office
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2012/02 >>
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

< 子どもがよい子を演じる | メイン | 親の思い、子どもの思い(6) >
2009.02.24 15:47 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  office  | 推薦数 : 0

子供について、理性の心と情動の心

子どもについて、理性の心と情動の心

 子どもでは顕在意識にある理性の心の情報量が大人に比べて少ないです。しかし潜在意識にある情動の心は既に大人と同じです。大人では理性の心で情動の心を調節して行動していますが、子どもでは理性の心が情動の心を調節することができないか、大変に下手です。ですから大人では主として理性の心で反応して行動していますが、子どもでは主として潜在意識にある情動の心で反応して行動しています。大人では理性の心で情動の心を調節して反応し、行動していますから、情動の心を考えなくても、大人の心を理解できます。多くの大人が情動の心の存在に気づいていない理由です。

 大人でも情動の心が強く働いて、理性の心で調節できなくなったときには、子どもと同じように情動の心で反応して、行動してしまいます。混乱した、パニックになったと表現しているのは、情動の心が暴走した状態です。また、大人では理性の心で情動の心を調節して反応し、行動していますから、子どもも理性の心で情動の心を調節して反応し、行動できると考えています。この誤解で大人は子どもの心を理解できなくなっています。大人と子どもの心にずれを生じています。

 大人では理性の心の表現は言葉や文字、理性的な行動です。子どもでは理性の心の表現は言葉や文字です。子どもでは大人と違って、理性的な行動ができないか、大変に下手です。子どもで理性的な行動と観察されても、情動からの行動のことが多いです。理性の心の情報は、そのときまで学んできた知識です。それは日常生活や学校で、実経験、言葉や文字で学んできた知識で、言葉や文字で表現できます。大人ではその知識に基づいて行動することが可能ですが、子どもではできないか大変に下手です。

 情動の心の表現は体中の臓器に現れる症状、表情や情動行動で、大人でも子どもでも同じです。情動の心の情報とは生きるための行動や反応をし、生きるために好ましくないことから逃げたり、回避するための行動や反応をします。命に直結した心になります。人間の本心と言って良いです。

 以上の事実をまとめると、大人と違って、子どもは理性の心で反応して言葉や文字で表現し、情動の心で反応して体中の臓器に症状を表現し、表情や情動行動で表現します。情動の心は体中の臓器に表現しますから、心が辛い状態の子どもの心を考えるときには、真っ先に情動の心について考える必要があります。心が辛い状態のこどもとは、この情動の心が危険を感知して、その危険から逃げたいのに逃げられないから辛さを表現しているのです。それに対して理性の心は単に子どもの知識を表現しているだけです。多くの大人は理性の心の中の知識に注目して子どもを考えますが、それは知識で飾られた子どものうわべの姿を見ることになり、子どもの本当の姿は見られません。子どもの本当の姿は情動の心だからです。

 子どもの理性の心と情動の心が、子どもが受けた情報や刺激にどのように反応するのかを考えてみます。理性の心と情動の心の内容に沿った事柄や刺激を受けたときには、理性の心や情動の心の内容を強化していくだけですから、そのことについてはここではふれません。子どもの心を考えなければならないときとは、子どもが辛い状態にあるときです。子どもが辛くて苦しんでいるときに、子どもを守るためにはどうしたらよいかを考えるときです。

 子どもが辛い状態にあるときの例として、子どもが不登校状態で苦しんでいる時を考えてみます。このときの子どもの理性の心の情報は「学校に行かなくてはならない」です。情動の心の内容は「学校が辛い」です。このとき子どもは言葉で「学校に行かなければならない。学校に行きたい。」と言います。しかし情動の心は学校に反応して学校を回避しようとしますが、回避できないので、体中の臓器に辛い症状を出すことになります。このように理性の心があることを求めようとしていて、情動の心がそのあることから回避しようとするとき、その心の状態を葛藤状態と言います。

 この不登校の子どもに親が「学校に行きなさい」と言ったとき、その言葉は理性の心と一致しています。理性の心が肯定されたという事実で、情動の心は喜びを表現します。その喜びの程度は子どものそれまでの経験で異なります。ある子どもでは強く喜びを表現するでしょうし、別の子どもは殆ど喜びを表現しないかもしれません。いずれにしても「一足す一が二」と答えたら、「その答えが合っているよ」と言われたのと同じです。

 この不登校の子どもに親が「学校に行きなさい」と言ったとき、その言葉は情動の心の学校に行けないと言う情報を否定しています。情動の心がより強く体中の臓器に辛い症状を出すことになります。より強い葛藤状態になります。その辛い症状の出し方は、理性の心が肯定されたという事実で、情動の心が喜びを表現するその表現法で異なってきます。強く喜びを表現する子どもは最初嬉しそうにしますがその後子どもは状態が悪くなって酷く荒れます。喜びを殆ど表現しない子どもはすぐに状態が悪くなって酷く荒れてしまいます。時間が経つと子どもは今まで以上に辛さを表現し、荒れるようになります。

 この不登校の子どもに親が「学校に行かなくてよい」と言ったとき、その言葉は理性の心を否定しています。理性の心が否定されたという事実で、情動の心は辛さを表現します。その辛さの程度は子どものそれまでの経験で異なります。ある子どもでは強く辛さを表現するでしょうし、別の子どもは殆ど辛さを表現しないかもしれません。いずれにしても「一足す一が二」と答えたら、「その答えが違っているよ」と言われたのと同じです。

 この不登校の子どもに親が「学校に行かなくてよい」と言ったとき、その言葉は情動の心の学校に行けないと言う情報を肯定しています。情動の心が体中の臓器に喜びの反応を出すことになります。今までの葛藤状態が薄められます。その喜びの反応の出し方は、理性の心が否定されたという事実で、情動の心が辛さを表現するその表現法で異なってきます。強く辛さを表現する子どもは最初荒れます。しかしすぐに収まって、その後症状が悪くなるようなことはないです。辛さを殆ど表現しない子どもはすぐに今までの辛い症状が軽くなってきます。子どもの中にはちらりと喜びの表情を示す子どももいます。時間が経つと子どもが以前より辛い症状が無くなって、落ち着いてきます。

固定リンク