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子どもの方で大人の思いに子どもの心を合わせる余裕が無くなると、子どもは大人の思いを受け入れて行動しようとしてもできなくなります。大人の思いとは違った行動をするようになります。それは大人から見た問題行動になります。子どもが問題行動をしたと大人が判断したときには、大人はその子どもの問題行動を正そうとします。正そうとするという意味は、大人の思い通りに子どもを動かそうとすることです。
しかし子どもは大人の思い通りに動く余裕がありません。大人の思い通りに動けない子どもに、大人が大人の思う通りに動くようにと要求しても、子どもはやはり大人の思う通りには動けません。多くの場合大人は大人の思い通りに動かない子どもを、恐怖を用いて子どもを動かそうとします。すると子どもは大人の思い通りには動けないけれど、恐怖を回避するために無理をして動きます。その子どもが恐怖を回避するために動いた姿を大人が見て、大人は正しいことをした、子どもはきちんと大人の思い通りに動けると判断します。
けれど子どもは恐怖が無くなると大人の思い通りには動けなくなります。それどころか大人から受けた恐怖でますます辛くなり、ますます余裕が無くなって、ますます大人の思い通りには動けなくなります。大人はその子どもに正すべき問題があるから、大人の思い通りその子どもは動かないと判断するようになります。大人の思いと子どもの行動との間に悪循環を生じるようになります。
子どもと大人との間にしっかりとした信頼関係ができている場合には別ですが、多くの場合大人が見る子どもの姿は、大人の思いに子どもが自分自身を合わせて行動している(後に述べるよい子を演じている)姿か、大人の思いに子ども自身を合わせられなくなったための問題行動です。どちらにしても子ども自身の本当の姿ではないです。それなのに多くの大人は、大人の思いを受け入れて大人の思いに沿って行動する子どもを見て、子どもの心理を理解できたと主張しています。それが大人の間での常識になっています。
しかし、子どもとしっかりとした信頼関係のある大人の前での子どもの姿、辛くて余裕がないときの子どもの姿、子ども達だけでいるときの子どもの姿、子ども一人でいるときの子どもの姿は、この大人の間で常識となっている子どもの姿とは大きく異なります。子ども本来の姿や心理は、大人が持っている常識とは大きく異なります。大人から見たら非常識な心理が子どもの本当の心理になっています。子どもの心理を知りたいなら、私たちは大人が持っている常識を捨てて、子どもの姿を素直に見て考える必要があります。
その非常識な子どもの心理として、大人の思いを子どもに伝える場合を考えてみます。多くの大人は言葉で子どもに大人の思いを伝えようとします。年長の子どもでは、言葉の上で大人の思いを理解できますが、その大人の思いで行動することはできません。幼い子どもでは、言葉の上でも大人の思いを理解することができません。子どもは言葉で伝えられた大人の思い通りに行動できません。
もし、子どもが大人の思い通りの行動をしたとしたなら、そのとき子どもは大人の言葉と一緒に何かの喜びか、何かの恐怖を感じ取ったからです。その喜びとか恐怖を代償にして、子どもは大人の言葉通りに行動をしています。つまり、子どもは大人からの言葉を聞いたときに、子どもの心が作る情動(刺激を受けたとき体中に表現する反応の仕方。一種の感情)から行動をすることに、大人は気づく必要があります。