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今日、立花隆氏のコラムで、「安部教育改革の「負の遺産」「哲学の崩壊は憲法問題」」という論文を見た。
大学から哲学科が消えつつあるそうだ。これはこの文章にも触れられているが、国立大学の法人化と「運営交付金の競争的資金化」によるもの。哲学は人間の知的発想の基礎であるから、これを無くしてはならない。大学人は抗議せよ! という内容。
概ね納得できる論旨だが、私のようにもともと大学にいた人間からすれば、「何をいまさら?」という気もする。文系が消えるかも、というのは大学が独立行政法人化した時点から明らかじゃないか。このような横暴を許してしまったのは、小泉政権の人気を下支えしたマスコミではないのか?
法人化し、運営交付金を握られてしまった時点で、国立大学は逆に完全に「国有化」されてしまったのだ。政府と官僚の方針をかぎまわって、御用聞きをこまめにやる大学がいい目をみる時代になったのだ。こんなことは当時からわかっていたではないか。法人化も、COEも、科研費も、そのために制度設計されたのだ。何をいまさら??
ただ、立花氏の論旨には面白いところがある。それは、今般の大学制度改革は、学問の自由をわざわざ独立した条項まで作って保障する憲法に違反しているのでは、という論旨。これはいかにもその通りと思う。
私はこれまで、「アカデミア(古代ギリシャで成立した頃のそれ)」本来の持つ機能「自治」を比較的ちゃんとやってきたのは、日本では京大だけだと思っていた。しかしこの京大も含め、日本の大学は「社会に開かれた」という美名のもとに独立行政法人化をきっかけに経済的基盤を完全に官僚に握られてしまった。従って、今や大学には自治は存在せず、正確にはアカデミアではない。従って、非生産的な哲学、文学などは、まずはリストラ対象になるのは、当たり前である。
ここで私が立花氏に同調するのは、哲学・文学などを失うことの損失の大きさである。このような失政により、日本の社会はいよいよ薄っぺらなアメリカ流プラグマティズム一色になること。将来は、頭の回転はいいが、物事の本質を見抜く眼力を失い、合理性を全ての判断基準にする人間で埋め尽くされてしまうだろう。
哲学・文学を学ぶことは、多くの先人が試行錯誤してきた「この世界の本質」を見抜こうとする思考過程を吸収することである。これは歴史の積み重ねがなければならないが、歴史のない薄っぺらなアメリカを無批判に受け入れてきた小泉・安部体制により、早晩、日本の知は完全に壊滅されられてしまうことだろう。
しかも同じ現象が医療の現場でも進みつつあるのだ。根は一緒なのである。
アメリカに洗脳されて、「アメリカ、バンザイ!」を国策とするアホな政治家と官僚、マスコミ、有識者、保守系言論人がいる限り、この国は間もなく根こそぎ解体させられる。
恐らくその負の遺産は、第2次大戦で負けたことよりも、はるかに大きいかもしれない。それは国民の教育・意識と、日本が時間を掛けて培ってきた「日本らしさ」が解体されて行くためだ。
あなたはどう考えますか??
ところで、立花氏の同コラムは、以下の文章でまとめている。
「いまの大学教授たちは、全共闘世代ではないか。全共闘世代が、自己の存立基盤が丸ごと掘りくずされようとしているときに、黙って座視したままでいるとは、ほとんど信じ難いことである。」
こういう文章は如何なものか?
というのは、事実がわかっていないから・・・。
今の教授たちは全共闘世代であっても、制度・権力と闘うことを「避けてきた」方々が多くを占めている。もちろん全てではないが。
全共闘やってたら、多くの場合大学には残れず、就職もできず、公安からも目を付けられているし・・・。しょうがないから予備校や塾へ行った人たちが多いのだ(と「全共闘やってた人」から聞いたものである)。
ではまた!
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