office
More プロフィール

Search

Calendar

<< 2008/05 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

トップページ

Doctors Blog

ブログの購読

新着コメント

新着トラックバック

2008.05.26 19:41 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  office  | 推薦数 : 0

不登校を生きたとしてとらえることについて

不登校を生き方としてとらえることについて

 不登校のとらえ方は不登校の子どもの立場からのとらえ方、不登校の子どもの親の立場からのとらえ方、学校や行政の立場からのとらえ方で異なっています。不登校の子どもの立場とは、現に不登校問題で苦しんでいる子どもの立場です。不登校の子どもの親の立場とは、現実に学校に行かないで目の前にいる自分の子どもに学校に行って欲しい、社会に出て働いて欲しいと願う親の立場です。学校や行政の立場とは、現存する学校には問題点がなくて、不登校をする子どもに問題があり、その不登校をする子どもを学校に行かそうとしないその親に問題を見つけ出そうとする学校や行政の立場です。

 子どもが登校拒否・不登校の状態になったとき、子どもは学校見たり意識すると辛いから、学校に行こうとしても体が拒否をしていますから、子どもは学校に行こうとしなくなります。親が登校拒否・不登校の状態の子どもを学校に行かせようとしても、子どもは学校に行けません。そのようなときでさえ、登校拒否・不登校状態の子どもは学校には行かなければならない、勉強をしなくてはならない、友達と遊びたいと願っています。しかしそれらの願いとは逆に、学校を思い出すと、勉強を思い出すと、友達を思い出すと、体の奥底から理由のわからない辛さがわき出してきて、登校拒否・不登校状態の子どもは学校を拒否せざるを得なくなっています。

 不登校の子どもは不登校を選択したのではなくて、学校に行こうとしても辛くでどうにもできないから、やむを得ず不登校の状態になることで体の奥底から湧いてくる辛さから自分を守ろうとしています。不登校を自分の生き方としてとらえることはとてもできない状態です。登校拒否・不登校の子どもが学校に行けないのは、学校で疼く心の傷を受けたという事実があり、その心の傷が学校を見たり意識すると疼くから学校を拒否せざるを得ないのです。登校拒否・不登校の子どもは被害者であり、学校に行けないという状態について子どもには全く責任がありません。

 不登校状態だった子どもが学校に行かなくてもよい年齢に達しても、不登校をしていたときに受けた対応で心の傷が広がった、つまり子どもの周囲の人や物、場所について恐怖を感じ辛くなるような性格になっていた子どもは、いろいろな病気の症状を出して(医者にかかると病気と診断されますが、決して病気ではない。心の傷の症状である)苦しんでいて、自分の経験した不登校を、そして就職などの社会活動に参加できない現在の自分を、自分の生き方としてなかなか認めることができません。

 それでも親が今の自分をそのまま認めてくれるようになると、子どもの辛さがだんだん減少してきて、このような生き方もあると感じるようになります。不登校も肯定的にとらえられるようになります。学校の問題点を振り返って考えることができるようになります。そのような子どもは不登校の経験を、自分で選択した不登校だったと理解することも可能になります。

 子どもが不登校になったとき、親は子どもが学校に行こうとしないのは悪いことだとして、子どもが学校に行きたがっているのに行けないのはかわいそうだと思って、子どもを何とかして学校に行かそうとします。それが親の義務、親の優しさだと社会常識から考えています。子どもを学校に行かそうとする対応を続けていると子どもの状態がますます悪くなることから、親はいろいろな機関に相談したり、病院に連れて行ったりして子どもの不登校問題を解決しようとします。

 これらの親の対応は親が子どもを守りたいために取った対応ですが、子どもが不登校状態になった原因は子どもにありません。子どもは現在の学校が持つ歪んだ面の被害者です。その事実に気づかないで子どもを変えようとすることで不登校問題を解決しようとすると、子どもは暴れたり、いろいろな病気の症状を出して解決が見えなくなってしまいます。

 そこで親がそれまで取ってきた対応とは全く逆の対応、ありのままの子どもを認めて待つ対応を取ると、子どもの心の傷が癒えてきて、外見的には子どもが落ち着いてきて、子どもがその子どもなりに成長して生きていくこと親も実感できるようになります。子どもが学校に行かないで生きる生き方を親も認められるようになります。親は子どもの不登校を問題としてでなく、子どもの生き方として捉えて、ありのままの子どもの姿を認める意味を実感するようになります。親が子どもの不登校を子どもの生き方として認められるようになったときには、子どもがすでに義務教育を終わっている場合が多いです。

 現在社会の風潮は、子どもが学校に行かない特別の理由がない限り、子どもは学校に行かなければならないとなっています。不登校は子どもが学校に行かない特別の理由になっていません。不登校は現在社会では許されないのです。現在社会の風潮は、子どもの生き方として不登校を含めて、学校を利用しないで成長する生き方を認めようとはしていません。教師はは自分の学校や学級に現在社会で許されない不登校の子どもが出て欲しくないです。不登校の子どもが自分のクラスから出ることは、先生の授業の仕方が悪い、先生としての業績の汚点と判断するからです。

 学校も不登校の子どもが出ることで、学校の問題点をつつかれるのを嫌がります。子どもに問題点を探して、どんな形でも学校に来させようとしています。政府も不登校の子どもが増えることで国民から教育行政の問題点を責められるのを嫌がります。不登校問題が社会問題として大きく取り上げられるのを嫌がっています。教育行政がうまくいっていることを国民へ訴えたいのに、その足かせになるからです。政府は不登校を子どもやその親の責任にして、国民から責められたくないので、見かけ上の不登校の子どもの数を減らすために多くの予算を費やしています。当然不登校問題の本質を突いていないので効果が出ていません。それだけ無駄なお金を費やすなら、学校に行けない子どもたちが子どもたちらしく過ごす(決して学校に戻す対応をしていない)子どもたちの居場所にお金をかけてくれる方が不登校の子どもたちやその親にはありがたいです。

固定リンク | コメント (0)