休み癖
子どもは子どもの本能として、学校が楽しければ通学習慣をつけなくても自分から学校に行き続けます。親や大人から見て楽しく幼稚園で過ごしていた子どもの中にも、幼稚園をやっとの思いで卒業して(よい子を演じ続けていた)次に小学校に行ってみたところ、学校が楽しくないばかりか学校が辛くて耐えられないから、子どもは入学当初から学校に行こうとしなくなる子どもがいます。
教師は自分たちの職場である学校に問題があるとは考えません。教師は一生懸命子ども達の成長を願って学校を、授業を維持していますから。そのような教師の思いが好ましい子どもは多いですが、そのような教師の思いが子どもを苦しめるようになっている子どももいることに教師は気づいていません。
そこで記事の中の校長の言葉「早い時期に「学校へ行かなくて良い」意識が根付くと、親子共々それが日常になってしまう」です。学校が辛くて子どもの限界を超えたので、学校に行けなくなった子どもを、殆ど全ての教師はこの言葉のようにまたは休み癖がつくというように理解しています。
この言葉自体は「早い時期に」という部分を除いて、辛い子どもの心を癒すという意味で間違ってはいません。教師が意味している休み癖がつくという意味では間違っています。ここで早い時期と限定しているのは入学当初を含めて低学年という意味です。小学校低学年でなくてもこの言葉は正しいです。
学校が辛くて学校に行きにくい子どもにとって「学校に行かなくて良い」と親が思ってくれたらとてもありがたいことです。安心して、学校を利用しないで、その子どもなりに成長して社会に出て行けるからです。また実際にできています。
今から40~50年以上前と違って、現在は学校に行かなくても学校に行ったと同じ程度の、又それ以上の必要な知識を身につけられるからです。辛すぎて行けない学校に行こうとし続けて一生を無駄にしてしまうよりは、辛い学校と関わらないで成長した方が得な子どもがいるのです。
親が子どもに学校へ行かなくて良いと思わない限り、子どもは学校へ行かなくて良いと思うことはできません。例え親が言葉だけで子どもに学校へ行かなくて良いと言ったとしても、子どもは親の言葉の端や表情、行動から、親が心底子どもに学校へ行かなくて良いと思っていないことに気づきます。子どもは行くと辛い学校へ行こうとし続け苦しみます。
親が心底子どもに学校へ行かなくて良いと思えたら、子どもは辛い学校と縁を切って、その子どもなりの成長を、それも学校に行っている子ども以上に元気に成長をすることができるようになります。
しかし教師はそれを認めることができないです。教師が一生懸命子どものために働いている学校に子どもが辛さを感じている事実を教師はを認められません。子どもが学校に登校しないのは子どもに問題があると考えています。子どもが学校に登校しない理由の一つとして、大人にはあるが子どもにはない”休み癖”という概念を持ち出してきています。
大人である教師には休み癖があるから子どもにもあると考えて、入学当初の小学生について「早い時期に「学校へ行かなくて良い」意識が根付くと、親子共々それが日常になってしまう」と言うようになっています。教師は学校に行きづらい子どもに「学校へ行かなくて良い」という思いをつけさせたくないからです。それは結果的に教師は教師の都合で子どもの教育を行っている状態です。教師は子どもの心理を知らないのです。
固定リンク
|
コメント (0)