| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
| 29 | 30 | 31 |
顕在意識という概念は認識という概念と密接な関係があります。受けた刺激とその分析、その刺激についての反応とその分析、呼び起こされた記憶(一時記憶や陳述記憶)、その記憶の分析と加工、その結果の分析、それらを認識することが顕在意識です。
認識とは、認識する対象について注視する仕組みが働いている状態です。視覚についての注視の仕組みは、現在でもかなり解明されてきています。それとほぼ同じ注視の仕組みが他の感覚や記憶内容について行われていると考えられます。注視すると、その注視した対象について、陳述記憶から必要な記憶が呼び起こされて、その記憶についての反応の仕方、反応の結果が陳述記憶から呼び起こされて、それらが情動評価されて、それらのうちで一番接近系の機能が高いものが選び出されます。そして反応が必要な場合には、その選択された反応が、運動連合野(反応の心)の中の具体的な反応の仕方の情報により、運動野から実際に行われます。
注視の仕組みの大本は大脳辺縁系の前部にあります。注視をするためには大脳辺縁系の前部がしきりと活動をしなくてはなりません。その大脳辺縁系前部からの情報は眼科常会を経て前頭前野にあるそれぞれに相当する概念が選択され、それぞれの概念について遂時陳述記憶が呼び起こされて、記憶していた陳述記憶(思い出した知識)について注目をすることになります。。または、受けた情報を感覚連合野(知識の心)で処理されて前頭前野に作られた概念が選択されて、そのとき受けていた刺激についての情報を認識することになります。認識とはとても複雑な陳述記憶の思い出し方、受けた刺激の情報の処理の仕方と考えられます。類人猿では陳述記憶を注視するという形での認識は行っていないけれど、受けた刺激が情報処理されてできた概念に注視するという形の認識は行っているように思われます。
顕在意識とは自己の概念とこの認識とが組み合わされたものだと考えられます。すなわち自己という概念ができあがっていると、自己という概念に注目することができます。陳述記憶に注目している自己、受けた刺激を情報処理してできた概念に注目している自己、その結果生じている情動を感じ取って生じたに注目している自己、この自己に注目したときが顕在意識(明瞭な意識が働いている)の状態であり、顕在意識という概念を持っている人は、自分が意識的な活動をしていると反応することになります。人間では言葉を介して「意識をしている」と表現することが可能になります。
人間の脳内における自己という概念は他のものの概念と違った概念のようです。自己という概念以外の概念は、前頭前野におけるその概念に相当するいくつかの概念細胞から成り立っていますが、自己という概念は自己という概念と、自己に関するあらゆる陳述記憶、その瞬間瞬間に体中に受ける刺激の感覚情報から励起される感覚情報の概念、そしてその瞬間瞬間に生じている情報を統合したもののようです。自己という概念についての論文は日経サイエンス「」にその一部が書かれています。
最後に脳内での統合について触れておきます。テレビではある短い時間についての点の集まりを一つの画面として人間を含めて動物は反応をします。つまり脳内では瞬間瞬間ごとに一つずつ関係する前頭前野にある概念細胞が励起されて、それを構成する陳述記憶が呼び起こされます。ある瞬間にはある概念細胞が励起されてそれを構成する感覚連合野(知識の心)にある情報(神経細胞のネットワーク)が励起されます。次の瞬間には同一の、または別の概念細胞が励起されて、それを構成する情報が励起されます。また次の瞬間にはというように、時系列に概念細胞がそしてそれを構成する情報が励起されていくことが脳内での情報の統合になっています。そして時系列に概念細胞が励起されていく仕組みも前頭前野に一つの概念として存在していて、その時系列にどのような概念細胞が励起されていくかという概念を選択するのも情動のようです。
大脳新皮質で生じる顕在意識は次の条件が備わっていなければならない。
1)大脳新皮質の神経細胞がネットワークの機能を持っている
2)脳幹の網様体賦活系からの刺激が届いている
3)視床との刺激が届いている
1)の神経細胞がネットワークの機能をしないと、情報処理ができないことになります。神経細胞に与えられた情報処理するべき情報を持っていないということになります。
2)脳幹の網様体賦活系からの刺激がないということは、大脳新皮質が機能するためのスイッチが入っていないことになります。網様体賦活系からの刺激が存在している状態で、大脳新皮質の神経細胞は機能が可能です。ですからこの網様体賦活系が機能しない状態が脳死の状態になります。
3)大脳新皮質の神経細胞は同一情報を一緒に処理するほかの神経細胞と、情報を並列処理をします。その情報の並立処理には、処理を始め、処理を終わらすタイミングが必要です。それが視床からの情報です。また、すべての感覚情報は視床を経由していますから、感覚情報を処理するためには、視床が機能していなければなりません。
顕在意識を知るには、日経メディカル2007年8月号の62ページ植物状態の意識を探るがいろいろな情報を私たちに与えてくれます。その論文から得られるものを書き出してみます。
植物状態とは、その反応の仕方が植物状態と表現される状態ですが、その脳がダメージを受けていない部分は機能をしていることです。ダメージを受けた部分とは、前頭前野、感覚連合野であり、この領域では神経細胞の活動が行われていないことがPETからわかります。ただし神経細胞の活動が行われていないということは、神経細胞が破壊されたという意味ではなくて(その場合もあるでしょうが、その場合には回復が不可能)、その神経細胞を機能させる刺激が来なくなっているという意味でしょう。
外見からでは植物状態と判断される状態でも、ダメージを受けた部分が回復して機能をし始めた状態が、最小意識状態になります。その際に、神経細胞のネットワーク自体が壊れていたら、神経細胞が機能しだしても今までとは異なる情報処理をしてしまうでしょうから、きっと網様体賦活系からの刺激が届くようになった、視床からの刺激が届くようになったという意味でしょう。つまり網様体賦活系から投射される神経繊維、視床から投射される神経繊維の結合が回復した、神経繊維が再生したことを指しています。
外見では植物状態でも、脳内では情報が処理されている、つまり覚醒をしている部分がありますが、植物状態、最小意識状態では、全体として脳が機能していないのです。つまり脳内では情報処理している部分のその先で情報処理が行われていないから、外から見たら、脳内で何も情報を処理していないように見えるのです。
その脳内のどこでどの程度まで情報処理をされているのかをみたのが、前回の意識レベルです。意識レベルとは脳内のどの部分が覚醒して機能をしているかをみたのであり、脳全体の覚醒の程度をみたのではないです。覚醒して機能をしている脳の部分が脳幹に近いほど意識レベルは低いと考えられているようです。
意識という言葉には、意識レベルという意味の意識と、顕在意識という意味の意識とがあります。
意識レベルという意味では臨床的に3-3-9度方式(Japan Coma Scale)があります。
3-3-9度方式(Japan Coma Scale)
Grade Ⅰ刺激しないでも覚醒している
1 一見、意識清明のようであるが、今ひとつどこかぼんやりしていて、意識清明とは言えない。
2 見当識障害(時・場所・人)がある。
3 名前・生年月日が言えない・
Grade Ⅱ刺激で覚醒する
10 普通の呼びかけて容易に開眼する。
20 大声または体をゆさぶることで開眼する。
30 痛み刺激を加えつつ、呼びかけを繰り返すと、かろうじて開眼する。
Grade Ⅲ刺激しても覚醒しない
100 痛み刺激を払いのけるような動作をする。
200 痛み刺激で少し手足を動かしたり顔をしかめる。
300 痛み刺激に反応しない。
意識レベルを3つのグレード・3つの段階に分類され、カルテには100-I、20-RIなどと記載。
(R)Restlessness(不穏状態)
(I)Icotinence(失禁)
(A)Akinetic mutism(無動性無言)、Apallic Statre(失外套症候群)
意識レベルという意味では
脳幹が機能しなくなっているという状態が脳死です。
脳幹が機能していても大脳が機能していない場合が植物状態です。簡単な脳幹の反射の機能が残って居る場合です。
大脳の機能が落ちているとき、その場所が主として前頭葉の場合がGrade1の要素になっているのではないかと思います。
大脳の機能が落ちていても、側頭葉と大脳辺縁系の機能がある程度残っている場合がGrade2の要素のようです。
大脳新皮質の機能が落ちているが大脳辺縁系の機能がある程度残っている場合がGrade3の要素の要素のようです。