子どもを理解するには、大人と違った考え方が必要です。子どもの心を理解するには、意識に上り、言葉の形で表現する「知識の心」と、潜在意識にあって子どもの行動や体に症状で表現する「本心」と、二つの独立した心を念頭に置いて考える必要があります。
多くの大人では知識の心が潜在意識にある本心を支配していて、特別の場合を除いて、潜在意識にある本心を考える必要がありません。大人の発する言葉がその大人の本心だと理解して間違えることはないです。
子どもは知識の心と本心とが独立しています。基本的に知識の心で本心を支配することができません。知識の心で本心を支配するためには、子どもの持つ喜びや辛さを利用します。大人と違って、本心が持つ喜びを得ようとする反応、辛さから逃げようとする反応を利用して、知識の心を実行しています。子どもでは知識の心から反応するためには、必ず喜びか辛さが伴っています。
例えば、親から「勉強をしなさい」と言われた場合です。子どもは親を喜ばすために、または勉強をしないと親から叱られるから、子どもは机に向かって勉強をします。親が喜んだり、叱ったりすることがないと、子どもは勉強をしようとしません。又子どもとは全く関係ない大人が「勉強をしなさい」と言っても、子どもは勉強をしません。
勉強する内容に子どもが興味を持つと、子どもは勉強を続けます。喜びを感じています。勉強をする内容に子どもが興味を持てなくても、母親が喜んでくれるとか、勉強の後おやつが貰える、好きなゲームができるとなると、子どもは勉強をします。また、勉強をしないと親から叱られる場合も、子どもは親から叱られないように勉強をします。しかしこれらの喜びや辛さがない場合、子どもは勉強をしないで、どこかへ遊びに行ってしまいます。
] 大人の言葉に子どもが反応するには、必ずその子どもの喜びか辛さが伴っています。子どもの喜びを伴っている場合には、子どもの反応に発展性があり、子どもの知識の心を成長させてくれます。子どもの辛さを伴っている場合には、子どもの反応はその場限りで、以後はその言葉を避けるための、その言葉を言う人を避けるための反応になってしまいます。この点が大人には理解できないことなのです。
何が子どもの喜びになっているのか、何が子どもの辛さになっているのか、それは子どもによって異なります。傾向はありますが、その子ども特有の喜び、その子ども特有の辛さもあります。特にその子ども特有の辛さの場合、その子ども以外の子どもや大人では喜びが、その子どもでは辛さになっている場合があります。大人としてはその子どもによかれとしてかけた言葉が、対応が、その子どもを苦しめ続けて、子ども辛さに追いやり、大人から見たら問題行動を取るようになります。
大人から見て問題がある子ども、矯正を必要とする子どもと間違って理解してしまう場合をしばしば見聞きします。大人が言葉で子どもへ大人の意思を伝達する際に、大人が子どもへの誤解を、大人が子どもを大人と同じように考えて、つまり子どもを理解していないのに、大人には問題が無くて、子どもが問題だとしてしまう誤りを、延々と繰り返し続けていることです。
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