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母親に向かって荒れる子どもについて
多くの大人は、子どもが荒れるときに、その子どもが病気だから、治療を受ける必要があると考えます。その子どもを病院に連れて行きます。または、その子どもの性格が問題だから、その子どもの性格を正す必要があると考えます。親に子どもの性格を正すことができないなら、しかるべき機関に子どもを委ねて、厳しく子どもをしつけることを主張します。
そのような考え方、対応の仕方は、その大人が子どもの心を全く理解していないという意味です。そのようなとき、子どもは一見大人の要求を受け入れて、大人の希望するように行動するように見えますが、子どもは大人に不信感を持ち続けて、病気の症状を出したり、何かの折りに問題行動をするようになります。
子どもが母親に向かって荒れている場合、母親以外の人に向かって荒れるのと、違う考え方が必要です。その理由として、子どもには大人にはない特質を持っているからです。その特質とは、次のような反応の仕方(子どもの本能)です。この特質を理解して子どもの心を考える必要があります。
それは「子どもは辛くなると、その辛くなる場所から逃げようとする。逃げられないときにはよい子を演じる。逃げることも、よい子を演じることもできなくなったとき、子どもは荒れる。その子どもが荒れるのを大人の力で押さえ込んだとき、子どもは病気の症状を出す」という反応の仕方です。また、子どもはその本能として、「母親にとても優しい」という能力を持っています。
子どもは母親を大好きだから、母親を苦しめたくないです。しかし不登校の子どもはとても辛くて、辛くて、辛さに耐えられる限界を超えていますから、母親に優しくできないのです。子どもは自分の辛さを母親に分かって欲しいのです。子どもは辛さから母親に助けて貰いたいのです。しかしその子どもの辛さが母親に伝わらないから、子どもは母親に優しくできないほどに追い込まれて、母親に向かって荒れています。子どもの姿としては母親に向かって荒れるという形をとりますが、見方を変えると、「お母さん、僕を、私を理解して、助けて!」というサインとも理解できます。
ある親の会で、荒れる子どもへの対応で母親が疲れた時(母親が荒れる子どもの対応に疲れ果てるほどなるのは、母親の対応が子どもの本心に沿っていないからです。母親の対応が子どもの本心に沿っていると、子どもは次第に母親に優しくなります)、母親が「私も人間なのよ、私も生きる権利があるのよ!何でそんなにお母さんを苦しめるの!」と怒鳴ったとき、子どもは荒れるのを止めて大人しくなったと述べました。だから「荒れる子どもへの対応で辛くなったら、母親も自分の素直な気持ちを出して、子どもを怒鳴りつけて良い」と言いました。
そのとき、子どもは納得して荒れるのを止めたのでしょうか?違います。この場合、子どもは母親に恐怖を感じて荒れるのを止めざるを得なかったのです。母親を信頼できなくなったのです。今まで子どもを元気にするための母親が行っていた努力が全て無駄になりました。その後、子どもは母親に向かって荒れる代わりに、病的な症状を出すようになります。
けれど多くの場合、荒れる子どもへの対応で母親が疲れて、母親が「私も人間なのよ、私も生きる権利があるのよ!何でそんなにお母さんを苦しめるの!」と怒鳴ったなら、子どもは母親に向かってますます荒れる場合が多いです。子どもはより辛くなるからです。母親は子どもがより荒れることで、より苦しまなければならなくなります。
母親は荒れる子どもへの対応で疲れて苦しくなっても、子どもは辛い母親以上に苦しんでいることに気づいて、子どもの本心に沿った対応を続ける必要があります。また、母性が発揮されている母親なら、対応の辛さに耐え続けられます。母親の母性が素直に働く環境を、父親は作る必要があります。殆どすべての場合、父親の荒れる子どもへの対応は、かえって子どもを辛くして、子どもの不登校問題の解決を送らせますから、父親は荒れる子どもへの対応を直煮はしない方がよいです。母親を介して、母親が納得した状態で、荒れる子どもに関わるのがよいです。
子どもが荒れるときには、その子どもがとても辛い状態にあります。子どもが辛いから、そしてその辛さから逃れられないから、母親に向かって荒れています。子どもにとって母親とは自分の命と同等なぐらいに大切な存在です。その子どもにとって自分の命と同等なぐらいに大切な母親に向かってなぜ荒れるのでしょうか?
子どもが辛いとなぜ母親に向かって荒れるようになるかという理由をもっと詳しく場合分けすると、三つの場合があります。
一つは母親が子どもに登校刺激を与えている場合です。母親が子どもの不登校問題を解決するために、一生懸命子どもを学校に行かせようとしている場合です。子どもは母親からの学校に行かせようとする対応を受けるたびに、学校から受ける辛さで荒れてしまいます。子どもが学校に行き渋っているときの子どもの荒れる姿です。親が子どもを学校に行かせる対応を止めない限り、子どもは母親に向かって荒れ続けます。
二つめは、母親が一応子どもの不登校を認められているけれど、子どもの方で自分の周囲にある物(例えば教科書や学校からの印刷物、学生服、鞄、机など)に反応して、登校刺激を感じているときに生じます。子どもはなぜ自分が辛くなるのか理解していません。子どもは自分が辛いことを訴えて、母親に守って貰いたが、母親はなぜ子どもが辛くなっているのか分かりません。母親は子どもの辛さから、子どもを守れません。母親が子どもを守れないので、母親に向かって子どもは荒れます。子どもにとって母親が直接の辛さの原因ではないけれど、子どもの辛さを癒さないという状況下で、母親に向かって葛藤状態になり、母親に怒りを感じ、子どもは荒れてしまいます。
この場合には、母親は子どもの周囲にある、子どもが学校を意識する物を取り除く必要があります。それと同時に、子どもの辛い心を癒す必要があります。子どもが母親に向かって荒れても、母親は逃げ出しては意味が無くなります。子どもの暴力に耐えながら、子どもに共感し、スキンシップを繰り返す必要があります。
三つ目は、希に年長の子どもに見られることですが、母親が子どもの不登校を認めているけれど、子どもの方で母親に登校刺激を感じている場合です。母親が子どもの辛さの原因となっている(かつて母親がしきりと登校刺激をした結果、母親が登校刺激を止めても、子どもの方で母親を見ると反射的に登校刺激を感じて辛くなっています。そのとき子どもは母親の姿を見ることで、自分のあるべき姿を無意識に想像しています。そして現実の自分と比較して葛藤状態になり、自己否定を起こしています)場合です。
子どもの辛さの原因に母親がなっていても、母親がそれに気づいていない場合です。ある時までしきりと登校刺激をし続けていた母親が、子どもの不登校を認められるようになっても、依然として母親に向かって子どもが荒れる場合です。母親の存在自体を子どもが登校刺激として感じています。別の表現をすれば、母親と子どもとの間に信頼関係が十分にできあがっていないことが考えられます。
母親は子どもの不登校を受け入れられているから、母親にはなぜ子どもが母親に向かって荒れるのか理解できません。母親が子どもの問題点を見つけて解決しようとして、子どもに近づけば近づくほど、子どもは荒れます。ですから母親は必要がない限り子どもに近づかないようにする必要があります。しかし子どもが求めたときには直ちに子どものそばに行く必要があります。そのときには子どもは基本的に、母親に向かって荒れることはないです。