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2009.06.29 20:17 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

見守る

見守る

 不登校の子供を持った親が、子どものありのままを認めて、子どもが自分で不登校問題を解決するのを待とうとする親は、しばしば「子どもを見守る」という言葉を使います。

 ある母親の経験です。学校に行けない子どもを学校に行かそうとして、親も子どももとても辛かったのですが、子どもが学校に行かない現実を親が受け入れられて、子どもの心が安定し元気になってくると、母親も嬉しくなります。その様な子どもがゲームをしている姿を母親が見ていると、母親の視線を感じて、子どもが母親を見ました。目と目が合ってしまいました。すると子どもは
「ゲームばかりをしないで、少し運動をしようかな。」
と言いました。すぐに母親は
「ゲームをしていて良いのよ。今は運動よりもゲームの方が大切だから。」
とフォローしました。まだ子どもは運動をするほど元気になっていないことを、母親は知っていたからです。

 子どもが「運動をしてみようかな。」と言うと、多くの親は子どもが元気になってきたと考え、嬉しくなります。けれどいくら待っても子どもは運動をしようとはしません。そこで親はがっかりします。有言不実行の、困った子どもだと考えます。子どもへの対応に困惑してしまいます。

 この例の母親は、子どもの言葉は子どもの本心から出た言葉ではなくて、母親を喜ばすための言葉であることを知っていました。子どもが無理をして「運動をしてみようかな」と言ったことに気づきました。ですから、子どもの本心に沿って「運動よりゲームの方が大切だ」と言ったのです。その言葉で子どもは、ほっと安心をして、ゲームを続けることができたはずです。

 この例の母親のように、子どもの心に沿った対応ができている母親でも、子どもが母親の視線を感じたり、母親がその子どもの何かを気にしていると子どもが感じたとき、子どもは無理をしてよい子を演じてしまいます。その際にこの例のように、子どもはそのときのその子どものあり方を否定してしまいます。それだけ辛くなり、元気が出なくなります。

 不登校や引きこもりで辛い状態の子どもは、その子どもが求めない限り、その子どもへの親の注目はその子どもを辛くします。基本的に親は子どもを見ない方が良いです。注意を払わない方がよいです。親は子どもを見守るという概念を捨てた方がよいです。子どもを信頼して、待ち続けるのがよいです。待ち続ける間、親は親のしたいことを続けておいて、子どもから何か要求が出るのを待ち続けるのが良いです。

 ただし、子どもが荒れているとき、または子どもが病気の症状を出しているときには、母親は子どもの側にいて、子どもの荒れが少なくなるような対応を、子どもが出す病的な症状が減るような対応をとり続ける必要があります。

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2009.06.24 16:39 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

こどもの本能(5)

4)新しいもの(刺激)を求める


  哺乳類に属する子どもは母親に守られている間に、身体的な成長と一緒に、自然淘汰に耐えられる生活能力を、本能的に身につけようとします。身体的な成熟と、自分の周囲の物に対処法を身につけて、自然淘汰に耐えられる能力を持って、子どもは母親から離れて自立していきます。子どもを取り巻く環境に今まで子どもが経験しなかった新しい物を見つけて、それに子ども自身が関わって、そこから自然淘汰に耐えられる能力を身につけようとします。

 自然淘汰に耐えられる能力を身につけるには、まず母親の周囲にある新しい物(新奇刺激)に十分に納得し、自信をつける(対処法を学ぶ。慣れを生じる)必要があります。また母親はそれをかなえるように対応をします。

  それだけで子どもは自然淘汰に耐えられるようになれませんから、母親の保護が届かないところにだんだん出て行きます。母親から離れたところには、子どもが知らない新しい物(新奇刺激)があります。その新しい物一つ一つに子どもは納得して、自信をつけて、また新しい物を求めて子どもは動き回ります。

 子どもは可能な限り新しい物を経験して、それらに納得して、自信をつけて、独り立ちしたときに、自分の周囲の物に対処法を覚えておく必要があります。新しい物を求めなかったり、新しい物から逃げていたら、子どもが自立したときには新奇刺激に囲まれてしまい、恐怖から生きていけなくなります。淘汰されることになります。

 淘汰されないで、大人になり、子孫を残せた種の子どもは、新しい物(新奇刺激)を求めて行く本能を持っているはずです。

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2009.06.13 10:08 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

子どもの心を理解する

 子どもを理解するには、大人と違った考え方が必要です。子どもの心を理解するには、意識に上り、言葉の形で表現する「知識の心」と、潜在意識にあって子どもの行動や体に症状で表現する「本心」と、二つの独立した心を念頭に置いて考える必要があります。

 多くの大人では知識の心が潜在意識にある本心を支配していて、特別の場合を除いて、潜在意識にある本心を考える必要がありません。大人の発する言葉がその大人の本心だと理解して間違えることはないです。

 子どもは知識の心と本心とが独立しています。基本的に知識の心で本心を支配することができません。知識の心で本心を支配するためには、子どもの持つ喜びや辛さを利用します。大人と違って、本心が持つ喜びを得ようとする反応、辛さから逃げようとする反応を利用して、知識の心を実行しています。子どもでは知識の心から反応するためには、必ず喜びか辛さが伴っています。

 例えば、親から「勉強をしなさい」と言われた場合です。子どもは親を喜ばすために、または勉強をしないと親から叱られるから、子どもは机に向かって勉強をします。親が喜んだり、叱ったりすることがないと、子どもは勉強をしようとしません。又子どもとは全く関係ない大人が「勉強をしなさい」と言っても、子どもは勉強をしません。

 勉強する内容に子どもが興味を持つと、子どもは勉強を続けます。喜びを感じています。勉強をする内容に子どもが興味を持てなくても、母親が喜んでくれるとか、勉強の後おやつが貰える、好きなゲームができるとなると、子どもは勉強をします。また、勉強をしないと親から叱られる場合も、子どもは親から叱られないように勉強をします。しかしこれらの喜びや辛さがない場合、子どもは勉強をしないで、どこかへ遊びに行ってしまいます。

] 大人の言葉に子どもが反応するには、必ずその子どもの喜びか辛さが伴っています。子どもの喜びを伴っている場合には、子どもの反応に発展性があり、子どもの知識の心を成長させてくれます。子どもの辛さを伴っている場合には、子どもの反応はその場限りで、以後はその言葉を避けるための、その言葉を言う人を避けるための反応になってしまいます。この点が大人には理解できないことなのです。

 何が子どもの喜びになっているのか、何が子どもの辛さになっているのか、それは子どもによって異なります。傾向はありますが、その子ども特有の喜び、その子ども特有の辛さもあります。特にその子ども特有の辛さの場合、その子ども以外の子どもや大人では喜びが、その子どもでは辛さになっている場合があります。大人としてはその子どもによかれとしてかけた言葉が、対応が、その子どもを苦しめ続けて、子ども辛さに追いやり、大人から見たら問題行動を取るようになります。

 大人から見て問題がある子ども、矯正を必要とする子どもと間違って理解してしまう場合をしばしば見聞きします。大人が言葉で子どもへ大人の意思を伝達する際に、大人が子どもへの誤解を、大人が子どもを大人と同じように考えて、つまり子どもを理解していないのに、大人には問題が無くて、子どもが問題だとしてしまう誤りを、延々と繰り返し続けていることです。

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