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週末、学会に参加した際、医療事故調についてのセッションがありました。都内某病院の学会長始め、有識者の皆様のセッションでした。
終わりの方から聞いただけですが、そこでの議論は「小さく産んで、大きく育てる」、つまり、まず導入することが大事。それから理想的な形へ発展させるのだ、という論調でした。
・・・
オレ様・・・
・・・
なんがかなぁ・・・
です。
事故調導入推進派の皆様の論点は、「これを導入しないと、国民に理解を得られない」ということ。
オレ様もこの時代、そう思います。
ただし、厚労省第3次試案では、ダメなのです。
既に医師ブロガーの皆さんが、問題点は指摘し尽くしています。
このままの仕組みでは、皆が納得できる事故調査にはならず、事故調が駆け込み寺になってしまい、「怨みの連鎖」になるからです。
重要なのは、何のために事故調が必要なのか、ということ。
わかりきったことですが、それは医療事故を「個人の問題」としてではなく、「システムの問題」である、とすることです。
そしてシステムとして、次の事故を未然に防ぐことに繋げなければならないのです。
現在の第3次試案の問題は、「刑事告発に使用できるシステムである」ところであり、魔女狩りの現場として利用される危険性が高いこと。まずこの一点に尽きます。
事故調の対象として、「故意、診療録改ざん」は、もちろん処罰対象にならなければなりません。
しかし問題なのは「重度の過失」。
これを医学的に、そして司法の観点から、明確にすることは極めて専門性が高く、また一つの治療方針をとっても、個々の医師でも見解が分かれる内容も沢山あります。
にも関わらず、俎上に乗った医師への罪状を根拠づけるため、「エビデンス」や「ガイドライン」が使用されることは、間違いありません。
ここが問題であり、これを支持するのは、間違いなく「医師の代表」なのです。
医学とは、むしろ見解が分かれながら、症例が積み重ねられ、「この方法が良いのではないか?」という仮説が提唱される。
そして前向き試験が行われれ、その仮説が証明、あるいは棄却される。
このようにしてエビデンスが蓄積されていくのが、医学・医療のの正しい進歩です。
しかしエビデンスが確立した疾患は、実は差ほど多くありません。
手術中に高度な判断を迫られる状況において、例えば大野病院事件のような状況において、何が正しいのかなど、決められるようなレベルではないのです。
さらには、エビデンスという概念を創始したカナダMcMaster大学のGordon Guyattについては以前詳細に紹介しましたが、
http://blog.m3.com/ore_sama/20070710/_EBM_
彼によれば、
「1)エビデンスの医療現場での適応には、「Clinical Expertise(医師の経験・能力)」と「Patient Preference(患者の価値観)」が統合されなければならない。従って、エビデンスの適応において、医師の経験に基づく自己裁量は重要な位置を占める」
なのです。
もうお解りでしょう。
現在の事故調試案における最大の問題点は、「現場の医師の自己裁量について、思わしくない場合に、このようなエビデンスなどの「(偏った)常識」を判断基準にして結果責任を問い、さらに刑事告発までできるシステムになっていること」。
これが問題であるため、受け入れることができないなのです。
この意味から、多くの医師は、この第3次試案に反対していますし、私も全く同意見です。
しかし一方で、学会の上層部や医師会は、現状のまま受け入れる方向で議論が進んでいます。
これは、空恐ろしいことだと思います。
我々医師を背後から狙い撃ちするのは、身内のはずの「医師代表」なのかもしれません。
マスコミに吊し上げにあっている医師は、一体何を信じればいいのでしょうか?