ある母親からの相談の中で、「同級生や一学年下の子供達、学校を辞めてしまいアルバイトしている子供達、何も仕事をしていない子ども達と、毎夜元気で遊んでいます。子どもの将来はどうなるのでしょう。」と質問をしてきました。

 ここに述べられている子ども達にとって今の学校制度が合っていないから、今の学校が辛いから、学校から逃げ出している姿です。その姿は常識的な大人から見たら、怠けていて、遊びほけていてと、感じられます。子ども達の将来が心配だと考えます。しかし子ども達は子ども達なりに一生懸命生きて、成長をしようとしています。子ども達は自分たちの将来を自分たちで切り開こうとしています。その子どもの素直な姿を理解できないのは、大人が子どもの時持っていた子どもの心を失っているからです。

 同じ母親が「子どもはイライラしていて、言うことと行動がチグハグで、自分のことだけで精一杯で余裕がなく、何もかもやりっ放しで、以前の子どもと人格が全く変わってしまっています。」と続けました。

 子どもは一生懸命その子どもなりに生きて、成長しようとしています。それを理解してもらえないから、辛くていらいらしていますし、余裕が無くて、自分の事だけで精一杯です。目の前の事だけで精一杯です。先の事など考えられません。今を乗り切るので精一杯なのです。でも言葉では、以前に学んだ事を、母親のために言っていた事を思い出して言っているのです。その点では未だ十分に素直ではないですが、それ以外では子どもが自分を素直に出しています。良い子を演じるのを止めて、素直な自分を出し始めた子どもに母親が戸惑っています。

 昔の子どもは良い子を演じ続けて大人になれて社会生活ができるようになれました。しかし今の子どもは良い子を演じ続けて大人になれて社会生活ができるようになる人が少なくなってきました。それは社会がそれだけ厳しくなってきたからです。多くの子どもは辛くなって、いつか良い子を演じられなくなって、親が予想もしなかった生き方を始めます。その生き方から、その子どもなりの生き方を見つけて、大人になって社会に出て行きます。

 その子どもなりの生き方を見つけたら、とても強い生き方ができます。親が思いもしなかったすばらしい生き方をします。子どもがその子どもなりの素直な生き方を始めたなら、例え親の思いと異なっていても、親はその子どもの生き方を否定しないで、子どもがどのように生きようとするのかを待ってあげて下さい。子どもの要求を支え続けて下さい。

 子どもは親から遺伝情報を貰って生まれ、それを利用して成長し、学習し続けてきた結果が今の子どもの姿です。子どもが良い子を演じ続けていた姿を親が子どもの本当の姿だと考えたら間違いになります。但しそれだけ良い子を演じられるだけ、子どもは頭の良い子だとも言えます。大切なのは今のその子どもなりの姿からどのような大人になっていくのかという姿です。それは子どもが自分から選択して求めていく物であり、親が教えられる物ではありません。但し子どもは親の姿を見ていて、それを参考にする事も事実です。ですから親が親自身に納得した生き方をしていればよいだけです。後は子どもに任せればよいです。

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2011.11.25 20:33 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

アンケートの中で

アンケートの中で

 「小学校の教諭をしています。子どもの問題で学校に非協力な母親がいます。母親がもっと学校に協力的になって貰うにはどうしたらよいでしょうか?」という質問を受けました。

 母親の協力が得られないと教師が感じるときには、子どもの姿に問題があると教師が感じたとき、教師の努力ではどうにもならないので、母親に協力して貰おうとする場合です。教師としては家庭に問題があると考えられるから、母親に家庭での解決を求めている場合です。

 その原因として、1)母親が子どもの心に無頓着で、子どもが苦しんでいる場合。2)教師として一生懸命子どもを守ろうとしているのに、教師の対応が子どもを苦しめていて、母親が教師に期待しなくなり、教師を拒否している場合があります。

 1)の場合は教師が母親の代役をする必要があります。教師が母親を子どもの心を理解するように変えることは大変に難しいです。母親の代役ですから、男性教師には難しいので、養護教諭に頼むしかないでしょう。また、校長や教頭に理解できるかどうかも重要な点です。代役とは、共感の言葉とスキンシップです。子どもの要求を可能な限り認めて、決して子どもの問題点を責めないことです。それ以上の代役は無理でしょう。

 2)の場合はとても難しいです。今の学校のあり方と一人の子どもを守ろうとするあり方の板挟みになるからです。その一人の子どもだけについて、教師が今までの教育方針を変えて、教師が持つ常識を捨てて、その子どもに合わせる必要があります。特に教師の方にわかりにくい、「学校を辛さを生じる条件刺激として学習している子どもの存在」を教師は理解する必要があります。

 どちらにしても、子どもの立場で子どもを守ろうとすると、教師に途方もない負担がかかることになります。それは目の前の成果ばかりを求める今の教育のあり方に問題があるのですが、現場にいらっしゃる教師の方には大変に難しい問題なのです。

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2011.10.24 20:31 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

不登校の原因ときっかけ

不登校の原因ときっかけ

 子どもが不登校になったとき、親や教師、その他の相談機関は、子どもが不登校になった直前の事件が原因であり、それを解決して子どもを学校に行かせようとします。例えば教室内でいじめを受けたのを機会に子どもが学校に行かなくなったとき、親や教師はいじめた子どもに「もういじめをしない」と約束させます。いじめられた子どもとと和解の場所を作って、それによりいじめが解決したとします。いじめられた子どもに学校に来るように関わります。そのようにしても、子どもは学校に来られないか、来てもやがてまた学校に行けなくなります。

 不登校についていろいろな説明がされていますが、脳神経生理的に考えると、不登校の子どもは「学校を辛さを生じる条件刺激として学習」した状態です。不登校の子どもは学校を見たり意識すると、辛さを生じる条件反射が働いて、体中に辛い反応を生じて、学校を拒否せざるを得なくなっています。潜在意識にある本心では学校に行きたくないのです。

 しかし子どもが学校を拒否しても、親や教師によって大きな力で学校に押されると、その押す力が学校を拒否する力より大きいと、子どもは学校を拒否していても学校に行ってしまいます。不登校になる子どもは、言葉では「学校に行きたい」と言い、学校に行くと元気に過ごしてきます。それは子どもが”よい子”を演じているだけであり、学校に押されて行っているだけであり、子どもに何かあると学校を拒否する力が強くなり、すぐに学校に行けなくなる状態なのです。上記のいじめの例では、たまたまいじめが不登校になるきっかけだっただけです。

 不登校の原因を見つけるのは大変に難しいです。子どもの姿に関係なく、知らないうちに子どもは学校が辛くなってきて、学校に行きづらくなっているからです。不登校のきっかけを不登校の原因と理解してしまう理由です。

 脳神経生理的には、不登校は「学校を辛さを生じる条件刺激として学習した」状態です。「学校を辛さを生じる条件刺激として学習」したとは、学校生活の中でその子どもにとって辛いことを繰り返し経験していたのです。辛い経験を繰り返す内に、「学校に辛さを生じる条件刺激の学習」が強化されてしまい、ついに辛さに耐えきれなくなったのです。

 何が辛かったのか、それは子ども次第です。不登校になった子どもでは、他の子どもでは何でもなかったこと、たいして辛いことでなかったこと、時には楽しかったことで、辛くなっていたのです。そのいくつもの辛かった経験が不登校の原因になっています。不登校の原因は一つでないです。特定が難しいです。

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2011.10.12 20:30 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

不登校と登校刺激

不登校と登校刺激

 義務教育年齢の子ども、そして高校は現在義務教育のようにほぼ全員が行くようになっていますから、高校生以下の子どもの不登校について当てはまる事実です。

 子どもが不登校だという事実は、”子どもが学校に意識的に行こうとしても、体が拒否をして行けない状態”です。もちろん大人が子どもを学校に行くように押せば、子どもは学校に行く場合がありますが、それは子どもが学校を拒否する力以上に学校へ押す力が強かったという意味です。

 子どもが学校を拒否する(登校拒否)のは、「子どもの潜在意識で辛さを生じる条件刺激として学校を学習している」からです。小学生の低学年ぐらいですと、子どもが学校を拒否する場合、”辛さを生じる条件刺激は学校自体”です。学校に限定されています。しかし親や大人(主として教師)から学校へ押す力が強くて、心が不登校の子どもが学校に行き続けていると、”辛さを生じる条件刺激の汎化(辛さを生じる条件刺激が増える)を生じて”しまいます。”教師や友達、勉強、家の周囲の人に辛さを生じる条件刺激を学習”してしまいます。

 それは子どもの立場から言うなら、子どもの脳の立場から言うなら、子どもの性格(遺伝として受け継いだ反応の仕方と母親から受け入れた反応の仕方とその時までに繰り返して身につけた反応の仕方と条件反射として学習した反応の仕方)として学校や学校に関する物に拒否反応を生じるようになっているのです。お化けを怖がるのや、蛇を怖がるのと同じようになっているのです。

 子どもの立場から言うなら、無意識に、反射的に、学校について辛く感じるようになっています。学校に対して拒否するように反応するようになっているのですから、不登校の子どもにはどうにもならないのです。学校や学校に関する物で辛くなるように子どもはされたのであり、子どもには責任がないのです。大人では意識的にこのような潜在意識の反応を抑えることが可能ですが、子どもではそれが出来ません。大人から解決するようにと求められても出来ません。辛さを生じる条件刺激を受けると、どうしても辛くなってしまいます。辛くならないためには辛さを生じる条件刺激から逃げるしかないのです。学校や学校に関する物など、辛さを生じる条件刺激から逃げ出した子どもの姿が不登校なのです。

 つまり小学校の年長以上の子どもが不登校状態である限り、学校や学校に関する物を不登校の子どもに与えると、辛さを生じる条件反射を生じて、子どもはとても辛くなります。それでも学校に行かそうとしますと、荒れたり、病気の症状を出してしまいます。それが進行しますと身体に病的な変化を生じて命を維持することも出来なくなります。脳にも病的な変化を生じていわゆる精神病の状態になります。ですから「不登校の子どもに学校や学校に関する物を与えてはいけない」のです。

 多くの大人は、子どもが学校を拒否する姿にいろいろな理由をつけて理解しようとします。子どもがずるをして、怠けて、学校に行こうとしない。いじめる子どもがいるから、勉強が理解できないから、成績が悪いから、学校がおもしろくないから学校に行こうとしない。先生が叱るから学校に行きたくない等です。すでに不登校になった子どもはこれらの問題を解決しても学校に行けないか、学校に行ってもそのうちにまた学校に行けなくなります。そうすると大人は、学校には何も問題がないから、何か子どもに問題があるから、子どもが学校に行こうとしないのだと考えるようになります。子どもが辛さを生じる条件反射から学校に行けなくなったとは考えません。

 親や大人は不登校の子どもに、学校や学校に関する物、先生、勉強、友達、家の周囲の人(これらを登校刺激という)から、子どもを守ってあげる必要があります。先回りをしてでも守ってあげる必要があります。登校刺激から守ってあげていると、子どもが持つ成長の能力から、学校や学校に関する物に辛くなる反応が消失します。子どもが楽しく生活していると、心が元気になる速度が速まります。

 ”先回りをして守ってあげるのは、学校や学校に関する物、先生、勉強、友達、近所の人だけ”です。その他のこと、つまり辛さを生じる条件反射を生じさせない物は、決して先回りをして対応をしてはいけないのです。子どもの心を元気にするために、子どもの意志を大切にするという意味です。

 不登校の子どもが「学校に行きたい」と言うとき、それは子どもの意志ではないかという人が多いです。子どもは大人と違って、心には意識に上り言葉で表現できる顕在意識の心と、意識に上らなくて、言葉にならなくて、体に表現される潜在意識の心とがあります。「学校に行きたい」という子どもの言葉は顕在意識の心の言葉であり、修正可能なのです。不登校の子どもが学校に行かないというのは、潜在意識の心で反射的に学校を拒否しているからです。”潜在意識の心が子どもの本心”です。言葉には成らない子どもの意志に、子どもの本心に相当します。

 潜在意識の子どもの本心を修正することは大変に難しいです。特に潜在意識の子どもの心を理解していない限り無理だと言えるかもしれません。それに対して顕在意識の心は子どもが持っている知識と理解して間違いありません。学校の勉強と同じことですから、その内容を変えることはそれ程難しくありません。

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2011.09.29 16:10 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

自分の中での戦い

自分の中での戦い

 息子は中学一年生の夏休みを終えてから、二年近く学校に行っていません。その間、息子にとっても、私にとっても、辛いことがたくさんありました。私も辛かったですが、やっとこの頃、「息子は私の子どもだから、私しか息子を信じて待てあげられる人はいない」と思えるようになりました。

 この一週間、息子は朝七時半頃に起きてきます。今日も朝七時半頃起きてきて、
「飯」
とだけ言いました。私が急いで朝食の用意をしました。むすこは朝食を食べ終わると、洗い物をしている私のそばにやって、
「俺、学校に行こうと思っている」
とぽつりと言いました。即座に私は
「そう、健司は学校に行かなくてはいけないと思っているのね。でも母さんは、健司は学校に行かなくて、家で健司らしく楽しく過ごしていて欲しいと思っているのよ。」
と言いました。すると息子は
「おまえは俺のことをいつまでたってもわかってくれない。俺は家にいるのが飽きた。家がつまらない。学校にいきたんだ!」
と怒鳴って、自分の部屋に行ってしまい、また布団に潜り込んで寝てしまったようです。

 私には息子が家にいるのを飽きてつまらないと感じているは判断していません。息子はまだ学校に行かなくてはならないと思っています。けれど学校に向かって体が動かないので苦しんでいます。息子の本心が学校を拒否していますが、息子はこの事実に気づいていません。

 息子は「学校に行かなくてはならない」という思いと、「現実に体が動かなくて学校に行けない。それをどうにかしなくてはならない」という思いを、息子の中で戦わせています。今は「学校に行かなくてはならない」という思いが勝っています。そのような息子に私は何もできないけれど、まだ息子が知らないでいる「学校に行かないで成長をする道」があることを、私は息子に示し続けています。

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