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Doctors Blog

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今回より、数回の連続もので私なりに現在の医療崩壊に至った原因、特に他のブロガー先生方とは少し違った視点から考察する。

私がここで特に考察を加えたいのは、ズバリ「医局制度の功罪」について。

特に、その「功」の部分をしっかりと分析しなければならない。

何故なら、盲目的に「医局=悪」という、白い巨塔的紋切り型の観点から医局制度破壊を徹底的に行った結果、現在の荒廃しきった医療に至ってしまったことは、明らかだからだ。
従って医局制度の分析無しに、現在の医療崩壊へ至った原因を分析できないであろう、という想いからだ。

第一回目の今回は、「医局制度と官僚制度の類似点」について、ここにまとめておく。

まずは、勤務医の待遇に関する、J-CASTの記事を見て頂きたい。

http://www.j-cast.com/2008/11/02029634.html

勤務医がいかに待遇が悪いか、についてここに報道されている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(前略)
国立がんセンター中央病院の土屋了介病院長は「東洋経済」2008年11月1日特大号で、常勤医師の給与の実態を明かしている。

「彼らにはボーナスはありますが、超過勤務手当てをほとんどもらっていない。一律、月に数万円程度です。看護師の場合、業務命令の超過勤務に関しては100%支払われます。検査技師も実働の70%くらいは払われています。ところが、医師については実働の数%程度。予算が余った分を医師に機械的に割り振っています」
(後略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

医師の世界を知らない方々は、看護師や検査技師には正当な時間外手当が支払われるにも関わらず、なぜ勤務医については「予算が余った分」しか割り当てられないのか、説明できるだろうか?

ここに、実は医局制度を理解するための大きなヒントがある。

どの病院でも本来、人件費は非常に大きなコストである。
看護師、検査技師と比較して、医師は給与のベースが高い。
一方で看護師、検査技師には医局は無い。そのため一度雇い入れると、簡単に退職させることはできない(看護師は女性が多いため、勤続年数がさほど延びないが、勤続数十年という看護師長クラスになると、びっくりするような給料をもらっているのは、周知の事実である)。
従ってコストカットには、医師をターゲットする方が簡単なのだ。

言い換えれば、病院と医局は、色々な面で利害が一致する、ということである。まとめると、以下のようになる。
(1)医局人事により、医師は数年ごとに病院を変わることが普通である。従って病院としては、通常勤続年数が短く、退職金が少額で済む。
(2)病院の立場からすれば、腕が良く患者受けがいい医師はドル箱であるが、一方で横柄な態度を取る医師、患者やコメディカルとトラブルを起こす医師、腕の悪い医師は、できるだけいて欲しくない。独自に採用してしまうと、このような医師が紛れ込む可能性があり、その場合一度採用してしまうと退職させることが容易では無い。一方医局人事の場合は、仮に好ましくない医師が来ても数年でいなくなるし、教授へ「お願い」することで他の医者へ変えてもらえるので、リスクがヘッジできる。医局へ多少の寄附をしても、リスクヘッジができるなら高くない、という判断となる。
(3)少々医師の待遇が悪くても、勤めている医師本人は愚痴っている間に他の病院へ転出する。また医師の側も、「次は給料のいいところへ回してもらえる」ことを教授が約束してくれるなら、「若いうちはこれも勉強だ」と自分に言い聞かせ、我慢することができる。


以上が、病院側、そして病院へ派遣された医師側から見たときの、心の動きである。


一方、医局へ所属している医師側の観点から考えたらどうなるか?

大学は一般に驚くほど給料は安い。
でも医局全盛期は、医局が本丸であり、関連病院は下野だと考える医師も多かった。

一般の方からすると、これは首をかしげたくなることだ、と思わないだろうか。「なぜ、待遇の悪い大学で医者をしたがるの?」

実はそこには、ある種の暗黙の了解があった。
「今は忙しくて給料は安いが、頑張れば将来きっといいことがある! 今はそのために頑張るんだ!」

今は少し変わってしまったかもしれないが、私が医者になった頃は、「基幹病院の院長、副院長、部長クラスになるためには、大学で助教授、講師クラスの経験が必要」ということだ。

ちょっとしたサイズの医局なら、毎年5〜10名以上が入局した。
しかし教授になるのは、その中で15〜20年にひとり。
その次が関連病院の院長、副院長、部長。
家に事情がある場合、大学で余り頑張りたくない場合は開業。

これって、何かに似ていませんか?

そう、官僚の「天下り」と同じ考え方なのである。

つまり、若い時代に薄給でも、どんなに忙しくても頑張る。
これを支えて来たのは、もちろん、医師としての使命感もあるだろう。科学者としての好奇心もあるはずだ。

しかし人間、いつまでもその状態で満足できる訳はない。
60代になって、月に5〜6回の当直、救急患者への対応、その上に安い給料なのであれば、誰もそんな仕事はやらないだろう。

「将来、良い職場へ天下れるかもしれない」という期待感。
これがあるから、劣悪な環境でも、若いうちに頑張ろうと思うのだ。
田舎へ派遣されても、「数年間は頑張ろう」と思えるのだ。
この期待感が、医局に所属する医師を支えて来たのだ。
だからみんな教授の言うことを聞いて来たのだ。


私は天下りを盲目的に是認するという訳ではない。

しかし私はリアリストなので、必要悪については、その価値をしっかり認めたい。

それがダメだというのであれば、天下りに変わる、人生を掛けるだけの価値観を与えなければならない。

読売新聞の薄っぺらな提言がダメダメなのは、「医師を計画的に配置」しても、医師はこれまで通りに働くのだ、と勘違いしているからだ。

夢がない職場で、「自分はこの先どうなるのだろう・・・」と心配しながら、生き生きと働ける訳がないではないか!

こんなつまらん提言に比べたら、官僚の天下りの方がよっぽどマシだ!

そして医師へ夢と希望を与えるシステムとして、医局制度は今なお、必要悪としての意義があるのではないか?

次回に続く!

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