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トヨタのリコール問題、まだまだ続きそうですが、今日面白い記事を見つけた。
アメリカ下院公聴会で、泣きながら「トヨタよ!恥を知れ!!」と罵ったオバさんの、問題となったレクサスのその後・・・
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022501000403.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
レクサス、「急加速」なく使用 現在の所有者に確認
【ニューヨーク共同】23日の米下院公聴会で恐怖の「急加速」体験が披露されたトヨタ自動車の「レクサスES350」が、目立ったトラブルもなく現在も使用されていることが24日分かった。米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が伝えた。
米道路交通安全局(NHTSA)が現在の所有者に確認したところ、3千マイルの走行距離で購入後、2万7千マイルに達したがこれまでに大きいトラブルを起こしていないという。
23日の下院公聴会に出席した米テネシー州に住むスミス夫妻は、保有していたレクサスES350を2006年に運転中、車が勝手に加速して時速160キロに達する恐怖の体験をしたと涙ながらに証言。この経験の後で車は売却したという。
2010/02/25 12:17 【共同通信】
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まあ、きっと、トヨタももう少し運転がヘタな人にも問題が起きないようなセッティングをすべきだっただろうし、確かに対応も機敏にすべきだったかもしれないし、はたまた政治ショーにトヨタがはまってしまった、という側面もあるだろう。
でも、
1)他の人が運転したら、問題は起きなかった??
2)問題が起きたクルマを、何と廃車にせず売り払った??
のに、トヨタが一方的に悪いのかなぁ???
問題を認識しながらクルマを売っぱらったこのオバさんの神経たるや、なかなか見上げたものだけど・・・。
また、他の人が運転して問題が無いのなら、科学的にはかなり個人の問題の可能性が高いんだけどね。
このオバさん、自分の事を反省しないのかなぁ・・・。
科学的に分析無く、情緒的に報道されると、もうどうしようも無いのね。
う〜ん・・・、自動車メーカーにとっても、被害者様が一番怖いんだ、ということが分かりました。
ちゃんちゃん!
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今回より、数回の連続もので私なりに現在の医療崩壊に至った原因、特に他のブロガー先生方とは少し違った視点から考察する。
私がここで特に考察を加えたいのは、ズバリ「医局制度の功罪」について。
特に、その「功」の部分をしっかりと分析しなければならない。
何故なら、盲目的に「医局=悪」という、白い巨塔的紋切り型の観点から医局制度破壊を徹底的に行った結果、現在の荒廃しきった医療に至ってしまったことは、明らかだからだ。
従って医局制度の分析無しに、現在の医療崩壊へ至った原因を分析できないであろう、という想いからだ。
第一回目の今回は、「医局制度と官僚制度の類似点」について、ここにまとめておく。
まずは、勤務医の待遇に関する、J-CASTの記事を見て頂きたい。
http://www.j-cast.com/2008/11/02029634.html
勤務医がいかに待遇が悪いか、についてここに報道されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(前略)
国立がんセンター中央病院の土屋了介病院長は「東洋経済」2008年11月1日特大号で、常勤医師の給与の実態を明かしている。
「彼らにはボーナスはありますが、超過勤務手当てをほとんどもらっていない。一律、月に数万円程度です。看護師の場合、業務命令の超過勤務に関しては100%支払われます。検査技師も実働の70%くらいは払われています。ところが、医師については実働の数%程度。予算が余った分を医師に機械的に割り振っています」
(後略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
医師の世界を知らない方々は、看護師や検査技師には正当な時間外手当が支払われるにも関わらず、なぜ勤務医については「予算が余った分」しか割り当てられないのか、説明できるだろうか?
ここに、実は医局制度を理解するための大きなヒントがある。
どの病院でも本来、人件費は非常に大きなコストである。
看護師、検査技師と比較して、医師は給与のベースが高い。
一方で看護師、検査技師には医局は無い。そのため一度雇い入れると、簡単に退職させることはできない(看護師は女性が多いため、勤続年数がさほど延びないが、勤続数十年という看護師長クラスになると、びっくりするような給料をもらっているのは、周知の事実である)。
従ってコストカットには、医師をターゲットする方が簡単なのだ。
言い換えれば、病院と医局は、色々な面で利害が一致する、ということである。まとめると、以下のようになる。
(1)医局人事により、医師は数年ごとに病院を変わることが普通である。従って病院としては、通常勤続年数が短く、退職金が少額で済む。
(2)病院の立場からすれば、腕が良く患者受けがいい医師はドル箱であるが、一方で横柄な態度を取る医師、患者やコメディカルとトラブルを起こす医師、腕の悪い医師は、できるだけいて欲しくない。独自に採用してしまうと、このような医師が紛れ込む可能性があり、その場合一度採用してしまうと退職させることが容易では無い。一方医局人事の場合は、仮に好ましくない医師が来ても数年でいなくなるし、教授へ「お願い」することで他の医者へ変えてもらえるので、リスクがヘッジできる。医局へ多少の寄附をしても、リスクヘッジができるなら高くない、という判断となる。
(3)少々医師の待遇が悪くても、勤めている医師本人は愚痴っている間に他の病院へ転出する。また医師の側も、「次は給料のいいところへ回してもらえる」ことを教授が約束してくれるなら、「若いうちはこれも勉強だ」と自分に言い聞かせ、我慢することができる。
以上が、病院側、そして病院へ派遣された医師側から見たときの、心の動きである。
一方、医局へ所属している医師側の観点から考えたらどうなるか?
大学は一般に驚くほど給料は安い。
でも医局全盛期は、医局が本丸であり、関連病院は下野だと考える医師も多かった。
一般の方からすると、これは首をかしげたくなることだ、と思わないだろうか。「なぜ、待遇の悪い大学で医者をしたがるの?」
実はそこには、ある種の暗黙の了解があった。
「今は忙しくて給料は安いが、頑張れば将来きっといいことがある! 今はそのために頑張るんだ!」
今は少し変わってしまったかもしれないが、私が医者になった頃は、「基幹病院の院長、副院長、部長クラスになるためには、大学で助教授、講師クラスの経験が必要」ということだ。
ちょっとしたサイズの医局なら、毎年5〜10名以上が入局した。
しかし教授になるのは、その中で15〜20年にひとり。
その次が関連病院の院長、副院長、部長。
家に事情がある場合、大学で余り頑張りたくない場合は開業。
これって、何かに似ていませんか?
そう、官僚の「天下り」と同じ考え方なのである。
つまり、若い時代に薄給でも、どんなに忙しくても頑張る。
これを支えて来たのは、もちろん、医師としての使命感もあるだろう。科学者としての好奇心もあるはずだ。
しかし人間、いつまでもその状態で満足できる訳はない。
60代になって、月に5〜6回の当直、救急患者への対応、その上に安い給料なのであれば、誰もそんな仕事はやらないだろう。
「将来、良い職場へ天下れるかもしれない」という期待感。
これがあるから、劣悪な環境でも、若いうちに頑張ろうと思うのだ。
田舎へ派遣されても、「数年間は頑張ろう」と思えるのだ。
この期待感が、医局に所属する医師を支えて来たのだ。
だからみんな教授の言うことを聞いて来たのだ。
私は天下りを盲目的に是認するという訳ではない。
しかし私はリアリストなので、必要悪については、その価値をしっかり認めたい。
それがダメだというのであれば、天下りに変わる、人生を掛けるだけの価値観を与えなければならない。
読売新聞の薄っぺらな提言がダメダメなのは、「医師を計画的に配置」しても、医師はこれまで通りに働くのだ、と勘違いしているからだ。
夢がない職場で、「自分はこの先どうなるのだろう・・・」と心配しながら、生き生きと働ける訳がないではないか!
こんなつまらん提言に比べたら、官僚の天下りの方がよっぽどマシだ!
そして医師へ夢と希望を与えるシステムとして、医局制度は今なお、必要悪としての意義があるのではないか?
次回に続く!
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週末、学会に参加した際、医療事故調についてのセッションがありました。都内某病院の学会長始め、有識者の皆様のセッションでした。
終わりの方から聞いただけですが、そこでの議論は「小さく産んで、大きく育てる」、つまり、まず導入することが大事。それから理想的な形へ発展させるのだ、という論調でした。
・・・
オレ様・・・
・・・
なんがかなぁ・・・
です。
事故調導入推進派の皆様の論点は、「これを導入しないと、国民に理解を得られない」ということ。
オレ様もこの時代、そう思います。
ただし、厚労省第3次試案では、ダメなのです。
既に医師ブロガーの皆さんが、問題点は指摘し尽くしています。
このままの仕組みでは、皆が納得できる事故調査にはならず、事故調が駆け込み寺になってしまい、「怨みの連鎖」になるからです。
重要なのは、何のために事故調が必要なのか、ということ。
わかりきったことですが、それは医療事故を「個人の問題」としてではなく、「システムの問題」である、とすることです。
そしてシステムとして、次の事故を未然に防ぐことに繋げなければならないのです。
現在の第3次試案の問題は、「刑事告発に使用できるシステムである」ところであり、魔女狩りの現場として利用される危険性が高いこと。まずこの一点に尽きます。
事故調の対象として、「故意、診療録改ざん」は、もちろん処罰対象にならなければなりません。
しかし問題なのは「重度の過失」。
これを医学的に、そして司法の観点から、明確にすることは極めて専門性が高く、また一つの治療方針をとっても、個々の医師でも見解が分かれる内容も沢山あります。
にも関わらず、俎上に乗った医師への罪状を根拠づけるため、「エビデンス」や「ガイドライン」が使用されることは、間違いありません。
ここが問題であり、これを支持するのは、間違いなく「医師の代表」なのです。
医学とは、むしろ見解が分かれながら、症例が積み重ねられ、「この方法が良いのではないか?」という仮説が提唱される。
そして前向き試験が行われれ、その仮説が証明、あるいは棄却される。
このようにしてエビデンスが蓄積されていくのが、医学・医療のの正しい進歩です。
しかしエビデンスが確立した疾患は、実は差ほど多くありません。
手術中に高度な判断を迫られる状況において、例えば大野病院事件のような状況において、何が正しいのかなど、決められるようなレベルではないのです。
さらには、エビデンスという概念を創始したカナダMcMaster大学のGordon Guyattについては以前詳細に紹介しましたが、
http://blog.m3.com/ore_sama/20070710/_EBM_
彼によれば、
「1)エビデンスの医療現場での適応には、「Clinical Expertise(医師の経験・能力)」と「Patient Preference(患者の価値観)」が統合されなければならない。従って、エビデンスの適応において、医師の経験に基づく自己裁量は重要な位置を占める」
なのです。
もうお解りでしょう。
現在の事故調試案における最大の問題点は、「現場の医師の自己裁量について、思わしくない場合に、このようなエビデンスなどの「(偏った)常識」を判断基準にして結果責任を問い、さらに刑事告発までできるシステムになっていること」。
これが問題であるため、受け入れることができないなのです。
この意味から、多くの医師は、この第3次試案に反対していますし、私も全く同意見です。
しかし一方で、学会の上層部や医師会は、現状のまま受け入れる方向で議論が進んでいます。
これは、空恐ろしいことだと思います。
我々医師を背後から狙い撃ちするのは、身内のはずの「医師代表」なのかもしれません。
マスコミに吊し上げにあっている医師は、一体何を信じればいいのでしょうか?
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前回の続きは、取りあえずこの次に。
今日のテレビの朝の番組は、「すわぁ、いよいよ東京でもたらい回し! 受け入れ拒否!」
もう聞き飽きましたけど・・・。
行政とマスコミに聞きたい。
「あなた方の主張は、医師偏在が医療崩壊の原因だ!!」
ではなかったの??
日本で一番医者が集まっているはずの東京で、まだ「偏在のために医師が少ない」の?
そして、こんな状況にしたのは、
医者? 医療従事者? 病院? 医師会? 医療界??
受け入れたくても、患者で一杯で医者の手が足りない・・・。受け入れたくてもベッドがない・・・。
これこそが「医療費抑制政策」、「効率至上主義」の末路だということが、まだ判らない?
ベッド稼働率、3:1看護うんぬん・・・。
そんなことで医療界を締め付けて来たために、ギリギリの運営を強いてきたために、こんな結果を招いたんだと判らない?
無理して重大な疾患・合併症を持つ妊婦を引き受けて、結果が思わしくなかったら有無も言わさず「刑事訴追」・・・。
そんな世の中だから、経験のある産婦人科医がいて、脳外科医や神経内科医がいて、看護スタッフがしっかり対応できて、そして緊急事態に対応できるベッドが空いているという「万全の体制」が取れない限り、重症な疾患を持つ妊婦は受け入れられない。
「そうじゃないと、これらの条件が全て整わないと、合併症を持つ妊婦受け入れは到底無理だ」、とする病院側の考えが判らない?
「たらい回し」の犯人にされた方が、「殺人者」と呼ばれて一生心にキズを持って生きていくより、いいもんね。
そのようにしてしまったのは、行政さんとマスコミさん、あなた方だと判らない??
今回のケース。
私が医者になった20年前だったら、そしてあの規模の病院であれば、恐らく責任感の強い産婦人科医がいて、脳外科のスタッフに至急対応依頼の連絡を取りつつ、他のベットを空けてでも、必死に対応していただろう。
必死に頑張っても助けられないかもしれない。
でも・・・。ほっとけば確実に死ぬ。
少しでも可能性があるのなら、自分は頑張る!
医者とは、90%以上は、そういうものなのです。
そのような志を、日本の医者はDNAとして先輩から受け継いで来たのです。
それを破壊したのは、
若い世代の医者と我々を分断したのは、
そして
我々の心を折ったのは、
ギリギリ瀬戸際の医療に近づかないように誘導操作したのは・・・。
そう、あなたなのですよ・・・。
行政さん!
そして、
マスコミさん!
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読売新聞が、医療改革への「提言」を載せた。
まあ、ひどいものだ。
・医師数を増やせ。
・介護を充実させよ。
・云々
はまあ良いとして、「自由選択を許したから医師不足になった!」というキャンペーンを張ろうとしている。
しかも世論操作付き。
繰り返して言うけど、
「職業選択の自由は、憲法で定められた権利なの!!」
「自由選択を許さないのは、北朝鮮他、独裁国家だけ!!」
もう少し色々なところで炎上しているかと思ったら、もうDoctor's Blogの先生方も呆れてしまっているのか、思ったより冷静である。
例えば、以下の記事。これはもう世論操作でしょう!
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20081016-OYT8T00215.htm?from=nwla
「医師不足招いた「自由選択」
(前略)
<米独では計画配置>
欧米では、医師の偏在を防ぐため、様々な規制が行われている。」
オレ様:へぇ、知らんかった・・・。
「フランスでは、国が地域や診療科ごとに必要な医師数を調査し、各病院の研修医の数を決めている。
医学生は、卒業時に国の試験を受け、成績上位の学生から順に、希望する地域や診療科に進む。心臓外科などの専門診療科で研修できるのは、毎年5500~6000人いる卒業生の約半分だ。希望通りの分野や地域に進める学生は1000人程度。中でも放射線科などは狭き門だ。
研修医になる段階で定数が決められ、診療科の偏在は、ある程度なくすことができる。」
オレ様:これはアメリカでもあんまり変わらんわな・・・。
「ただ、研修が終われば働く病院を自由に選ぶことができる。パリや南仏などの病院は就職先として人気が高く、地域的な偏りは避けられない。パリ第5大学のパトリック・ベルシュ医学部長は「地域ごとにも、医師を強制的に配置する必要がある」と強調する。」
オレ様:ん? なんだ、あんまり実効性のない研修医のことか!
「地域ごとに、開業医の計画配置を実施しているのがドイツだ。
1993年、州ごとに人口当たりの医師定数を設けた。定員の110%を超える地域では、保険診療を行う保険医として開業することはできない。東京医科歯科大の岡嶋道夫名誉教授は「開業医の定員制は、医師の偏在を防ぐ一定の効果をもたらしている」と言う。」
オレ様:ほう?「一定の効果」ってどんな効果なんだろう? どうやって定量化してるのかな??
「ドイツ保険医協会のローランド・シュタール広報担当部長(40)は「93年以降、定数を変えておらず、旧東独地域では医師が足りない。『村』単位まで適正な医師数を出すよう、改定作業を進めている」と話す。」
オレ様:ん? なんだ、まだ試行錯誤か?? じゃあ、どうして「効果が出ている」って判断したんだ??
結局、少なくともヨーロッパでは「計画配置」はまだまだ完成していないじゃん!!
じゃ、アメリカは??・・・
「米国では、医療団体や市民らでつくる協議会が、心臓外科、脳外科など24の分野について、専門医になるための研修を行う病院を選定する。研修医1人当たりの症例実績が十分ある病院が対象で、募集枠の人数も実績に応じて決まる。この結果、特定の診療科や地域に医師が偏ることを防止できる。
例えば脳外科専門医は、米国は約3000人と、人口当たりの医師数で日本の約5分の1に制限されている。このため、一人の医師がこなす手術件数は、日本の医師の5倍に上り、医師の技量も向上する。」
オレ様:・・・あぁ〜・・・。「神の手」なんて言われている福島大先生がつい口走ったことを、そのままよく吟味もせずに取り上げて・・・。
しかもまた研修医の話・・・。
そもそも、この文章からどうして「この結果、特定の診療科や地域に医師が偏ることを防止できる。」と結論出来るのか、よく分からん。
オレ様の頭が悪いのか??
オレ様には読解力が無いのか??
皆さん、どう思いますか??
次回、もう少し飽きましたが、アメリカと日本の違いをもう一度検証します。
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akagama先生のブログに、大変興味深い記事があった。
「医師の人権」
以下、その抜粋。
その1:(産経新聞)
「効き目のある対策を忘れていないだろうか。それは医師法と医療法による医師規制である。たとえば、開業条件として数年間の地方勤務を医師に義務付けたり、医師が自分の診療科を自由に名乗れる自由標榜制に制限を加えて一部の診療科への集中を防いだりする。」
その2:(医師で作家の久坂部羊大先生)。
「すべては医師の自由を認め過ぎたせいだ。診療科選択の自由、病院開業の自由。それを放置して医師の数だけ増やしても無駄な医療が増えるばかりだ(出典不詳)」
・ ・・・・
よくも、まあ、こんなに傲慢な発言が出来るものだ。
あきれかえってものが言えない。
「医師法と医療法による医師規制」だと??
こんなもので医師を規制するのであれば、これらの法律は明らかに違憲ではないか?
産経新聞は、日本国憲法第22条第1項を知っているのか?
「日本国憲法第22条第1項:何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」
さて、では医師が自らの自由意志で偏在したり、診療科を自由に選択することが、「憲法で定めるところの公共の福祉に反するのか?」ということが論点だ。
先進国が定める憲法における「公共の福祉」について、産経新聞は法理論として明確に説明が出来るのか?
公共の福祉には(以下、Wikipediaから抜粋)、
1)「内在制約型(先進国における公共の福祉の概念)」
=「人権を自然不可侵の権利とみなす。国民の自由と人権を制限するのは他人の人権と本人の自主規制のみ。全体利益のためでも政治家が国民の人権を制限するのを禁止」
2)「外在制約型(北朝鮮など全体主義国家に見られる憲法人権保証規定)」
=「全体、公益、公秩序のために政治家が国民の人権を制限する法律を制定可能」
従って、akagama先生がご立腹のこれらの輩の言は、言うまでも無く「北朝鮮的医師の人権制限論者」なのだ。
こいつらは北朝鮮の回し者か?
あるいはとんでもない「無知」なのか?
あるいは気が狂っているのか?
いずれにせよ、このいずれかだ。
日本のマスコミ、言論人、評論家が全てとは言わないが、自らが無知であることを自省せず、このような余りにもバカげた理屈を垂れ流し、世論を惑わす連中は、社会の害悪でしかなく、akagama先生が言うように、「マスゴミ」と揶揄されて当然ではないか?
ふざけんじゃね〜!
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福島県立大野病院での「事件」について、無罪判決が下った。
既にm3の多くのブログでも取り上げられており、特段に追加して意見を述べるものでもないが、この事件関連の報道により、日本のマスコミのレベルの低さが改めて露呈されているので、私の健忘録として、このブログに書き留めておく。
遺族にはやり切れない気持ちが残り、そして加藤医師は安堵の表情だとの報道がほとんど。もちろんそうだろう。
それが真実であり、裁判とはそういうものだ。
しかし報道には「遺族の感情」にフォーカスを当てた論調が目立った。例えば以下の読売新聞。
-----------------
「なぜ事故が」…帝王切開死、専門的議論に遺族置き去り
8月20日13時4分配信 読売新聞
産科医不足を加速させたとして医療界が注目した「大野病院事件」に、無罪の司法判断が下った。
(中略)
「何が起きたのかを知りたい」という思いで、2007年1月から08年5月まで14回の公判を欠かさず傍聴した。証人として法廷にも立ち、「とにかく真実を知りたい」と訴えた。「大野病院でなければ、亡くさずにすんだ命」と思える。公判は医療を巡る専門的な議論が中心で、遺族が置き去りにされたような思いがある。
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この一節を見るだけで、「この記事を書いた記者、あなたは中学校から勉強をやり直しなさい!」と言わねばならない。
それはなぜか?
この記事を書いた記者は、「法治国家」という概念を理解していないからだ。
「法治国家」における刑事事件では、被告に罪状を確定するためには、法の下で判断しなければならない。
誤解を恐れずに言えば、「法治国家では、刑事事件の最大の判断基準は法律(特に刑法)と判例であり、遺族の感情を司法判断に組み込んではならない」のだ。
もちろん司法判断には「情状酌量」というものがある。
これは罪状について被告人が十分に反省と謝罪の意思がある場合、「減刑」が目的となる。
法治国家では、刑罰確定するために、そして刑罰のレベルを上げるために「感情」という基準が使われることは無いのだ。
これはなぜか?
法治国家では、「法は人間が定め、罪状は人間が判断するものであり、それは不確かなものである」ことが前提となっているからだ。法律は未完成のルールであり、社会状況が変化するにつれ、改定されなければならない。しかしいくら不合理なこととはいえ、事件が起こった時点で法律が裁く条文がない場合、あるいは裁く法律そのものがない場合は、少なくとも法治国家では罪状を付けることはできない。
法律を改定することで、「次には起こらないようにする」ことが前提。
また余談だが、法律が改定されても、今の法律でその成立前の昔の事件を裁くことはできない。これは事後法不適応の原則ということだ。
以上が法治国家での大原則である。
つまり言い換えれば、被告人に罪状を確定するには、必ず法の条文に触れる証拠が存在しなければならない。「情」という不確かなことを根拠に、人を罰してはならないのだ。
これを象徴する言葉が、「疑わしきは、罰せず」なのだ。
大野病院事件の場合は、剥離を続けるという加藤医師の判断が医師の裁量権の範囲か否かが一つの大きな論点にされた。
これは極めて専門的な内容であり、裁判の過程では当然論点であるべきである。
「公判は医療を巡る専門的な議論が中心で・・・」という報道であるが、「そんなもん、あったりまえじゃね〜か」なのだ。
そして、「遺族が置き去りにされた」という表現は、極めて作為的な文章であり、これは「遺族の感情は十分に理解されたが、それと刑事事件における司法判断は別物である」とされるべきである。
この大野病院事件での報道によく似たレトリックは、例えばA級戦犯への報道、太平洋戦争を「侵略戦争」とする報道、従軍慰安婦に関する報道などにも、頻繁に出てくる。
かいつまんで言えば、「道義的責任」と「被害者の感情」いう表現だ。
もちろん道義的に責任を感じることはあってよいし、それは人間として当然持つべき感情である。
しかし道義的責任と法理論を混同してはならない。
道義的責任では、断罪はできないからだ。つまり道義的責任は、感情に属するものであり、これを争うには民事事件でなければならない。それは「感情」を元にしたものであるからだ。
このようなもので罪状を付けられるのであれば、全ての民事事件は全て刑事事件になってしまう。
かつて東京裁判の際、構成メンバーであったインドのパール判事は、「日本無罪論」という本を出している。
高潔な法律家であったパール判事は、当時の国際法に基づき、日本は無罪であることを法理論として論証した。
なぜなら、現在でも戦争は外交の最終手段として国際法上認められている行為であり、当時は植民地支配は欧米列強が推進していた「合法的行為」であり、さらに「戦勝国による敗戦国の裁き」である東京裁判の法的根拠が極めてあいまいだったからだ。
これに対し、「パール判事は日本の戦争を侵略だと思っていた」という本も、最近散見される。
高潔なパール判事にとって、確かに日本の中国進出は、侵略戦争と写ったかもしれない。
しかし仮にそれが正しかったにしても。そのパール判事の「感情」と、国際法学者としての彼の「プロ意識」は、全く別物であるということだ。
これが本当のプロである。
何者にも代え難い家族を失った遺族の心中は、察しても余りある。
しかしこの遺族の感情を、「被告人の罪状確定」のために司法の場に持ち込むことは、決して行ってはならないのだ。
あくまで法と判例に照らして司法判断を行わなければならない。
それが法治国家なのである。
様々な圧力があったであろうこの裁判を担当なさった判事には、その高潔なプロ意識に対し心より敬意を表したい。
そして、遺族の感情をあえて必要以上にあぶり出し、「医師・医療界 vs. 医療被害者」という構図を無理矢理つくることにより、医療不信を増幅させている各報道機関については、猛省を促したい。
本日は以上!
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(続編)
前回の解説版になります。
私が何が言いたいのか・・・。そこをもう少し具体的に書きます。
m3にも多くの先生方が色々な医療崩壊についてお書きです。
基本的に戦術論が大多数を占めるのですが、その中に、この医療崩壊における最大の問題の本質が隠されています。
それは・・・・
「心が折れる」
・・・・・・・・・・
オレ様は、実はこの言葉が最も重要であり、早く手当をしないととんでもない時代になると危惧しているのです。
私はマンガを良く読むのですが、私の好きなものの中に、かわぐちかいじ氏の「沈黙の艦隊」というものがあります。
独立国を名乗り、核兵器をちらつかせながら国連・ニューヨークへ向かう原子力潜水艦「やまと」。
対応に苦悩する合衆国大統領ベネットは、自分が最も信頼するネーサン所長を呼び、その進言へ耳を傾けます。
そこでネーサンが言った言葉・・・。
「ベネット、この国の財産はスピリットだ。スピリットが二流になれば超大国アメリカはすぐさま二流国に成り下がる。一度滑り落ちたら、取り返すには100年は掛かるぞ!」
私の意見は、まさにこの言葉に集約されています。
世界一の医療制度を支えているという誇りをもってきた医師が、医療従事者が、一度その誇りを失えば、取り返すには100年掛かるのです。
そこにいくら資金ばかり投入しても、その投資効果は現れてこないのです。
私は医学部を卒業し、医局に入局したとき、現在は御退官なさった私のボスは私に向かってこう言いました。
「この歴史と伝統のある医局に入るということがどういうことか判っているか? ここは医者を作るのではない。医者の先頭に立ち、医者をリードしていくリーダーを創っていく。私はそのようにあなたたちを教育する。」
「外科医とは、合法的に人を切ることで病気を治療する。世界広しとはいえ、法律で護られながら人を傷つけることを許されているのは、医師、そして外科医だけだ。その崇高な意味をしっかり考えて、謙虚かつ真摯に研鑽するように。」
外科の世界に踏み込み、そして最初にこのような言葉を投げかけられた私も、私の同期も、外科医をしての「誇り」を胸にしたものです。
(今では、人権派を自認する法律家により、医師は護られていないようですが!)
「心が折れ」、「誇りを失った」医師を量産したところで、そしてそこにいくら投資をしたところで、その投資効果はほとんど得られないでしょう。
既に歴史が浅い介護士は、その重労働、低賃金、そして認められないやるせなさのため、その心を折られてしまい、サポタージュしているのが現状です。
そしてそれは、医師、看護師にも始まっています。
小泉政権以来の「聖域なき構造改革」の美名にもと、自民党とマスコミは、国の型を形成する、そして聖域として護らなければならなかった重要な要素「医療・社会保障」に荒々しく手を突っ込み、掻き乱していった結果が、この医療崩壊なのです。
しかしこれは大きく制度を変えて行くチャンスにしなければなりません。
政治家、官僚、そして医療界は、しっかりとしたグランドデザインを描き、今後100年も世界一で有り続ける輝かしい医療制度を設計するべきなのです。
本日ここまで!
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私は政治的発言は控えていますが、ガマンできなくなったので、あえて申し上げます。
「自民党・公明党は一度野へ下らなければならない」
何故なら、(衆議院で2/3も持つような)「絶対的権力は絶対的に腐敗する」からです。
ここまで医療界を追い詰めておきながら、出てくる案は、「予算はどうした・・・」、「社会保障財源は消費税アップで・・・」などなど。
あきれかえってものが言えません。
予算では、医療崩壊は救えません。
お金は確かに問題ですが、お金が「根本的な」問題ですか?
「医師を増やす」、「診療報酬の減額をストップする」などは、確かに重要なポイントですが、これらはあくまでも「戦術論」であり、この国の医療崩壊を減速させることは出来ても、V字回復することは出来ません。
研修医制度や後期高齢者医療制度など、つまらない小手先のことばかりやっているのが、この国の政治家、特に与党のレベルなのです。
従ってこのままでは、やがてはこの国の医療は、完全に荒廃していくことは間違いありません。
何故なら、「高齢化社会への明確なグランドデザインがない」からです。
言い換えれば、国、医師、そして国民の「誇りと自信の回復」につながらないからです。
「日本の医療は遅れている、欧米は進んでいる」という迷信を刷り込まれ続けたために誇りを失い、医学研究を通じて生命と医学・生命科学の底知れぬ奥の深さを畏怖の念を持つことなく、専門医・認定医を取る(=出来上がった医療技術を吸収する)ことのみに関心を示し、面倒な医療現場には関わりたくもない/楽をしたい、という思考パターンを持つ医師の数をいくら増やしたところで、焼け石に水だということが判らないのでしょうか?
まず「数」は重要なのでこれは進めなければなりませんが、日本のような島国国家は、そこに「質」あるいは「こころ(命)」を吹き込まなければなりません。
決して、「仏作って魂入れず」になってはいけないのです。
過去、WHOが世界一と認めた我が国のこれまでの制度を、これからの未曾有の高齢化社会を迎える日本がどのように発展させていくのか。世界は固唾をのんで注目しています。
あるエコノミストによると、日本のバブル〜失われた10年での失敗は、現在のサブプライムローンへの対処に大きく貢献しているということらしい。
今回の医療崩壊は、我が国が世界へ誇れるような、国民が幸せに過ごせるような、そして高齢者が幸せに余生を全うできる制度を再構築するためのチャンスでなければなりません。
福田首相は、「消費税5%でここまでやってきたんだから・・・」などということを言ったようですが、これから先が、「だから増税なんだよ!」と繋いでいく自民党のメンタリティでは、これからの激動の時代の舵取りは不可能です。
そのためには、この国の政治家が、医療制度と医師・医療技術者の身分(義務、責務、保障)について、崇高なグランドデザインを描かなければなりません。
そのためには、日本のこれまでの皆保険制度、そしてこれを参考にした先進国各国の現在の医療制度、そしてその法整備について、徹底的に分析が必要です。
この分析に、アメリカで少し偉くなって「アメリカ万歳!」というレベルの低い医者、学者、政府の御用聞きの医者、学者は排除しなければなりません。
また国内法しかしらない法律専門家、特にマスコミの御用学者も排除するべきです。
しっかりした各国の制度を知る専門家による諮問委員会が必要でしょう。
日本は、来る新しい時代のグランドデザインを描くことが出来るか?
現在の与党では無理。おそらく民主党も無理でしょう。
しかし強行採決を繰り返すような腐敗した政党については、まずは退場して頂かなければなりません。
まずは解散総選挙、そして政権交代。一時の停滞は覚悟しなければなりませんが、そこからしか新しい医療制度は生まれない。
私は、今そう思っています。
私の息子が成人する時代には、誇りある国に生まれ変わった日本であることを祈っています。
この件。また書きます!
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以下、読売新聞の報道。
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民主、首相問責決議案を参院提出へ…小沢代表らが協議
民主党は4日、小沢代表ら幹部が党本部で協議し、福田首相に対する問責決議案を今月15日の通常国会会期末までに参院に提出する方針を固めた。
衆院への内閣不信任決議案提出も検討している。後期高齢者医療制度(長寿医療制度)などに対する国民の批判や不満は強いとして、福田内閣に対する対決姿勢を明確にする必要があると判断した。
首相問責決議案が提出されれば、参院で多数を占める野党の賛成多数で可決される公算が大きい。首相に対する問責案の可決は初のケースとなるが、法的拘束力はなく、福田首相は、これを無視する構えだ。
民主党幹部は4日、問責案の提出時期について、「野党内の調整が必要」と述べ、週明けになるとの見通しを示した。
(2008年6月5日02時20分 読売新聞)
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無視、って・・・
・・・どういうこと??
じゃあ、問責決議案って、何の意味があるの?
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開き直りが大事ってこと??
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世も末ですなぁ・・・。
こんな大人の態度を見せつけられて、子どもたちはどう思う?
ゴネ特??
ガタガタ抜かすくらいだったら、ちゃんと選挙をやって、今現在の世論を反映した国会議員構成にしてしまえば?
今の衆議院は、郵政民営化を争点に選ばれた人たちですよね?
じゃあ、もう役目は終わったんじゃない?
こんな政権に、教育とこの国の未来を語る資格無し!
自民党は、既に末期症状ですね。
どうなることやら・・・
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