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2008.07.05 18:46 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  office  | 推薦数 : 0

通学習慣

通学習慣

 「新一年生では通学習慣を身につけさせることに尽力する」という考え方です。これは子どもが未だ集団生活に加わるしつけ習慣が付いていないから、小学校に入った時点でつけなければならないと言う意味です。その言葉の裏には親が教育して、しつけをして子どもを集団生活に加わられるようにしておくべきだという意味を指しています。しかし新一年生の殆ど全ては幼稚園に通っていました。つまり小学校が幼稚園の延長上にある限り、幼稚園に通えていた子どもは小学校に通えるはずです。それはしつけや習慣の問題ではない物がある事に気づく必要があります。

 子どもの心や体の成熟度は幼ければ幼いほど子どもによって差があります。その成熟度の差、つまり子どもの集団に入っていくだけの心や体の成熟が不十分な子どもがいても良いはずです。小学校によっても異なりますが、目新しい小学校から子どもが受ける辛さが子どもの心の成熟度では解決できない場合、子どもは入学当初から学校に通うことを嫌がっても良いはずです。そのような子どもは幼稚園にも行きづらくて、無理をして通園をしていた場合が多いですから、わかりやすいと思います。時には一見幼稚園には元気で通園していても、小学校という新しい子どもの集団には行きづらくなると言う場合もあります。

 入学当初から学校に行き渋る子どもの中には、幼稚園で既に心に傷を受けていて(幼稚園でのしつけや管理が厳しくなっている)、既に幼稚園でも通園ができないか難しくなっていた子どもがいます。幼稚園に通園していても、無理をして通園していたのです。そこで新しい小学校に通うようになると、小学校には新奇刺激という新しい辛さの刺激を受けることになります。それは辛さとして子どもに表現されますから、幼稚園、その延長での学校で疼く心の傷の辛さに、この新奇刺激の辛さが加重されて、子どもは学校に行こうとしなくなります。この場合新奇刺激は時間とともに消失します。また、幼稚園やその延長上の小学校で疼く心の傷は一般的に浅い(傷つけた力が弱いし、傷が疼いていた時間が短い)ですから、ちょっとした喜びで癒され、治癒してしまいます。

この二つの場合とも、子どもの学校に行きづらいという問題は時間が解決してくれます。それも一般的に長い時間を要しません。またちょっとした喜び刺激を学校で感じたなら、その喜び刺激の方が学校から受ける辛さよりも大きくなりますから、子どもは問題なく小学校に通えるようになります。その喜び刺激として、子どもは本能として同年代の子どもの集団が好きですし、新しいことを知る喜びも持っています。これらの喜びが学校から受ける辛さよりすぐに大きくなって、子どもを無理に学校に連れて行かなくても、子どもは自然と自分から学校に行くようになります。親や教師を含めて周りの人が尽力しなければならないことは、子どもを学校に行かそうとするのではなくて、学校の中でその子どもなりに子どもの集団に加われるとか、新しい知識を得られると言うような、楽しい思いを与えてあげることです。

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