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< 息を吹き返したロシア | メイン | 無視って・・・ >

(ボストンでの滞在中のホテルの窓より)
5年ぶりにボストンに来ました。
今回は若い先生方の発表の「監視(?)」がメインなので、多少のjet lugも余り苦になりません。
明け方に目覚め、少し雑事をのがれたこともあり、ネットサーフィンをしていると、やはりやはり、先日の日経BPnetに掲載された森永卓郎氏のコラム(第134回 医療費のコスト削減策はこんなにある、http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/134/index.html)が、色んなところで取り上げられ、大炎上していました。
私もこれを読んだとき、「何だかなぁ〜・・・。マジにこんなこと考えてんのかなぁ〜」と思っていましたが、医療関係ブログの強者どもの先生方からは非難轟々です。
まあ、そのような反応を受けても仕方ない内容なのですが・・・。
論点は沢山ありそうですが、私も苦笑(というより、失笑ですか・・・)してしまったのは、以下の部分です。
「(医者を増やすために・・・)例えば、こうしてみたらどうだろうか。建築士と同じように、医師の資格も1級と2級に分けて仕事を分担するのである。
確かに、先端医療の場合には、高度な知識や技術が必要なことはわかる。しかし、中高年やお年寄りに多い慢性疾患の場合は、さほど高度な医療判断が必要だとは思えない。極端なことを言えば、医者は話の聞き役にまわればよく、出す答えもほぼ決まりきったもののことが多い。もし、手に負えない症状であったり、急性疾患の疑いがあれば大病院にまわせばいい。
そこで重要になってくるのは、先端医療技術よりもコミュニケーション能力である。そうした技能の優れた人を養成して、2級医師にするわけだ。2級医師は4年制で卒業可能として、とりあえず大量に育成する。
最近の若者には、福祉の分野で働きたいという意欲を持つ人が多いから、人は集まるだろう。病院が彼らを年収300万円ほどで雇えば、若年層の失業対策にもなる。
病院としても、そうした2級医師を採用して「早い、安い」を売り物にすれば人気が出るだろう。高齢者にとっては、待ち時間が減って、話をじっくり聞いてくれるので喜ばしい。こうした医療機関が普及すれば全体の医療費を下げられる。みんなハッピーになるのではないか。」
この後、「麻酔医が不足しているから、余っている歯科医を回せ」など、名(迷?)案が飛び出してきます。
多くの先生方のブログでは触れられていないので、あえてオレ様が指摘しておきますが、実は同様の発想(取りあえずの医者の促成栽培)はかれこれ70〜80年ほど前から戦後に掛けて、日本には実績があります。
医学部に併設された「医専」がそれです。
(以下は私の記憶を元に記載しているので、もし間違いがあったら指摘して下さい)
実は、医専は明治時代からありました(東北大学医学部や、千葉大学医学部も、もとは医専からのスタートです)。これらの医専は、その後帝大や医科大学へ昇格しましたが、戦地での負傷兵の治療などにあたる医師数が絶対的に足りなかったため、「医師の促成栽培」を目的に、医学部に併設する形で医専が設置された訳です。
(余談ですが、私が医学部の学生時代は、この医専出身の教授が数名いらっしゃいました。もちろん差別もあったようで、臨床系にはいらっしゃったかどうか定かではありませんが、基礎系には立派な教授が複数いらっしゃいました。)
しかし医専の本来の目的は、「促成栽培で対応できる、窮余の外傷治療を実施可能なレベルの医師の養成」が主であり、現代の医師不足への対処法とは余りにも状況が違い過ぎます。
現在の国民が医療に望む理想像とは、
1)サービス業として低姿勢であり、
2)コンビニのように24時間体制で診療可能であり、
3)しかも24時間、最高の医療レベルが実施可能であり、
4)それが日本中あまねく、どこにいても、
5)待ち時間がほとんどなく、自分だけはゆったりと享受できる、
という医療を、
6)世界で最も低コストで実現せよ。
という無茶苦茶なものなのです。
以前もこのブログで議論しましたが、「性悪説」を元に医療制度を設計した代表はアメリカです。「ヒトは誰でもエラーを起こす」比較的低いレベルでの個人の能力が前提なので、医療を複数で監視・管理すること、そしてほとんどの場合、刑事訴追されないことが原則です。従って必然的に多くの医療従事者が必要となり、このシステムは高コストにならざるを得ません。
一方、我が国では医師等は「専門職」としての特別な立場にあり、「性善説」を元に医療制度を設計してきました。従って個々の医者には高い知識・技能のみならず見識を要求されてきました。私の知る限り、多くの医師はそれを満たす有能な方々ですが、もちろん医師全てがそうではありません。しかし日本では個々の医師のレベルが高かったこと、そしてこの仕事に対する情熱と使命感のため、これまで世界が成し得なかった「高レベル・低コスト医療」が実現できていたのです。
一方、最近ではこの「そうではない」部分が過剰にスポットライトを浴びたため、色々と制度をいじり始めた結果が、現在の矛盾(医療崩壊)につながってきたと考えています。
森永氏の「2級医師」論を真面目に議論するには、日本の医療制度そのものについて、「性悪説」をもとにグランドデザインの変更をしなければなりません。つまり、医療におけるリスクヘッジとそのコストの問題について、原則を固めなければ、このような案をいくら出したところで、意味はありませんし、議論の価値すらありません。
これまで医療を支えてきた医師、医療従事者にとっては、ちゃんちゃら可笑しい案に過ぎません。
私は国民投票を提案します。
(1)これまでの日本型を堅持するか?
(2)アメリカ型(高コスト医療)へ方針転換するか?
政治家は、まずここを国民に問うべきでしょう。
ちゃんちゃん!
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コメント
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正直、自分の不勉強がよくわかりました。
ありがとうございました。
今後ともいろいろとご指導のほどよろしくお願い申し上げます。
とんでもない! 私こそ、先生の医学・医療に対する真摯な態度と心根に、いつも感服しております。
そして先生のような方がいつまでも誇りをもって医療に専念できるよう、祈念している者です。
併設医専はどこにでもあったという訳ではないと思いますが、少なくとも古い帝大のいくつかには存在したようです。九大、京大、阪大、名大、北大、東北大など、旧帝大には昭和14年頃に「医学専門部」なるものが設置され(各大学の沿革に明確に記載されています)、戦時のための医師促成栽培が実施されています。
ただこれらは戦争の終了に伴い、昭和24年に一斉に廃止されているようです。
私の記憶では、外傷処置が主な目的だったため、確か2年ほどで終了し、戦地に送られていたようです。
しかし既に多くの医療関係者がブログでご指摘のように、これと同様な発想を、この権利意識の肥大した現代に持ち込むことは、余りにも無謀と思います。これが成立するには、一定の条件下でなければなりません。
さてさて、先生のまたのお越しを楽しみにしておりまする〜
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